女士官の守護者
◆
俺は背後から銃を突きつけられた。
「このまま死ぬか?」“鬼切”の第一疑似人格――クリフ――はそう言って凄む。
俺は嗤ってやった。こいつに脅しの言葉は似合わない。
女のケツを追いかけているのがお似合いの外見なのだ。
「……やはり、お前は旧型だ。ツメが甘い」
俺の言葉を待っていたように浮かび上がる人影。
妖精だ。
「そこまでよ。お馬鹿さん。……こっちがトリガーを引く方が早いわ。姿を消すのも無しでお願い。面倒くさいから」
彼女が構えているのはP90。
銃身が極端に短く、持ち手部分の銃床がやたら目立つ。
PDW(個人用防衛火器)と呼ばれるタイプの銃器で取り回しがし易く、近距離での威力が大きい。
夜間灯のぼんやりとしたあかりのせいで、妖精の表情はよく見えない。
だがそれでも俺には分かる。絶対にドヤ顔だ。
クリフが馬鹿にしたように言う。
「嬢ちゃん、戦うつもりか? あんたの戦闘機能は、削除されている筈だぜ。旧型の俺と違ってな」
「……試してみたい?」
「後悔するなよ」
灯が突然消えた。
「キャッ!」と言う叫び声と共に、ドスンという鈍い音。
妖精が床に叩きつけられた音だ。
……言わんこっちゃない。慣れない真似をするからだ。
暗闇の中、再び何かが動いた。そこに向かって思いきりタックルする。
不意を喰らって相手は吹き飛んだ。
「……くそっ」うめき声が聞こえた。クリフの声だ。
お前のような軟派な男に、力比べで負けるものか。
「カザセ。いい気に……なるなよ」
いい気になってるのはお前の方だ。
俺は声の方向に軍用拳銃を向ける。
突然、灯がついた。
……銃口の先に相手はいない。
「こっちだ」
くそっ。後ろか? 振り向こうとしたがもう遅い。背中に銃が突きつけられる。
転移したらしい。インチキだ。
「そこまでだ。銃を捨てろ。……残念だな。お前はこれで終わりだ」
「終わり? その予定は無い。待っている女達が可哀想すぎる」
「ふざけるな。……泣き叫べ。命乞いをしろ。出来るだけブザマにな……もしかしたら、俺の気が変わって助けてやれるかも知れないぜ?」
「遠慮する。お前にその気はなさそうだ」
疑似人格がニヤリと笑ったのを俺は感じた。
「よく分かったな。恵子を悲しませる奴は全て殺す。だが楽に死ねると思うな。気に喰わねえんだよ、お前は。……さて、これでどうだ?」
腹に衝撃。くそっ。蹴られた。
痛みの為に身体が折れ曲がる。
腹が焼けるようだ……息が……息が出来ない。
俺は床に崩れ落ちた。胃液が喉をせり上がってくる。吐きそうだ。
「いい格好だ。恵子を苦しめようとした罰だ」
恵子を苦しめる? こいつは何を言ってるんだ。なんで俺が女士官――大霧を苦しめなきゃいけない?
この男は馬鹿か? 狂ってるのか?
「さあ。次だ。今度はどこがいい?」
俺は二発目を覚悟した。
……だが、何も起こらない。
痛みに耐えながら、顔をあげた。
……クリフの様子が変だ。「……何故だ? なんで身体が動かない?……お前、いったい何をした?」
奴の身体は石像のようにこわばり、動かない。
間に合った……のか。
俺は咳き込みながらも何とか呼吸を取り戻す。よろけながら立ち上がる。
見ると妖精も痛そうにお尻を撫でながら、立ち上がったところだった。
「……大丈夫か?」
「マスターこそ、大丈夫ですか? すみません、ちょっと手間取りました」
「首尾は?」
「安心してください。この男の身体は私の支配下にあります」
奴との戦闘は、時間稼ぎと目くらまし。フェイクにすぎない。
本命は、圧倒的な情報処理能力を持つトライデント・システムのサイバー攻撃。妖精は鬼切の制御を乗っ取ったのだ。
俺の前には、ひきつったクリフの顔があった。
「だから言ったろう。女を甘く見るなと」
「……聞いてねえ」その疑似人格は悔しげに呟いた。
◆
「でっかい軍艦を少しぐらい呼び出せるからって、大きな顔をするのは一万年早いわ。私の情報処理能力に比べれば、あんたなんか赤ん坊みたいなもんよ」
妖精は腕組みしてふんぞり返っている。さっき言われたことを、そうとう根に持っているな。いいたい放題だ。クリフの顔が悔しげに歪む。
「……さあ、答えてもらおう。なんで、俺達を襲った?」
こちらの問いに、クリフは薄笑いを浮かべた。そして……
俺は慌てて腕で顔を覆った。
こいつ、唾を吐きやがった。
「それが答えか?」
俺は奴の腹に拳を叩き込む。手加減はしなかった。さっき蹴られた礼だ。
奴は床の上でのたうつ。身体を折り曲げ腹を押さえながら咳き込んだ。
疑似人格は、正確に人間の身体を模している。鬼切でも、妖精でもそれは同じだ。
殴れば、普通にダメージは通る。
「痛いか? これであいこだ」
クリフの様子を観察する。唇が切れて、血が流れ出している。
だが目は力を失っていない。闘志満々だ。
俺は、クリフの呼吸が元に戻るのを待った。
「……気が……済んだか? クソ野郎……お前に俺は……殺せない」
「答える気が無いなら、それでもいい。妖精に仕事をしてもらおう。お前の記憶を盗み取る」
「馬鹿を……言うな。そんな事……できっこ無い」
「どうかな? 新型を甘く見るなと言った筈だ。ただし、少々荒っぽいやり方になる。お前の人格は消し飛ぶだろう。大霧とももう会えない。遺言があるなら言っておけ」
(えええええっ?!)
脳内に慌てたような妖精の声。
(あの、ごめんなさい。いくら私でも記憶を盗むとか、それちょっと無理なんですが……)
(いいんだ。でまかせだからな。適当に調子を合わせてくれ。脅かすんだ)
(そうなんですか? わ、分かりました。)
「ええと、マ、マスター。やりますよ? 本当ですよ? トライデント・システムの全コアを起動します……鬼切の人格は全て破壊されます。回復は不可能……警告しましたからね? 止めるなら言ってくださいよ? シーケンス開始まで、あと90秒、85秒……」
妖精が、偽りの実行ステータスを告げ始めた。クリフに聞かせる為だ。
「はったりだ!」だが、そう言うクリフの様子は落ち着かない。
妖精の下手くそな演技を、悪いように解釈しているんだろう。
人格消去を躊躇していると思っているのだ。本当は、芝居が下手くそなだけなんだが。
俺は、凶悪に見えるように薄ら笑いを浮かべる。なんせ俺の悪人面には定評がある。
「開始まで、残り60秒…50秒。全てのコアが励起状態になりました。本当にいいんですね? やっちゃいますよ? 残り40秒」
俺はクリフを見た。目が泳いでいる。
いい感じだ。
「やってくれ。……あばよクリフ」
「待ってくれ! 死ぬ訳にはいかないんだ! 恵子を守るのは俺しかいないっ!」クリフが叫ぶ。
「襲った理由を話すか?」
「クソ野郎!」
「やっちまえ。死にたいそうだ」
「カウントを継続。30秒、25秒……」
「やめろっ! 話す! 止めてくれ! 今すぐっ」
「……実行停止」
「了解。シーケンスの実行を停止します。全コアを休止状態に移行」
妖精がどこかホッとしたように答えた。
「さてと……では話してもらおうか。優男くん」
「クソッたれ」 クリフは悔しそうに言った。
◆
「妖精。拘束を解いてやれ」
クリフは突然自由になった自分の身体を支えきれず、近くにあった椅子にもたれかかった。
「始めに言っておこう。俺に隠している事が無いとは言わない。しかし、ここに来たのはお前達を助ける為だ。そこに嘘は無い。何でそこまで俺達の事を敵視する?」
「……笑わせやがる。お前は呉孟風に言われて来たのだろう? ならば俺の敵だ。グアルディの杖を狙っているに違いないからな。あの杖は恵子に必要なものだ」
「さっきも杖の事を言っていたな? それは何だ? 大霧とどう関係があるんだ?」
俺はとぼけた。もちろん杖の事は知っている。
グアルディの杖を手に入れ、トライデント・システムを強化する。そして王国やレガリアを守るための力を手に入れるのだ。エトレーナの死すべき運命も変えてみせる。
だが俺は不安になった。俺の知っている情報は、もしかしたら何か間違っているのではないか?
「とぼける気か? まあいい。俺に話せることは教えよう。だがその前に一つ誓え。恵子を絶対に悲しませるな」
「悲しませる訳が無いだろう。助けに来たんだ。聞いてなかったのか?」
「誓え」
「立場が分かってないようだな。尋問してるのはこっちだぜ」
「誓え、と言った」
俺はため息をついた。女士官、大霧 恵子は、こいつにとってよほど大切な人間なのだろう。
この状態でも、こんな事が言えるとはな。
「……いいだろう。誓う。大霧を悲しませることはしない」
「その言葉を忘れるな。もし違えれば俺は絶対にお前を殺す。絶対にだ」
俺の誓いの言葉を聞いて満足したのか、クリフ――兵器召喚機構“鬼切”の第一疑似人格――は、俺を睨むと話を続けた。
「……今村と言う男を知っているか?」
「新日本国のリーダーのことか? ならば聞いた事はある」
「知っているなら話は早い。今村 征一郎、大霧の恋人だった男だ」
話が良く見えない。だが少しショックを受けたのは内緒だ。
大霧なら恋人の一人や二人はいるだろう。それが分かっていてもショックを受ける俺は、いったい何様なのか? 男心は複雑だ。
「いや、恋人だったと言う表現は不正確かもしれねえ。もしかしたら、今も恋人同士なのかもしれん。あれが、まだ人間と言えるならな……」
クリフは、そこで黙りこんだ。