脊髄(せきずい)
◆
「王よ。騙されてはなりませぬ。この者を信じるなど、とんでもないこと。こやつは腹黒い人間です」
振り返ると、入り口に大きな鉄色の竜。
レガリア軍を率いている将軍ウエルだ。
「俺が腹黒い……だと?」
別に善人だと主張するつもりは無いが、ウエルに言われると腹が立つ。
しかしウエルは俺を無視し、王に向かって言葉を続ける。
「レガリア近郊に正体不明の軍が展開しております。私はカザセが手引している証拠を掴んでおります」
少女の姿のままで、腕を組んでいたシルバームーンが不愉快そうに顔をしかめた。
「でまかせ言わないで!」
「第一王女も困った御方だ。真実を認めないとは」
「カザセは私と行動を共にしている。敵と通じる暇はない。カザセを疑うのは私を疑うのと同じだわ。嘘を吐き続けるなら私が相手よ」
「そろそろ正気にお戻りください、王女様。部下達が影で貴女の事を、何と噂しているかご存知ですかな? 異種族の男に入れあげるのは、ほどほどになさいませ。王もお困りであられる」
「何ですって!」 シルバームーンは怒りの余り真っ赤になった。
第一王女に対して無礼すぎるだろう。流石に腹に据え兼ねた。
「いい加減にしろウエル。不敬だ」
「これはこれは。忠告痛み入る、カザセ殿。だが貴殿は人の心配をしているどころでは無いだろう? スパイとして告発されている最中なのだからな」
「俺がスパイ? ふざけるな。俺は……レガリアを護る為に戦って」
……戦って撃退したんだ、と言いかけて口ごもる。時間は巻き戻され、俺のやった核攻撃は無かった事になっている。
争いが起こった事を証明する手段は無いのだ。
ウエルが自分にとって都合が悪い事を、証拠なしで信じる事は有り得ない。
ウエルは、俺が黙ったのを見て大笑いをした。
「……レガリアを護る? 貧相な人間風情がか? 貴殿は軍人より、宮廷道化師の方が似合っているのではないか?」
いっそのこと、核兵器を召喚してこいつの前で爆発させてやろうか。
……まあ冗談だ。
成り行きを黙って見ていたレガリア王が静かに告げた。
「……立ち去れ。ウエル将軍。不快である」
「しかし、王よ……こやつはスパイだ」
「立ち去れと言った。レガリアを救った英雄の侮辱は許さぬ」
「この人間が英雄……ですと。あなた……英雄王がそれを言うのか」
王の怒りを買った事に気が付き、ウエルは愕然とする。
英雄……なんて呼ばれるのは好きでは無いが、狼狽えるウエルを見るのは良い気分だったのは認める。
王が、俺の戦いを視ていてくれたのは運がよかった。
時間が巻き戻ったのに、どうして王が覚えているのかは分からないが。
だが安心するのは、まだ早かった。
王室の扉の向こうで、部屋を守っている近衛兵の声が聞こえる。
「公! 困ります。王は只今、会見中でございます」
「気にするな。我と王の仲だ」
入って来たのは見知らぬ真鍮ドラゴン。身体の大きさはレガリア王と同じくらい。
大きな竜だ。
◆
王室に入って来た竜は言う。
「ウエル。何をあたふたしておる?」
困惑していたウエルが急に元気になった。
「おおトレジャー公、よくぞ来られた!」
トレジャーと言う名には聞き覚えがある。レガリアに向かうヘリの中でシルバームーンが教えてくれていた。
確かブラス・トレージャー公爵と言った筈。王に次ぐナンバー2の権力者だ。
俺はレガリアの歴史を思い出す。
この国は300年ほど前に、ニューワールドに移住して来た2つのドラゴンの国が1つになって出来た国家だ。
そのうちの1つである“ディラ”国を率いていたのが、現レガリア王。
そして、もう1つの国“シノジ”を率いていたのが、トレジャー公爵だ。今でこそ公爵だが、元はといえば“シノジ”の王なのだ。
“ディラ国”と“シノジ国”は、ニューワールドで生き残る為に1つになった。
今でもレガリア軍の3分の1は、このトレジャー公の率いていた国である“シノジ”の出身者が占める。
ウエルが将軍になれたのは、トレジャー公のお陰らしい。
レガリア王は、トレジャー公爵を睨みつけた。
「我が王宮に何用か?」
「尋ねたい事がある」
「……言ってみよ」
「人間の女王が来たと聞いた。我がレガリアと同盟を求めていると。事実か?」
「いかにも。正式な会合は明日になるが、ここにいるのがユリオプス王国の女王、エトレーナ・カイノ……」
レガリア王に最後まで言わせず、トレジャー公は声を荒げる。
「人間の名など興味は無い……王よ。何故、追い返さぬ? まさか本気で同盟を結ぶ気なのか? 属国に成りたいとの願いならともかく、人間の分際で同盟を結びたいなぞ身の程知らずも甚だしい」
「……無礼であろう。ブラス・トレジャー公爵」
「我が誇り高いレガリアが、人間どもを同格に扱うのか? こやつらは獣人どもにも劣る能力しか持たない人間なのだぞ」
……もう沢山だ。俺はうんざりしてきた。
この国には良い奴も多い。
しかし、どう見てもドラゴンの半分は人間に対する偏見がある。
これでは、同盟なんぞ結ぶのは不可能だろう。
こんな事なら、前にやりあった武器商人、呉孟風の国“大商業連合”の属国にでもしてもらった方がまだマシだ。何と言っても奴らは俺達と同じ人間なのだ。
エトレーナは呆然としてトレジャー公爵とレガリア王とのやりとりを見ている。
……恥ずかしい思いをさせてすまない。レガリアと同盟を結ぼうとしたのは俺の判断ミスだ。
立ち去ろう。もう沢山だ。
俺はエトレーナの手を握った。彼女はハッとして俺を見る。
王に別れを告げようとして、シルバームーンがこちらを見ているのに気がつく。
……すまなそうにしている。そしてどこか心細げに。
彼女を見捨てるのか?
もし“脳”が再びレガリアを襲ってきたら、……風瀬。お前はどうする?
逆の立場で、シルバームーンだったらどうすると思う? ユリオプス王国を見捨てると思うか?
――シルバームーンは、見捨てない。彼女はいつだって俺たちを助けてくれた。
ここで逃げるのは、彼女を見捨てるのと同じだ。
諦めるのは、出来ることを全部やってからだ。
「……人間がドラゴンより劣ると思うのか? 俺はそうは思わない。そんな考えはお前の思い上がりだ」
◆
王に詰め寄っていたトレジャー公が初めて俺に気がついたように、こちらを見る。
「思い上がりだと? ええと、お前は……」
「風瀬 勇。ユリオプス軍の責任者だ」
「ウエル将軍。聞いたか? この勇敢な人間は我らに言いたい事があるようだ」
「薄汚いネズミの言うことなぞ、聞く必要はございませぬ」
猿になったりネズミになったり、俺もなかなか忙しい。
俺は密かに決心する。いつか、こいつを一発ぶん殴ってやる。
俺はトレジャー公に向き直った。
「確かにドラゴンは強い。魔力も体力も最強クラスだ。だが人間のテクノロジーや魔法技術は、時にそれを上回る。それに、ドラゴンには大きな弱点がある」
「弱点だと?」
「そうだ。お前たちは、マナが無くなれば動けない。気がついているだろう? ニューワールドではマナが減る季節があると言うことに。それは自然現象なんかじゃない。敵の仕業だ」
「苦し紛れに戯言を。マナは神がもたらす恵みだ。マナの供給を絶つなぞ生き物に出来る訳がない」
「嘘じゃない。お前らの敵はこの世界の“神”だからな。ニューワールドを造った存在がお前達を滅ぼそうとしている」
ウエルは、せせら嗤う。「ネズミの分際で神を侮辱するか?」
……説得は逆効果か。
その時、違和感を覚える。
何かがやって来る。この感触……覚えがある。
(マスター。近くに転移して来る者の存在を検知)
(カザセ様! 強力な魔力の持ち主。王宮の外です)
妖精と小剣が、同時に俺の脳内で叫んだ。
奴らだ。
邪神“スプランクナ”。
「レガリア王、シルバームーン。敵が来る」
「……そのようだな。我も迎え撃つ」と王。
「お供致します」と近衛隊長のレイク。
ウエルとトレジャーも異変に気がついたようだ。
「一体どうしたと言うのだ? この邪悪な気は何か?」トレジャー公爵は不安そうに王に尋ねる。
俺は王の代わりに答えてやった。
「敵さ。お前達、そして俺の敵。邪神“スプランクナ”だ」
◆
エトレーナをその場に残し、慌てて外へ飛び出す。
竜達も俺の後を追う。
王宮を出た俺達が見たものは、空から見下ろす二つの影。
人間を遥かに超えた美しい女と、その女に相応しい精悍な顔つきの男。
女の方には見覚えがあった。スプランクナのリーダー“脳”
俺を見ると、微笑んだ。
男の方は初めて見る顔だ。俺に気がつくと、憎々しげにこちらを睨む。
やや長めの黒い髪に、これまた人間の水準を遥かに超える整った顔。
魔術師のような服が、風に煽られてはためいている。
男は燃えるような目でじっと俺を睨み、目を離さない。
禍々(まがまが)しい気が、この男から放出されている。
どんな恨みを俺に対して持っているのか知らないが、お前のような美男子はこちらも願い下げだ。
(システム正常に稼働中。いつでも召喚可能です)妖精がささやく。
(距離500にアパッチ戦闘ヘリを2機。対戦車ミサイルを準備)
(了解です。マスター)
空中に浮かんでいた二柱の邪神が、ゆっくりと地上に降下して来る。
レガリア王が言う。
「カザセ殿。あやつらが貴公が戦った敵だな? マナさえあれば我は負けぬ。攻撃するぞ」
「待ってくれ。様子が変だ。向こうの出方を見よう。あいつらと本気で戦えば、レガリアも只ではすまない」
「……分かった。貴公がそう言うならやむを得ぬ」
地上に降り立った美しい邪神“脳”は俺に手をふる。
そして大声をあげて、呼びかけてくる。
「カザセ~~お取り込み中だったかしら?」
紛らわしい事を……まるで俺がお前らの仲間みたいじゃないか。
そうでなくても、スパイの疑いをかけられているんだ。
突然、暴風のような、ごぉーっという凄まじい音がした。
レガリア王が叫ぶ。
「ウエル将軍! 早まるなっ!」
ウエルがドラゴン・ブレスを邪神に向けて吐いたのだ。
カッと開いた口から伸びた火炎放射が、敵を襲う。
瞬時に邪神の二柱は燃え上がった。
ドラゴンブレスは、超高温の炎だ。数千度で全てを焼き払う。
熱いっ。
ブレスからは距離があるのに、身体が燃え上がるように熱い。
王が翼を広げ、熱放射から俺をかばってくれた。
邪神達を覆っていた炎がゆっくり消えていく。
殺ったのか?
だが……
何も変わらずに、邪神はそのまま立っていた。
男の右手が黒い盾を掲げ、隣に居る“脳”を守っている。
“脳”は、まるでギリシア彫像の女神のように微笑んだままだ。
俺は、男の呟きを確かに聞いた。
「クソが」
盾を捨て、自由になった男の右腕がウエルを指差す。
――この男は強い。俺よりもドラゴンよりも。遥かに。
「撃つなっ!」
男の掌から光の矢が放たれ、ウエルの前脚に着弾する。
大きな爆発。破裂して飛び散る肉片。
ウエルは右の前脚を失う。どくどくと流れる青い血。
すぐに地面がドラゴンの青い血の色に染まる。
「……なん……だと」
身体を支えられずに、どうっと地面に倒れ込んだ。
「……流石はドラゴン。思ったより頑丈だ。だがしょせん主人に歯向かう家畜にすぎない」
男は二発目を撃とうと、ゆっくりと掌をウエルに向ける。
(チェーンガン、撃てっ!)
アパッチの30ミリ機関砲が火を噴く。
邪神の周囲が、砲弾の爆発で膨れ上がった。
だが、30ミリでは邪神に効かない。牽制にしかならない。
俺が次に取った行動は、自分でも意外だった。
傷ついたドラゴンの前に飛び出し、両手を広げる。敵からの射線を自分の身体で塞ぐ。
殺させはしない。
ウエルは苦しそうに喘いだ。
「何のつもりだ……お前の……助けなど」
「死にたくなければ、口を閉じていろ」
……自分でも不思議だった。何故こいつを助けようとする? ウエルが殺されるのは、むしろ望むところじゃないのか?
いや、そうじゃない。
味方を守り見捨てない。どうやらそれが俺に最後まで残っている誇りというものらしい。
おかしな話だ。今の俺は軍人と言うより傭兵なのに。明らかに優先順位を間違っている。
「カザセ! 無茶よっ、早く戻って!」シルバームーンが叫んだ。
確かに敵が撃てば俺も死ぬ。
だがそれは……敵に俺が撃てればの話だ。
邪神は怒りに震え、掌を俺に向けた。
「いい気になるなよ。お前なんぞ……」
「止めなさいっ」 慌てた“脳”が男に飛びつく。「殺しちゃ駄目っ! 不味い事になるわ」
やはりな。思ったとおりだ。
奴は俺を撃てない。少なくとも今は俺を殺せない。
時間が巻き戻される前に“脳”は言っていた。
俺を守ってくれた守護者“黒い翼の天使”と、敵の“創造主”の間で合意が成立したと。
両者の間で一時停戦が結ばれたのは明らかだ。
だから敵軍は撤退した。
停戦中に俺を殺せば“天使”は黙っていない。
そして“天使”と戦うことは“創造主”も望んでいない。神にも似た二者が直接戦えば、この世界が壊れてしまう。
そして所詮、邪神“スプランク”は“創造主”の手下だ。ボスに逆らう事は出来ないのだ。
「お前がカザセ ユウだな?」 男が悔しそうに言う。
「そうだ。貴様は?」
「くそっ。俺の事が分からないのか? 俺は“脊髄”。お前に滅された男だ」
“脊髄”。
“隕石落とし”でレガリアを滅ぼそうとした邪神か。
俺の核攻撃で死んだ筈なんだが……そうか……時間が巻き戻ったせいで生き返ったんだ。
「あなたと話し合いをしに来たの」“脳”が言う。
「話だと? いいだろう。しかし、その前に」
俺はシルバームーンに言った。
「すまない、ウエルを診て欲しい。血を止めてやってくれないか」