カミラの危機
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ジーナの放った禁呪マ・ハマンは、術者の生命力を神に捧げて願いを叶える魔法だ。
彼女が禁呪に託した願い、それは邪神エルムを滅すること。
だが邪神の姿は消えない。少年の姿の邪神は、倒れたジーナに向かって薄笑いを浮かべる。
「ユウ……効かない……の。ユウ、ごめ……」
禁呪は容赦なくジーナの命を削り取り、彼女はそのまま地面に崩れ落ちた。
「馬鹿な子だ。そんな呪文が効くもんか。だいたい祈る相手を間違えている」
少年は倒れたジーナを眺め、嘲った。
「どうせ祈るなら僕に祈れ。自分を捧げるなら僕に捧げろ。そうすりゃ少しは考えてやったものを。消滅はしてやらないけどさ。まあ子供にあんまり興味はないから、勝手に死んでもらっても構わないけど、もったいない話だ。クズでも資源は有効に使わないと。ねえ、お兄さん?」
ジーナは動かない。
そばに居た少尉が慌ててジーナにかがみ込んだ。
俺もすぐに駆け寄りたかった。しかし必死で気持ちを抑える。
この化け物を何とかしなければならない。失敗すれば、皆が殺される。
「少尉。ジーナを連れて逃げろ。早くっ!」
ショットガンを捨て、腰の鞘から小剣を引き抜く。
アザーテスの小剣。この剣にはジーナの禁呪と同じく願いを叶える能力がある。
俺の切り札だ。
しかし、今はこいつだけに頼る訳にはいかなかった。
(カザセ様。申し訳ありませんが、マナ残量が1/10を切っております。ご注意くださいませ)
小剣が俺の心に囁く。
ジーナの禁呪マ・ハマンと比べれば、俺の小剣はもっと直接的で機械的な魔術道具だ。
万物の源であるマナを燃焼させ、そのエネルギーで使用者の願いを叶える。
この剣に蓄えることの出来るマナは莫大な量だ。
満タンなら一瞬でこの邪神も吹き飛ばせるかもしれない。
だが、今は駄目なのだ。
最大値の1/10のマナの量ではたいしたことは出来そうにない。
ユリオプス王国の住人をニューワールドに移す時に、ほとんどを使い切ってしまっていた。
……アザーテスの剣では、この邪神を倒せない。
「お兄さん。そんな玩具の剣で何をするつもり? まあ、ワンワン吠える事しか出来ない無能な番犬にはお似合いの武器だね。自分が何をしてるのかも理解してないでしょ? 可哀そうで涙が出てくる」
「余計なお世話だ。化け物め」
「化け物? 酷いこと言うなよ~ 一応、神様って呼ばれてるのに」
「化け物で十分だ。生き物全てを滅ぼそうとしている神なんて、いてたまるか」
「それ誤解。誤解だから。僕はザフスカーフの連中の気持ちを後押ししただけだよ。悪いのは彼らの方で僕じゃない。まあ、ちょっとは手伝ったけどさ。征服欲や殺戮の本能を少しだけ刺激した。ほら僕って欲望の守護者じゃない? そしたらさあ~。あいつら殺戮する事だけに熱心になっちゃって、他の欲望や快楽に目もくれなくなっちゃった。そんなつもりは無かったんだけどね」
邪神は、カミラに目をやった。
「世間には、こんな美しい女性もいる。欲望の守護者として、こちらの快楽にも目を向けるよう強く主張するよ。うん、神らしい事を今言った。お兄さんにも手本を見せてあげる。人生つまらなそうだし」
俺はジーナが禁呪を放った理由を理解した。
こいつは危険だ。この上なく。
しかし一つだけ確認したい事があった。俺にとっては重要な事だ。
「お前はニューワールドの創造神に仕えていると言った。そのお前がニューワールドを滅ぼそうとしている。それは“ニューワールド”の意志なのか?」
もしそうなら、こんな狂った世界にエトレーナ達を置いておく訳にいかないのだ。
「面倒くさいなあ。難しいことは仲間の“脳”に聞いて。僕のシンボルは“大腸”だし。頭脳派じゃないんだ。僕は自分のしたい事をする。それでいいと創造神も言ったんだ」
少年はつまらなそうにする。
俺との会話に興味を失ったようだ。
「お兄さん、本当につまんない。生きてて楽しい? 僕は今は人間じゃないけど、愉しみ方は知っている。好きにさせてもらうよ」
少年は再びカミラに目をやる。表情が変わった。
まるで幼児が面白そうな玩具を見るように目が輝く。
カミラはさっきから俺の側を離れようとしない。
まさか怯えているのか?
……俺はカミラの指が細かく震えている事に気が付いた。
くそっ。……なんてことだ。
少年はにっこり笑う。
「お姉さん、心配しないで。僕は殺しまくったり、そんな事はしないからね。この、ワンワン吠えるお兄さんはすぐに黙る。僕と楽しもう。なあに大丈夫、お姉さんなら僕と最後まで出来るよ。いやー楽しみー。人間だった時あんまり出来なくて、それが今でもトラウマでさあ。可哀そうでしょ?」
「……近寄るな。私に近寄るな。お願いだ」
「冷たいなあ。僕は“大腸”だからまだ紳士的だよ。仲間の“生殖器”とかに比べればさ。あいつはエグいよ。滅茶苦茶さ。僕の庇護に入った方が絶対に得だって。どうせもう逃げられない。覚悟を決めなよ」
くそっ。どうやったら勝てる?
今の小剣に十分な力は無い。
俺の脳よ。早く動け。お願いだ。
「僕はいつも自分のやりたい事をする。誰にも邪魔はさせない。でも無理やりはつまらないな。だからこれでどう?」
カミラの震えが止まった。
そして、びっくりしたように少年を見る。
「カミラ! よせっ!」
俺は焦った。カミラが俺の手を振り払い、自分から少年の方に歩き出したのだ。
……動かない。
俺の身体が動かない。彼女を止めようとするが身体が言う事を聞かない!
「……カザセ殿。いいのだろうか? 本当に私でいいのだろうか? あなたにはエトレーナ女王がいる」
俺に言っているのではない。少年に向かって、カミラはうなされたように口走った。
「もちろんだよ。お姉さんの事はずっとずっと好きだった。さあ、おいで」
そう言うと少年はカミラに向かって腕を広げる。
飛び込んでおいでと言うように。
「そいつは俺じゃないっ! 目を覚ませ。カミラ!」
カミラは反応しない。ためらうように一歩一歩、少年に近づく。
「……何をした? 貴様、カミラに何をした?」
「彼女の欲望をちょっと増幅しただけさ。いやあ、お兄さんモテるんだね? ついでにお兄さんのイメージを彼女の心に投影した。光栄に思って欲しいな。彼女から見たら僕はお兄さんなんだ」
「……本当に私でいいのだろうか?」
おずおずと歩むカミラ。
少年が広げる腕の中に身を任せ、カミラは抱かれた。
少年の背はカミラより少し低い。彼女は背を屈め少年を自分から強く抱いた。
そして少年の成すがままに、均整のとれた美しい身体を自由にさせる。
カミラの綺麗な金色の髪は乱れ、もみし抱かれる姿に俺の心を引き裂かれた。
邪神は勝ち誇ったようにカミラの肩越しに俺を見る。微笑みながら。
「カザセ殿、本当に私でいいのだろうか? ……私でいいのなら、もっと強く抱いてほしい。あなたがいつもエトレーナ陛下とするように」
カミラがかすれた声で言うのを俺は聞いた。
「お姉さん、カミラと言うんだね。いい名だ。僕もお姉さんが大好きだ」
ふ…ざ…けるな。
「お兄さんは、そこで見ていて。野暮だから邪魔しないよーに。いやー最高だね。こういうの大好きさ」
少年は、俺の様子を見て満足したように笑う。
カミラの顔を、わしづかみにすると自分の顔に近づける。そして彼女の唇を貪り吸った。
恍惚とした表情がカミラの顔に浮かぶ。
自分から少年の唇を強く吸う。
二人が口を離すと、ねっとりとした唾液がお互いの唇から糸を引く。
少年の両手がカミラの胸元にのびる。細い手が皮鎧の上から彼女の豊かな胸を弄った。
「えーい。邪魔だ」
少年は両手で、カミラの胸元を掴むと皮鎧を引き裂く。
人間の力では有り得ない。彼女は苦痛に顔をしかめる。
俺は目を背けようとした……出来ない。見る事しか俺には許されなかった。
少年の魔力が俺の目を、顔を、押さえつけて動かせない。
邪神は、丈夫な皮鎧の胴体部分をやすやすと引き裂くと、今度は中に見える胸押さえを力づくではぎ取った。
白い胸元があらわになる。
カミラの豊かな白桃のような形の良い半球が剥き出しになり、俺の目は引き寄せられる。
(カミラ……)俺は屈辱と怒りで自分の視界が歪むのを感じた。
少年は、晒された乳房を乱暴にもみしだく。
そして、その綺麗な白桃に口を近づけるとむしゃぶりついた。
「あぁぁぁ」
カミラが喘ぐ。
欲望に心を満たされ、少年に身を任せるカミラのその姿は俺にとって拷問だった。
少年の口から赤い液体が滴っている。俺を見て勝ち誇ったように笑う。
カミラの胸元をこちらから見れるように、向きを変えて見せた。
白くて豊かな乳房には酷い歯形が残り、血がどくどくと流れている。
「お兄さんもしたい? 駄目だよ。これは僕のものだから。あげないよーだ。柔らかくて気持ちいいー」
見せつけるように少年の手が、カミラの下半身に伸びる。
限界だ。
カミラが壊されてしまう。
もう躊躇している余裕は無い。勝てるかどうか分からないがやってみるしか無い。
(大剣よ。来い)
手の中の小剣が姿を変える。大ぶりの大剣に。
内部に封じていた大剣が表に現れたのだ。
剣の魔術回路に火が入る。蓄えているマナの燃焼が始まり、剣は俺の願いを待つ。
俺の命令で周囲の物理法則が改変されるのだ。
コマンド・ワードだ。正確に。間違いは許されない。
(邪神エルムが風瀬 勇に与えた拘束を無力化しろ)
剣が輝き、マナが一気に燃えた。
くそっ。
なんてこった。
……マナの消費量が大きすぎる。蓄えていたマナの半分が燃えてしまった。
拘束を解いたくらいで、これか。
神に逆らうということはこういう事か。
それでも俺は動けるようになっていた。邪神の拘束は解けた。
少年が不思議そうに俺の方を見る。
だがすぐ興味を無くし、またカミラを貪り始める。
消してやる。滅してやる。
剣だけには頼れない。兵器との合わせ技でいくしかない。
『アルファ2。目標は目の前のくそ野郎だ。ヘルファイア・ミサイル ロックオン』
俺は待機中のアパッチを呼び出した。
『……命令を拒否する。撃てない。あなた方を巻き込んでしまう』
『分かった。なんとかする』
俺は少年とカミラに向かってダッシュした。
(邪神エルムの動きを止めろ。少しの間でいい。全身を拘束しろっ!)
今の剣に邪神を滅する力は無い。マナの量が圧倒的に足りない。
しかし少しの間、動きを止める位は出来るはずだ。
カミラを引き離し、安全な距離まで逃げるのだ。
そして邪神に、ミサイルを食らわしてやる。
(警告を申し上げます)
(そんな事を言ってる場合か! やれっ! いますぐ)
少年とカミラはもう目の前だ。
少年は全く俺を見ない。
右手に持った剣が輝く。
大量のマナが燃焼を開始した。
カミラを貪る少年の動きが止まる。
(やったか?)
だが俺は、自分が大きな間違いをしでかした事に気が付いた。