申し出
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「カザセ殿……そこにいるのはカザセ殿なのか」 カミラが眠りからさめたようだ。
気を利かしたつもりなのか、妖精の姿が消えていく。
「マスターご注意を。間もなくニューワールドへの強制転移が始まります。あの世界は私達を手放すつもりは無いようですね。引き戻そうとしています」
未来の俺は、日本にいる時間は長くは無いと言っていた。
この引き戻しを知っていたのだろう。俺は随分とニューワールドに好かれているようだ。
「どれくらいここに……新宿に居れる?」
「20分ほどかと。その後、元の村に戻されると思います」
「随分と短い里帰りだったな」
妖精は微笑み、姿が完全に消え去る。
俺は足元にあった魔剣ノートゥングを掴むと、カミラの元に歩み寄った。
◆
カミラは俺の上着を羽織り、両手で前を押さえていた。
目線を合わせると、すぐに下を向いてしまう。
「体調はどうだ。さっきは手荒な真似をしてすまなかった」
「……謝るのは私の方だ。面目ない。あんな化け物に心を惑わされた。情けない話だ」
彼女は俺と目を合わせようとしない。
声の様子から察するに、邪神の影響は完全に解けているようだ。
しかし彼女の心にあるであろう屈辱感を思うと、慰めの言葉がかえって逆効果になりそうで俺は黙ってしまう。
魔剣ノートゥングの柄に手をかけた。
そして剣の心に呼びかける。
非常事態とは言え、本当なら彼女からこの剣を奪うような真似はしたくなかった。
(ノートゥング、ご苦労だった。カミラ・ランゲンバッハの元に戻れ。彼女はもう大丈夫だ)
(……カザセ ユウ。主を救ってくれて感謝する)
(感謝するのは俺の方さ。力を貸してくれて助かった)
カミラは俺からノートゥングを受け取ると剣を両手で抱きしめた。
しばしの沈黙が場を支配する。
ふとカミラが俺の背後に目をやった。
視線の先を追うと、新宿の高層ビル群だ。
夜の闇を背景に、明るく浮かび上がっている。
彼女にとっては見慣れない風景だろう。
「ここは何処なのだ? こんな景色は見たことがない」
「訳アリで異世界に転移された。心配する必要は無い。すぐに元の場所に戻れる」
「……綺麗な建物だ。あれだけ大規模な魔法の灯りは見たことがない」
カミラは夜空を背景に光るビルを、しばらく黙って眺めていた。そして決心したように俺に向き直る。
「カザセ殿、頼みがある」
「なんだ?」
「さっき私が口走った事は忘れて欲しい。あれは、気の迷いだ。……思ってもいなかった事を化け物に言わされてしまった」
「思ってもいなかった事?」
カミラは赤くなって再び目を反らす。
「あの……その……あなたはイジワルだ。分かっている筈だ。お願いだ。忘れて欲しい」
勿論、分かっているさ。
さっきカミラが邪神に投げかけた言葉から、彼女が俺を好きなことに。
「残念だな。俺は一生覚えている。忘れられるものか」
俺は、カミラの顔に掌を伸ばす。
俺の指が彼女に触れるとカミラは一瞬ビクッとした。しかし俺を拒まなかった。
そのまま、彼女を抱きしめると彼女の形の良い唇に俺の唇を合わせる。
彼女の匂いに包まれながら俺はしばらくの間、抱きしめる。
「俺も君が好きだ。気づいていなかったか?」
カミラの愛を拒否するつもりはなかった。
哀れみの心からではない。彼女の事を好きだと言った言葉に嘘はない。
好きな女が苦しむ姿を放っておけるほど俺の心は強く無い。例え愛する女性が二人になろうとも。
カミラが俺から身体を離し、呟くように言う。
「あなたは悪い人だ」
「褒め言葉と受け取っておく。好きな女からは“あなた、いい人ね。でも……”でいつも済まされてきたからな。自慢じゃないが無害な男として筋金入りだ」
カミラは少しだが笑ってくれた。
「エトレーナ陛下はそんな事を言わないと思うが」
周囲の景色が薄れてくる。転移が始まったのだ。
やはりニューワールドは俺たちを手放すつもりは無いらしい。
カミラが、自分から抱きついてくる。俺は彼女の顔に自分の顔を寄せた。
彼女は耳元で囁く。
「……ここは不思議な場所だ。山のように高い建物がいくつもある」
「俺の故郷なんだ」
「カザセ殿の故郷?」
新宿の風景は光の中に解けていく。もう見分けられない。
「あなたの故郷なら、もう少し見ておきたかった」
俺は未来の“俺”の姿を思い出す。
奴はエトレーナとカミラを引き連れて東京にいた。
あいつの成し遂げた未来を俺も勝ち取れば、俺にもその権利が出来る筈だ。
「今度じっくり案内するさ。約束だ」
◆
転移が終わり、俺たちはコックェリコの村に戻った。
さっき邪神と戦った村の入口近くの場所だ。
カミラは慌てて俺から身体を離す。
まだ少し元気は無いが、いつもの彼女を取り戻しつつあるように見える。
「禁呪を使ったジーナが心配だ。仲間といったん集まろう」
と言っても皆はどこに居るのか?
『ようやく帰ってきたのね。どこ行ってたのよ。まったくもう!』 脳内に突然、呼びかけてきたのはシルバームーンだ。
『すまない、ちょっと訳ありで話せば長くなる。ジーナの様子は?』
『大丈夫……よ。状態も落ち着いてきたし。敵は?』
『消滅した。とりあえずの脅威は無い』
『そう。あんたの事だから何とかするとは思ったけど、助けに行けなくて悪かったわ。こっちも大変だったの』
『みんな何処に居る?』
『最初の場所よ。へりこぷたーが降りたところ』
『分かった。すぐ行く』
俺はカミラと共に仲間の場所へと急ぐ。
◆
中型汎用ヘリ、ブラックホークの側に仲間達が集まっていた。
大田少尉の姿もあった。少尉は俺の姿を認めると片手を上げた。
戦闘が苦手でずっとヘリの中に閉じこもっていたレイラ・ロブコフも、外に出ていて俺を迎える。
彼女はエトレーナの片腕で、実質的にユリオプス王国の城下町の統治を任されている有能な実務家だ。
「ご無事で何よりです」
エトレーナが抱きついて来る。
「カザセ様。ご無事で」
俺はエトレーナを強く抱きしめる。
さっきカミラを抱いたばかりのこの腕で、エトレーナも抱くのかと少し罪悪感を覚えた。
しかし、ここは日本じゃない。
二人を不幸にしないようにするのは俺の覚悟次第だろうと思い直す。エトレーナにもいつか話そう。
「ジーナは?」
「シルバームーンさんの魔法で小康状態です。今はヘリの中で眠っています」
「彼女は大丈夫よ。しばらく安静にしてれば問題なし」
とシルバームーンは請け合うが、彼女自身の顔色が悪い。
疲れて消耗している。
「私のとっておきの魔法で直してあげたし。あのオチビちゃんには感謝して欲しいものだわ」
偉そうな言葉とは裏腹に、シルバームーンの身体がふらつく。
俺は思わず彼女を支える。
「ありがと。生命力移送の魔法を使ったから、ちょっと身体に効いたわ。でも少し休めば大丈夫よ」
「シルバームーンさんは、ご自身の生命力そのものをジーナに分け与えたんです。通常の治癒魔法が効かなくて」
なんてこった。つまり……自分の命を削ってジーナに分け与えたと言うことか。
「……いつもすまない」
「私が勝手にやったことよ。気にしないで」
俺とカミラはジーナの様子を見に、ヘリの中に入る。
ジーナはすやすやと眠っていた。
顔色にも赤みがさしていて、これなら大丈夫そうだ。
俺は胸をなでおろす。
カミラもホッとしたようだ。
しばらく二人でジーナの様子を見ていると、ヘリの外側が騒がしい。
様子を窺うと、村人10名ほどがエトレーナを取り囲んでいた。
村長が彼女と言い合いをしていて、少尉が止めようと分け入っている。
穏やかじゃない。
俺は慌てて、ヘリの外に飛び出した。
◆
「エトレーナから離れろ。手荒な真似をする気なら、こちらにも考えがある」
俺が声を荒げると、獣人の村長がまるで飛び跳ねるようエトレーナから離れた。
「め、めっそうも無い。私どもはカザセ様とお話をしたかっただけでございます」
「後にして欲しいと頼んだのですが、聞いてもらえなくて」
とエトレーナ。
「彼らにも休みは必要だ。ここは出直そう」大田少尉がとりなすように言葉をはさむ。
「いいえ、太田さん。カザセ様はお急ぎのご様子。お時間を頂くにはこれ位しませんと。チャンスを逃してはいけません」
村長は、俺に向き直る。
「カザセ様が行ってしまうのではないかと心配でした。急いだあまりの非礼は、なにとぞお許しください」
「一体、何の用だ?」
「……とりあえず、食事をお持ちしました。村を救っていただいたほんのお礼です。喉を潤す酒も用意しております。お話はその後で」
見ると、村人の獣人が持っている荷物は食事を入れた入れ物のようだ。
手回しのいいことに、大き目の折りたたみテーブルと椅子も用意されている。
……村を救った礼だけではないな。
わざわざ多人数で押しかけて来たのは、何か追加の願い事だ。
まあしかし。俺も仲間も空腹だし、王国から持ってきた食事は保存優先で美味くはない。
飯くらい振舞われてもバチは当たるまい。
「助かる。丁度腹が減っていた。皆で頂くとしよう」俺は答えた。
しかし、俺の考えは甘かった。
◆
旨い食事の後で、村長に持ち出された願いは俺の予想を超えていた。
「この村を属領にしてくれと言ったのか? ユリオプス王国の?」
そこまでして、ユリオプス王国の統治下に入りたいのか。
俺はエトレーナと顔を見合わせる。
何らかの同盟の申し出は予想していたが、属領にしてくれと言うのは考えていなかった。
第一ユリオプス王国はニューワールドに来たばかりで、国としての形もまだ十分に整っていない。
「ちょっと待ってくれ。いきなりで話についていけない」
「村長さん、私たちの国に属領を抱えるほどの余裕はございません。王国としての体制もまだ十分に整っていませんし」とエトレーナ。
俺たちの現状を言えば正直、難民のようなもんだ。
「陛下、なにを仰います。余裕が無いからこその属領でしょう。我らの村は多少の税負担には耐えられます。王国の一部として我らをお守りください。お願いです」
少尉が言う。
「風瀬さん、実はこの村は頼る相手を探していたのだ。今までこの周辺は平和だったが、いまや暴力の荒れ狂う場所と成りつつある。腕に覚えのある兵士の多くが失われ、もはや我らには自分達を守る実力は無い。ただ相手は誰でもいいという訳じゃない」
「ザフスカーフの軍や、あの化け物をいとも簡単に退けた実力。加えてあなた方には強力な竜族が味方についている。そして何より大切な事は、風瀬さん。あなた方は信用出来る。村に圧政を強いるようには見えない」
実力以上の過大評価だ。しかし少尉は俺の目を見据える。
「風瀬さん、あなたは自分から見て未来の日本から来た。そうだろう? その筈だ。この村の運命を預けるとしたら、自分はあなたにお願いしたい」
やはり、大田少尉は気がついていたか。
「いいじゃない。悪い話じゃないわ。頼ってくる弱者を守るのは強者の義務よ。私の国レガリアだってそうしてきたのだし」シルバームーンが言う。
しかし、このタイミングでか。俺は迷った。