空襲(くうしゅう)
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クリフが俺を襲ったのは、グアルディの杖を守る為らしい。杖は大霧にとって大切なものだと奴は言う。
確かに俺が新日本にやって来た理由の一つは杖の入手だ。しかし大霧個人から、盗んでやろうと思ってた訳じゃ無い。
大霧達を助けることと、杖の入手は別の事だと考えていた。
せいぜい、新日本国の“誰か”を敵に回すかも知れない程度の覚悟をしていただけだ。
しかし、その“誰か”が大霧だったとは。
……控えめに言っても面倒な状況だ。
もしかしたら呉孟風は、この事を知っていたのかも知れない。
耳の奥で、呉の高笑いが聞こえた気がした。くそっ。覚えていろ。
「聞いているのか?」クリフの訝しげな声に俺は現実に引き戻される。
「……聞いている。続けてくれ」
「今村と言う男を知っているか?」
「今村?」どこかで聞いた名だ。俺はエリスとの会話を思い出す。
「新日本国のリーダーのことか?」
「そうだ。今村 征一郎。大霧の恋人だった男だ」
大霧に恋人がいた事実にショックを受けたが、あいつなら恋人がいて当然なのだ。
「その恋人がどうした? 杖と、どう関係するんだ?」
「……それを知ったら、もう戻れないぜ。帰るなら今だ。俺もお前の面を見なくて済む。恵子も言っていたぜ。お前と話をしていると頭痛と吐き気がするそうだ。居なくなれば喜ぶだろう」
「嘘をつくな。話をそらすな。事実だけを言え。お前のヨタ話に付き合ってるヒマは無い」
クリフは不機嫌そうに顔を背けた。
「いつか吠え面かかせてやる……いいだろう。教えてやる。大霧の恋人だった今村 征一郎は人間では無い。元は確かに人間だったがな。今は生き物ですらない。化け物だ。奴は杖を使って化け物に成った。大霧と新日本国を救うために」
……なんてことだ。
今村と言う男は禁忌を犯したのだ。奴は自分に対して杖を使ってしまったらしい。
グアルディの杖の本来の役割は、機械や道具の性能を取り戻すことだ。
道具は造られた時から目的がある。だから杖はその道具が動かないのなら、障害を取り除き目的通りに動くようにする。そこに大きな問題は無い。
俺がトライデント・システムの性能を取り戻そうとしているのも、そう言う事だ。
しかし、生き物に杖を使えば話は違ってくる。生物は機械と違って、目的があらかじめ決められている訳ではないからだ。
もし人間に杖を使えば……杖はその人間の性質を読み取り、その人間の本質を見きわめる。そして強制的に“修理”する。
その人間の本性を抜き出し強化し、それ以外を余分なものとし排除するのだ。
その結果、生まれるものは神か悪魔か。それとも俺たちの想像を超える何かか?
「俺が恵子と出会う前の話をしよう。恵子と今村が新日本国にやって来た時はひどい状況だった。新日本国のもとに成った国は、侍に率いられた国“夏月”と、魔法文明に優れた“ハーヴィー王国”との連邦国家だった。それを帝国軍人がまとめあげて、今の新日本国を建国した。だが、最初はうまくいかなかった。“ハーヴィー王国”の騎士団と魔術師達が手を組んで反乱を起こしたのさ。国は混乱し、周辺の大国が各勢力の背後につくことで火に油を注いだ。後は予想がつくだろう。内乱は拡大した」
「そこで、今村の出番か。今村は化け物になって争いを収めた」
「そうだ。だが、お前の想像は恐らく間違っている。今村は力で争いを収めた訳じゃ無い。平和的な方法で事態を収拾した」
「お前が、今村が化け物になったと言ったんだぞ。それのどこが化け物なんだ。極めて人間的な方法じゃないか」
「それはお前が、グアルディの杖を理解していないからだ。今村は軍人の出身だが、政治家向きの性格をしている。今村は杖を使った後に、こう言ったそうだ。“これで自分は完全なる統治者に成った”とな。杖が今村に見いだした本質は“統治者”だったって訳さ」
“完全なる統治者”か。結構な話だ。普通の人間に出来る事じゃない。
……普通の人間には出来ない?
ああ、そう言う事なのか。俺は理解した。それで化け物……って訳だ。
「ようやく分かったか? “完全なる統治”なんて人間には不可能だ。人間には欲望がつきものだし、必ず間違いを犯す。しかし今村は違う。人間じゃないからな。グアルディの杖はその人間の本質を強化し、それ以外を排除する。奴は人間の形さえ失った。感情も無い。そんなもんは余分な機能だからだ。今の奴は、統治だけを行うただの細胞の塊だ。確かに奴の生み出すプランは素晴らしいものだ。今村は新日本国を影から操った」
◆
クリフはそこまで話すと、顔を歪めた。話をしたことを後悔しているのかも知れない。
「……いいか良く聞け。それでも恵子は今村を愛している。恵子が戦うのは今村の為だ。そして恵子の望みは、今村の力を使わずに平和を取り戻すこと。そうなれば杖を破壊できる。今村を人間に戻せる」
クリフは俺を睨み付ける。
「お前に杖は渡せない。あれは破壊しなければならない。……クソ野郎。お前はあの杖を使って何をするつもりだ。今村のように偽の神にでもなるつもりか? それとも呉と一緒に、この世界を支配する気か? 止めておけ。あの杖は人間に扱える代物じゃ無い。この世に存在してはいけない物だ」
「……俺はただ、トライデント・システムを強化したいだけだ。お前だって、杖を使って能力を回復したんだろう? 杖も無しで、こんな巨大な戦艦を呼べる筈が無いんだ」
「そのとおりだ。俺は自分に杖を使った。俺は機械に過ぎないから何の問題も無い。ただ恵子を助けたかった。恵子が望みを叶え、杖を破壊してしまえば俺は力を失う。せいぜい小型艇を数隻呼ぶのが精一杯になるだろう。しかしそれがどうした。恵子が幸せになるのなら、そんな事は些細な事だ。お前とは違う」
勝手ないい分だ。俺は腹が立った。
「……聞いたような口を利くな。守る者がいるのはお前だけじゃない」
「誓った筈だぜ。大霧を悲しませないと……お前の守るべき者なぞ、俺の知ったことか。やはりお前は」
“最低のゲス野郎だ”と言う言葉が聞こえたのと、奴が飛びかかって来たのは同時だった。
俺の動揺をチャンスだと思ったのだろう。
「拘束しろ」
言葉と同時にクリフの身体が硬直し、ぶざまに床に投げ出される。
妖精が鬼切の制御を、再び奪い取ったのだ。
その時、部屋の外側から女の声がした。
「風瀬! 一体何をしている? クリフ! そこにいるのか?」
大霧だ。
「何でも無い。男同士のちょっとした喧嘩だ」俺は答えた。
「ふざけるな。……開けるぞ」
部屋に入ってきた彼女が見たものは、床に横たわったクリフの姿だ。
クリフは、照れくさそうに傷だらけの顔に笑みを浮かべた。
「夜の散歩か? 悪いなつきあえなくて」
身体の自由は奪われていても、口は動くらしい。
女士官は、クリフに駆け寄る。
「……怪我をしている」
「かすり傷だ。クソ野郎の拳などたいした事は無い」
大霧は俺を睨む。「風瀬。これは一体どういう事だ。返答によっては、いくらあなたでも容赦はしない」
「襲ってきたのは、そいつが先だ。何もしなければ俺は殺されていた」
大霧はクリフの方を見ると呟く。「お前……まさか……馬鹿な事を」
クリフは肩をすくめる。「殺そうなどしていない。あいつの被害妄想だ。握手をしようとしたら、ちょっと手が滑っただけさ」
どう握手を失敗したら、ああなる?
「大霧。二人だけで話がしたい。甲板に出ないか?」俺は言った。
「……気はすすまんな。あなたの時代ではどうか知らないが、私の時代では恋人でも無い男と、女が深夜に二人きりで会うことは無い。だが……そうも言ってられないようだな」
「俺は謝らなければいけない」
「謝る? クリフを傷つけたことか?」
苦笑いした。
「違う。こいつの事なら、もう二、三発殴っておくべきだったと後悔している」
俺は思った。俺たちは将来、お互い争う事になるのかも知れない。
だがそれでも、今は彼女に対して不誠実な真似はしたくなかった。
「俺は……隠し事をしている」
◆
クリフをその場に残し、俺と大霧は中央甲板に向かう。妖精は姿を消した。
「大霧に何かしてみろ。お前のものを握りつぶしてやるっ!」と言う言葉を背後に聞きながら、俺たちは二人だけで中央甲板に向かう。下品な奴だ。拘束したままで正解だ。
だが、途中で先を歩いていた大霧が振り向く。
「クリフの拘束を解いてやって欲しい。ああ言う奴だが空気は読む。私たちの話し合いの邪魔はしない」
「信じられないが、あんたがそう言うなら。……妖精、言うとおりにしてやれ」
(了解。拘束を解除しました)
甲板に出ると夜空には月が出ていた。ニューワールドにある二つの月の大きな方――赤月と言うらしい――が甲板を照らしていた。戦艦金剛の巨大な主砲塔が、まるで神殿の建物のように俺たちを見下ろしている。聞こえるのは風の音と、艦が海を切り分けながら進む波の音。
東の空がかすかに明るく成っている。もう、そんな時間なのか。
大霧が月を見ながら言う。
「いい月だ。地球の月に比べれば風情は無いが」だが、俺にとっては月よりも彼女の横顔の方が魅力的に思えた。
「俺はこちらの世界の月の方が好きだ。故郷の月に良い思い出は無いからな――本題に入らせてくれ。俺が呉に頼まれてここにやって来た理由は二つある。一つは、邪神と戦いあなた達を救うこと。もう一つはグアルディの杖を手に入れる事だ。だが杖の事は隠していた」
「そうか……それを自分から言ったか。やはりあなたは隠し事が出来ない性格なのだな。女に対して常に公正に振る舞う。不意打ちや裏切りは絶対にしない。噂に聞いた通りだ」
「誰から聞いたのか知らないが、俺の噂にしてはマシな方だ。変態の女狂いとして有名なんじゃないかと心配してたとこだ。……俺が杖を手に入れようとしていたのを知っていたのか?」
「ああ。呉に言われて来たのだろう? あいつはずっと杖を狙っていたからな。気がつかない筈が無い」
「それなら何故、俺を受け入れた?」
「私の恋人、今村 征一郎の話を聞いたのだな?」
「聞いた」
「あれは優しい男だ。だが優しすぎた。優しすぎて自分が抱えきれないものを抱えてしまった。……風瀬さん、あなたに頼みがある」
俺は大霧の事が本当に綺麗に見えた。
「私たちを助けてくれないか。私には彼を救うことが出来ない。力が不足している。圧倒的にな」
「何を言ってるんだ」
「知っているか? 杖の対象になった人間は生命力を急速に失う。今村ももう長くは生きられないだろう。早く解放してやりたいんだ」
……もしかして泣いているのか? いや、そんな筈は無い。俺の見間違えに決まっている。
「あなたなら、可能だろう。未来で英雄と呼ばれるあなたなら」
予想外の言葉に俺は戸惑う。大霧の顔をまともに見ることが出来ず、大海原に目を向けた。
水平線がかなり明るくなってきた。もう少しでニューワールドにおける日の出だ。
「くそっ……俺には」
――突然、東南東の空の方角、俺の目の端で何かが輝く。
視線をまっすぐに向けると何も見えない。
まさか。
「風瀬さん、どうしたんだ?」
もう一度、目の視線をなぞるように、ゆっくりずらしていった。
視界の角で、また何か光った。さっきと同じ場所。
――くそっ。航空機だ。航空機の編隊だ。かなり多い。敵の航空機が俺たちに向かっている。
敵は空母を持っているのだろうか? そんな話は聞いていない。
「妖精っ!」
(現在、視覚情報を共有しています。マスターが発見したのは敵の艦載機です。機種不明。正確な機数も不明。少なくとも数十機以上。ここからの推定距離20から25km。……鬼切に発見を通知します。トライデント・システム緊急始動中)
サイレンが、戦艦金剛の甲板に鳴り響いた。
「……空襲だと? 敵に航空機は無い筈だ」大霧が愕然として呟く。
クリフの言葉が脳内に響いた。
『お手柄だ、クソ野郎。注意しろ。大和も来ているかも知れん。敵の出現ポイントが予想からずれている』
(副回線接続完了。トライデント・システム正常に稼働中。マスター、兵器召喚いつでもいけます)
久しぶりの戦闘の雰囲気に、俺は自分を取り戻す。そうだ、難しく考える事は何も無い。
自分に出来る事をやるまでだ。大霧を悲しませる事はしない、とクリフにも誓ったしな。
「大霧。いいぜ。俺に出来る事は全てやってみよう。まずはあいつらを片づける」