男
◆
俺は剣に命じる。
(邪神エルムの動きを止めろ。全身を拘束しろっ!)
右手の大剣が輝く。蓄えられているマナが燃焼を開始し、剣は命令を実行に移す。
カミラの身体を弄び、貪っていた少年の動きが止まった。
(今だ)
カミラと邪神はもう目の前だ。
だが俺は、気がつく。
少年の動きは確かに止まった。しかし大剣のマナ消費量が大きすぎる。
動きを止められるのは1分も無いだろう。
(風瀬様。早くっ! 保ちませんっ!)
カミラから見れば、少年を引き離そうとする俺は敵だ。
その彼女を連れて、安全な距離まで逃げるのには時間が足りない。
不十分な距離から、ヘリからミサイルを撃たせれば爆発に巻き込まれる。
(プランB……間に合え)
持っている大剣を投げ捨てる。
5秒経過。
少年を蹴り飛ばし、カミラを思い切り抱き寄せた。
カミラは抵抗するが、邪神の影響下にある為だろう。その力は弱い。
押し倒し、彼女の腰に手を回しもつれ合う。
20秒経過。
目的はカミラの魔剣を奪うこと。
切断の概念を封じ込まれた強力な魔剣ノートゥング。
その刃で邪神を攻撃できれば、勝ち目はある。
カミラは俺の意図に気がついたのか右手をつかむ。
魔剣の柄に手をかけた俺の手を引き離そうと、押し上げる。
俺は力を振り絞り、思いっきり剣を鞘から引き抜いた。
魔剣は自分で使用者を選ぶ。俺に扱えるか?
『ノートゥング。力を貸せ』
『……カザセ ユウ。汝を主と認めよう。我を使って魔を撃て』
カミラがノートゥングを奪い返そうと柄に触れるが、触れた途端、彼女の身体は跳ね上がり地面に投げ出された。苦しげに呻く。
魔剣は俺を主と認め、邪神に操られている今のカミラを拒否したのだ。
(すまないカミラ。すぐ終わらす。すぐに返す)
俺はノートゥングを手に持ち立ち上がった。
少年は、ゆっくり顔をこちらに向けた。笑いながら。
まだ拘束は有効だ。少年は立ち上がれない。
「喰らえっ!」
魔剣を邪神の胴体に向かって振り下ろす。
「詰めが甘いよ」
……振り下ろす剣が、強力な力で抑え込まれる。
「動けなくても力は使える。お楽しみを邪魔されて、僕は機嫌がとても悪い」
……知っていたさ。
お前を倒すにはマナが足りない。
しかし、この一太刀。カミラを侮辱したお前に、せめて一太刀……
「黙って見てればいいのにさ。人の愉しみを邪魔する奴は地獄に落ちるよ」
邪神の魔力が俺を襲う。
目の前の視界が急激に狭まる。息が……息が出来ない。
俺は……死ねない。死んだらカミラが……弄ばれ殺される。
死ねない。俺は死ねない。
(風瀬さんっ!) 妖精の叫び声がした。
最後に聞く女の声としては大いに不満だ。だから俺は今は死ねない。
残った力の全てを魔剣ノートゥングに込めた。
最初から1分はとうに過ぎた。
拘束は解け、少年は立ち上がる。
◆
動け魔剣ノートゥング。俺は全ての力を腕に込める。
……動かない。
剣が動かない。
俺は少年の目前で、剣を構えた彫像のように動きを止める。
意識が遠のいて行く。
男の声がした。
『終わりか? それで“英雄”のつもりか』
邪神の声じゃない。魔剣の声でもない。
年を喰った男の声だ。
幻聴……だろうか?
いや違う。幻聴じゃない。
俺はこの声を良く知っている気がした。
ひ孫のフロレンツが未来から助けに来てくれたのだろうか?
……違う。フロレンツでもない。
『一度だけ手を貸してやる』
『……誰だ?』
『お前が一番良く知っている男だ』
突然、邪神の魔術に抑え込まれていた魔剣ノートゥングが動き出す。
魔法が無力化されたのだ。身体も動く!
(……いける)
俺は力を振り絞り、少年に剣を振り下ろす。
「何で動けるっ?」
魔剣の黒い刃が邪神に触れた。
ノートゥングが封じ込めている“切断”の概念が解き放たれ、結果が無条件で確定する。
「うそだあああっ。認めないっ。認めないっ。僕は認めないぞっ!」
全ての抵抗を無視し、あっけなく少年の胴体が二つに切り裂かれる。
決められた結果には誰も抗えない。例え邪神であろうとも。
(やったか?)
切断された断面から青い体液がほとばしる。
まだ俺の攻撃は終わらない。二度目の斬撃を繰り出す。
追加効果“衝撃”が発動。
邪神の残りの肉は、全て霧となって吹き飛んでいく。
邪神は、人間の身体を失い本性を表した。“大腸”の姿、のたうつ腸管の姿だ。
巨大な腸管がぐねぐねと蠢きながら、端から解けてドロドロとした液体に変化していく。
「まだやる気か?」
「……おニーさん、ナにモのなの? ナまエを教えて」
「お前に名乗る名は無い」
溶けていくドロドロした腸管の端から、何本もの細かい管が驚くほどの速度でカミラに伸びた。
彼女の身体に巻き付き、カミラは痛みの声を上げる。
脅迫のつもりか。
「おニーさん。ナにモのなの? コたえて」
「……風瀬 勇だ。満足したか?」
「かザせ ゆう。かザせ ゆう」
今だ。
俺はカミラに絡みつく触手に駆け寄り、剣を振るう。
“切断”そして追加効果“衝撃”が発生。
“大腸”が伸ばした管は粉々になって吹き飛んだ。
邪神は最後の力をふり絞る。
どろどろに溶けたスープの上に、もう一度少年の顔を形作った。
胴体は無い。顔だけだ。
その顔だけの存在はにっこりと笑う。
「お兄さん、人が悪い。早く言ってよ」
顔は再びドロドロと溶け始める。
「お兄さん……英雄カザセ……だったんだ。……ズルイ……勝てる訳ない……じゃないか」
邪神だった液体は地面に吸い込まれていく。
(勝った。俺の勝ちだ……)
◆
身体が震える。
(どうした?)
目の前が暗くなる。全身の震えが止まらない。
(まさか……)
邪神の魔法がまだ消えていない。
身体から力が抜け、ひざまずく。
「カミラ……」 俺は横たわるカミラに手を伸ばそうとした。
「カミラ……」
そこまでだった。
力尽きた俺は地面に崩れ落ちる。
◆
冷たいものが顔に当たり、俺は目覚めた。気を失っていたようだ。
雨だ。雨が降っている。
「気が付いたか」 男の声が聞こえる。
ここは……どこだ。空が……暗い。もう夜になったのか?
ぼんやりとした意識のまま、俺は周囲を見回す。
公園……なのか? 蛍光灯の街灯が見えて、その下に男が立っている。
異常事態に、俺は慌てて上半身を起こす。
公園?蛍光灯?? ここはニューワールドだぞ。
なんでそんなものが見える? 俺は猫耳の獣人族の村で、邪神と戦っていた筈だ。
遠くに背の高い建物の群れが見えた。
……ウソだ。
嘘だと言ってくれ。あれは。
……闇夜の空を背景に浮かび上がる建物は、新宿の高層ビル群だった。
見間違える筈がない。
あのビルが見えるところに俺は昔、住んでいたのだ。
ここは東京のどこかだ。ひっそりとした、そこそこの広さの公園の中に俺はいた。
まさかカミラを置き去りにして、俺だけ東京に戻ってしまったと言うのか?
「カミラ……カミラっ!」 俺は必死で彼女の名を叫ぶ。
辺りを見回す。
いない。
彼女をあの場所に放って来た……
いや。
カミラを見つけた俺は安堵した。
あそこだ。あそこにいる。
……よかった。
カミラは公園のベンチの上に横たわっていた。
慌ててそばに駆け寄る。彼女は……大丈夫だ。生きている。
眠っているようだ。
顔色もさっきに比べれば良くなっている。
胸には包帯が巻かれ、手当てがされていた。
「反省することだ。二度と彼女をそんな目にあわせるな」
俺は声の主に目を向けた。
中年の男。いや初老と言ってもいいかも知れない。
街灯の下にたたずんでいる。
上等そうだが地味な茶色のスーツを着ていて、同じ色の帽子を目深にかぶっている。
ここからは横顔しか見えない。
この男が、戦いで力を貸してくれたのか。
「あんた、誰だ?」
男は、こちらに横顔を向けたまま笑った。
顔に大きな傷がある。酷くて醜い傷だ。
顔の半分近くを覆っている。
「まだ誰だか分からないのか? まあ、その方が都合がいい。お前の上司と名乗っておく。俺はインフィニット・アーマリー本社の重役だ。お前のような平のオペレーターでは会えないほどのな」
インフィニット・アーマリー社の上司……俺の雇い主と言う訳か。
妖精が息を呑むのを感じた。
人間の姿で、慌てて俺の隣に実体化して来る。
「あなた……だったのですね。私に指示を出していたのは。……そうか。あなただったんだ……ようやく、からくりに気が付きました。何で今まで気が付かなかったんだろう……」
「妖精、久しぶりだな。元気そうで何よりだ」
確かに俺の上司なら、妖精にとっても上司だろう。
しかし、この驚き方は大げさだ。上司と会ったくらいで何でこんな驚く?
突然……恐ろしい考えが頭に浮かんだ。
インフィニット・アーマリー社の上司が俺を東京に戻した。意味するところはつまり……最悪だ。
「俺はクビか? 待ってくれ! まだ任務に失敗した訳じゃない。絶対に何とかしてみせる」
任務を失敗したと判断され、俺は東京に戻されたのか?
そんな事は認められない。
「クビ? 勘違いするな。ここに連れて来てやったのは、一種のボーナスだ。お前にはまだ給料を払って無いしな。お前はこれから数十年の間、日本に戻れない。束の間の時間だが日本を良く味わうといい。そこのカミラ・ランゲンバッハと一緒に」
良かった。俺はほっとした。
またあの世界、ニューワールドに戻れるのだ。
俺を待っている世界に。
俺は言った。
「何十年、日本を離れようが別に構わない。ホームシックなんぞになるものか。そこまで感傷的じゃない」
「どうだかな? お前はそこまで強くはない。無駄な強がりは止めておけ」
この中年の男は俺を助けてくれたのかも知れないが、性格の悪いクソ野郎だ。
いくら上司とは言え、偉そうな態度が鼻もちならない。
「さてと、この辺で失礼する。後は任せる」
男はそう言うと闇の中に歩み去って行く。
苛つく野郎だ。だいたい何でこの男は、自分の横顔しか見せないんだろう?
(!?)
男の行く先に、二つの人影があるのに気がつく。
両方、女だ。
そして、女達が何者なのか気づいた俺は、呼吸が止まりそうになる。
一人はエトレーナ、もう一人はカミラ。
同じデザインのフォーマルなドレスを着ているが、色が違っている。
エトレーナは白いドレス。カミラは黒。
俺は慌てて、ベンチに座って眠っているカミラをもう一度見た。
彼女はまだそこにいる。
じゃあ、あの男と一緒にいるカミラは誰だ? それになんでエトレーナがここにいる?
混乱して女達を見ると、エトレーナらしき女が微笑みながら礼を返した。
カミラらしき女が、恥ずかしそうに礼を返す。
おかしい。
二人は相変わらず、とても美しい。
だが俺の知っている彼女らに比べ、年齢が上なのだ。
「じゃあな。元気でやれよ」
そう言って、男は右手を夜空に掲げる。
奴の手の中には剣。
……小剣だ。
見間違える筈も無い。アザーテスの小剣。俺の小剣と同じだ。
俺の剣は、腰の鞘に収まっていると言うのに。
突然、俺は気がつく。男の正体に。
そうか……そう言うことか。
大きくて酷い傷に気を取られていた。
傷の為に人相が代わっているんだ。
……あの男は……
「出でよ。大剣」 男が声を上げると、小剣は大剣に変化し、マナが燃焼を開始する。
辺り一面が真昼のように明るくなった。
もの凄いマナの量だ。
間違いない。あの男は俺だ。未来から来た俺なんだ。
「待ってくれ。あんたは俺だろう? そうなんだな? 聞きたいことが山ほどあるんだっ! 待つんだっ! 待てっ!」
フロレンツは、エトレーナが二年後に殺されると言っていた。誰だ。誰に殺される?
どうやれば回避出来る。教えてくれ。頼む!
「俺はうまくやった。エトレーナも死なせずにすんだ。ちょっとした呪いを顔に喰らったが、安い代償だ。俺は満足している」
男の存在感が薄れていく。転移が始まっている。
「お前が俺と同じ未来を歩むのか、それとも別の未来に行くのか。それはお前次第だ。だが1つ忠告しておこう。お前が戦ったスプランクナの一族は確かに危険だ。だが、全てが“大腸”のようにお前の敵に回るわけではない。“脳”を探せ。彼女を利用出来れば、お前の運命を変えることも可能だろう」
スプランクナとは、俺が戦ったあの少年“大腸”の一族だ。
「もっと具体的に言ってくれ。曖昧なのは嫌いなんだ。知ってるだろ?」
「甘えるな。これが限界だ」
男の姿はもう消える。
女達はすでに見えない。
「お前なら出来るさ。風瀬 勇」それが奴が残した言葉だった。
いや、最後にもう一言。
「周りの女達とはうまくやれ」
周囲は再び夜の闇に包まれる。
どこからかコオロギの鳴き声が聞こえた。日本はもう秋だ。
「……妖精。お前は知っていたのか?」
「いいえ、マスター」妖精は答える。
「インフィニット・アーマリー社の本社に一人だけ人間の重役がいます。姿を見せず声だけで部下たちに指示を出すのです。
あなたを採用したのも、この任務をあなたに押し付けたのも彼の指示でした。
その重役の正体は……さっきの男性です。未来の“あなた”だったんだ。
ようやく私にも分かりました。この仕事にあなたを巻き込んだのは、あなた自身だったんです。私も騙されていました。あの人、性格……悪いですよね?」
「確かにな」
「カザセ殿……そこにいるのはカザセ殿なのか」
こちら側のカミラが眠りから覚めたようだ。
分かっている。
あの男―未来の俺―が、俺とカミラを二人だけでここに転移した理由。
それを俺は分かっているつもりだ。
……それだけは感謝している。