天使
◆
砲弾は目標点に到達し、力は解き放たれた。
大軍勢の上空で核爆発が起こる。ここから30kmほど北だ。
空の半分を覆う光に、美しい邪神は眩しそうに目を細める。
「あなた……あなた、一体、何を……したの?」
閃光が収まり、視覚が元に戻ってくる。
爆発の起こった北の方角に、きのこ雲が立ち昇っていた。
アパッチが叫ぶ。
『敵軍勢、東端、500m上空で核爆発。敵ワイバーン全滅。地上軍のおよそ三分の一が熱放射で消失。衝撃波が発生しています。爆風による戦果拡大中』
巻き込まれて死んで行く敵兵士の事を考えると、俺は一瞬後悔した。
しかしその気持を無理やり押さえ込む。俺にはこの手段しか無かったのだ。
小剣が俺に呼びかけた。嫌な予感がする。
(カザセ様っ!)
(何だ?)
(来ます。星が……星が……落ちて)
なんだと? 俺は愕然とする。
“脊髄”は核爆発で死んだ筈だ。
術を扱える筈は無いのだ。
それでも不安を感じた俺は、空を見回す。
東に輝く一個の大きな星。
ニューワールドの明るい空を背景に、それでも眩しく輝く大きな星。
……“隕石落とし”。発動している。
すでに術が……完成してしまっている。
核爆発は術者の“脊髄”を殺せなかった。
爆発から距離があったのか? それとも強力な防護手段を持っていたのか?
星は見る間に、長い光の尾を引き始める。
……来る。こちらに来る!……落ちてくる。
隕石……なんて可愛いもんじゃない。直径が数百メートルはある小惑星だ。
あんなもんが落ちてきたら……レガリアは滅ぶ。
大地が抉られ国は消し飛ぶ。後には巨大なクレーターしか残らない。
――俺は失敗したのだ。
『カザセ』
呼びかける男の声が脳内に響く。“脊髄”だ。
くそったれ。俺を嘲るつもりなのか?
『カザセ……』
言葉は途切れ、奴は苦しそうに喘ぐ。核爆発は、確かにダメージを与えていたのだ。
もう一歩……もう一歩で……滅することが出来た筈なんだ。
レガリアを救えた筈なんだ。
『お前の……勝ちだ……人間に負ける……なぞ』
何と言った?
今、何と言った?
『俺の……最大の……屈辱』
見上げると、星は長い光の尾を引きながら頭上を通り過ぎて行く。
勝った……のか?
防げた……のか?
核爆発は確かに奴の術を妨害していたんだ。
そのせいで落下軌道がニューワールドの大気に対して浅くなったのだろう。
水切りの小石を川へ投げ込めば、石は水の表面に弾かれ飛んでいく。
それと同様に、星はニューワールドの大気に弾かれたのだ。
“隕石落とし”の術は完成していなかった。
星はニューワールドには落ちずに、飛び去って行く。
突然、ロウソクの炎が燃え尽きるように、ふっと“脊髄”の気配が消えた。
『脊髄。逝かないでっ! しっかりしてっ!』
必死に呼びかける“脳”。
『脊髄! 脊髄! 答えなさい。あなたは死なない筈! あなたは不滅の筈! 返事をしなさいっ!』
(邪神の反応……消滅しました)
小剣が呟いた。
◆
次の瞬間、俺は弾き飛ばされた。
数メートルは吹き飛び、地面に投げ出される。
無様に背中から落ちた。息ができない。
呻きながらも、なんとか身を起こした俺が見たものは、黒い霧に包まれて立ち上がる“脳”の姿だった。
「いつまで、わたくしに覆いかぶさっているつもり?」
「助けたつもり……だったんだがな」
さっき“脳”は“脊髄”の元に転移しようとしていた。
向こうに行けば核爆発で消えていた。
引き留めようと“脳”に覆いかぶさったのは、不可抗力だ。
そこまで考え、俺は苦笑する。
“脳”を助けた? 俺は大馬鹿だ。
彼女が“脊髄”と一緒に死んでくれた方が、俺にとっては好都合だった筈。
案の定、“脳”は俺に片手を向ける。
――殺すつもりだ。
「やってくれたわね……カザセ。“脊髄”は消滅した。そしてわたくしの可愛い軍隊は壊滅した。
満足かしら? でも、その償いは、今ここでしてもらう」
召喚しておいた10式戦車が、まだ邪神を狙っているのを確認する。
主砲を撃てば爆発に巻き込まれて俺は死ぬ。撃たなければ邪神が優しく俺の息の根を止めてくれる。
いずれにしろ俺は死ぬ。
「……1つ教えてくれ」
「命乞いなら無駄よ」
「何で、俺と最初に会った時に殺さなかった? 何でわざわざ俺を丸め込もうとした? お前なら簡単に殺せた筈だ」
どう考えてもおかしい。核兵器を別にすれば、俺の戦闘能力はせいぜいドラゴン一匹と渡り合える程度だ。そして、“脳”は核兵器の事は知らなかった。
それなのに、あまりにも俺を用心し過ぎている。
「さあね? あなたがわたくしのタイプだったから……とでも答えればお気に召すのかしら?」
「そいつは光栄だ。だが残念ながらお前は俺のタイプじゃない……安心して本当の事を言ってくれ」
邪神は黙り込んだ。
不自然な沈黙に俺は確信する。多分、予想は当たっている。そんな気がした。
「お前は怖かったんだ。俺の背後に居る存在と敵対したくなかった……違うか?」
美しい邪神は、微笑みを浮かべる。
そして何かを言おうとした。
だが突然、驚愕のために大きく眼を見開く。
「創造主様!」
彼女は慌てて膝を折り、空中の一点を見つめる。
「カザセ、もう遅い。慈悲を願いなさい。苦痛なく殺してあげたかったけど、それはもう許されない」
空中に光の点が集まり、集合したそれが渦を巻く。
何かが来る。俺は背筋がぞっとした。これは……俺が見ては……いけない……ものだ。
人間が……見ては……いけない……もの。
「慈悲を乞いなさい。無駄な抵抗は苦痛を長引かせる。生きるより苦しい地獄を、永遠に味わいたくは無いでしょう?」
そして、それは実体化した。
◆
溶ける……精神が溶ける……この苦しさは何だ?
この存在は……なんだ?
これが、ニューワールドを造った……創造主……か。
圧倒的な存在感を持つ何者かが、俺を中から貪っている。
……無理だ。耐えられない。
恐ろしい苦痛が俺を襲う。
(死ねると思うな。我に刃向かった報いを、これより永遠に受けよ)
……死ぬ事は許さない
……気を失う事も許さない
……狂気に逃げ込むことも許さない
俺は……俺は……俺は
すまない。エトレーナ。シルバームーン。
俺は……耐えられそうに……無い
(大丈夫)
その時、何者かが俺を包みこむ。
苦痛が急に無くなり、柔らかな感触を感じた。
(……お前は?)
俺を包んでいる存在は答えない。
幻影が浮かんだ。
その幻影は、美しい女の姿だった。天使の姿にそっくりだ。
天使は大きく腕を広げ、俺を守るように創造主の前に立ちはだかっている。
……これは俺の脳が勝手に造り上げた虚像だ。
この存在をイメージするのに、俺には天使しか思い浮かばないって事なんだろう……多分。
……笑ってくれていい。
(ほう? 自分の道具に過ぎない男を守る為に、正体を曝け出したか?)
創造主の言葉に天使は何も答えない。
(愚かな。今まで我から隠れていたのは一体何の為だ)
天使は口を開く。
(私の眷属に手を出さないで。あなたが出てくるのなら、私は黙っていない)
(そんなに熱くなるな。ちょっとした悪ふざけだ。お前と直接やりあう気は無い。そんな事をすれば、ニューワールドは消し飛ぶだろう。それはうまくない)
創造主の気配が消えていく。
(この場は退こう。しかし、ようやく会えたな。それは大きな収穫だ)
――助かった。助けられた。
天使の姿も消えていく。
(お願い。エトレーナ達をこれからも守ってあげて。頼りにしているわ)
それだけ言うと完全に消え去った。
……訂正しておく。
彼女を天使と呼ぶのは間違いかも知れない。
何故なら、彼女の背中にあった翼は白ではなく、黒かったからだ
初めて見た純粋な闇の色。煌めく漆黒の翼。その美しさを俺は表現出来そうもない。
◆
気がつくと、目の前に“脳”が居た。
「戻って来れたみたいね……良かったじゃない」 邪神はそっけなく言う。
「結局、あなたもわたくしと同じ存在だったって訳ね」
「同じ……存在?」 俺が邪神と同じ?
「ええ。わたくしは、創造主様の手足。そしてあなたは、あのいけ好かない存在の手足。あの人達同士は強すぎて直接戦えないから、わたくし達が戦ってあげなきゃね」
「いけ好かない存在?……“天使”のことを言ってるのか?」
「“天使”? ……あなたには、そう見えたの? そう見えたのなら、そうなんでしょ。“天使”でも“神”でも“悪魔”でも“雇い主”でも“ご主人”でも、好きに呼んだら。それはあなたのご自由に」
美しい邪神は続ける。
「わたくしの創造主様とあなたの“天使”との間で合意が成立した。わたくし達は今の状況を受け入れない。こちらの損害が大きすぎる。……だから創造主様は時間を巻き戻す事を決定された。あなたの“天使”もそれに同意したわ。文句があるのならそっちに言って」
時間を……巻き戻すだと?
周囲の景色が滲みはじめた。
すぐに周りには光しか見えなくなる。
「じゃあね、カザセ ユウ」
邪神は、思い出したように言葉を加える。
「あなたがわたくしのタイプって言ったのは本当よ。……また会いましょう」
◆
周囲の時間が巻き戻っているのが、光の向こう側にうっすらと見えた。
時間を戻すと聞いて、安心したのを否定出来ない。
核兵器を使った事実は、無かった事になるのだろう。
俺は夢を見ているような気分で、ぼんやりと考えていた。
あの“脳”たちは、元は人間だったらしい。創造主は彼女らを作り直し、自分の手足として使っている。
俺も“天使”の手足と言う点では同じらしい。ただ大きく違う点がある。
あの天使は俺を人間のままで使っている。化物に造り変えてはいない。
人間の俺に力を与えるため、“天使”はトライデント・システムをくれた。そう言うことなのか?
恐らくインフィニット・アーマリー社自体も、あの“天使”の道具だ。
確かに力をくれるなら、魔法よりも兵器召喚システム“トライデント”の方が俺には向いている。
俺は道具に過ぎないのかも知れないが、それでもあの邪神とは違う。
俺の仕事は守ること。
エトレーナ達、ユリオプス王国を防衛すること。
突然、エトレーナの声が聞こえた。
「……カザセ様。このロック鳥のソテーが美味しそうです」
気がつくと俺は“カリニャンの素敵亭”に居た。
そうか。時間は巻き戻り、俺は今エトレーナと食事中なんだ。
「カザセ様、どうされました?」
なんでも無い、と告げる俺にエトレーナは心配そうにこちらを見た。
俺は気がつく。なんてこった!
ここは“脳”と会った場所なのだ。
邪神はまだそこに居る。事態はまだ終了していない!
慌てて、“脳”の居たテーブルを見ると彼女は居た。
俺をじっと睨んでいる。
そして、ふっと微笑みゾクっとする流し目を俺によこした。
顔をそむけ、立ち上がると出口へと向かって歩み去る。
今は俺と争う気は無いらしい。
「綺麗な方ですね」エトレーナが呟く。
デート中に他の美人に目を奪われると言う、重大なマナー違反をやってしまった事に気がつき俺は慌てた。
「向こうが俺たちを睨んでいたんだ」
「そう……なんですか?」
「そうだ。多分、俺達が羨ましいのさ」 苦し紛れに言った言葉だったが、俺は考え直す。
本当に“脳”は俺達の事が羨ましかったのかも知れない。
「じゃあ、許してあげます」 エトレーナはそう言って笑う。
永遠にこの時が続けばいい。俺は心の底からそう願った。