獣人の娘
◆
俺達が村に向かって飛行を開始すると、局地戦闘機 雷電がゆっくりと警戒しながら飛んで来る。
こちらが敵を蹴散らしたのは見ていた筈だ。しかし、まだ信用するつもりは無いらしい。
まあそれは、そうだろう。俺も奴の立場なら同じ態度を取る。敵の敵が味方とは限らないからな。
護衛機のアパッチに指示を与えた。
『アルファ2、機関砲を相手に向けるな。刺激したくない』
『了解した。チェーンガンをオフラインにする』
常に銃身を雷電に向けていた30mm機関砲が、動きを止める。
戦闘機パイロットの視力は極めて優れている筈だ。こちらに発砲の意思が無いことを分かってくれたろうか。
さて、向こうはどう出るか。お手並みを拝見しよう。
雷電は大きく回り込み、俺のヘリ――ブラックホーク――と平行に並んで飛ぶようにコースを取る。距離は100mほど。
平行に飛んでいるのは、恐らく自分の機銃の軸線上にヘリを乗せないように注意しているからだ。
攻撃の意志が無いことを示しているつもりか。
いいだろう。
こちらの顔を見せてやる。少しは安心する筈だ。
そう決めて、俺はヘリのドアのロックを外す。
「ドアを開ける。注意してくれ。少し寒いぞ」
「ちょっと、ちょっと。扉を開けて大丈夫なの?」
「問題ない。こちらに敵意が無いことをあいつに示したい。安心させたいんだ」
ドアを開放すると、機内に外気が流れ込んでくる。
構わず外に身を乗り出し、戦闘機に向かって手を振った。
……取りあえず笑いかけたつもりだ。正直、自分の笑顔にあまり自信は無いが。
そう言えば、ドラゴンのシルバーリバーが俺の事を悪人面と言っていたのを突然に思い出す。
今度会ったら、ごくごく少数の女は俺の顔を精悍だと褒めてくれた、という事実を教えてやろう。俺の顔の名誉の為に。
雷電に動きがあった。風防ガラスが開く。
操縦士は飛行用ゴーグルを顔から外した。そして、ヘリについている日の丸をじっと眺めている。俺が召喚したこのヘリは陸上自衛隊仕様だから日の丸がついている。
操縦士は、こちらに手を振った。嬉しそうに見える。
表情の細かいところまでは良く分らん。しかし俺のカンからするとこいつは結構な男前だ。
操縦士は村を指す。一緒に飛んで来いと言うことらしい。
……信用してもらえたようだ。
俺の魅力的な笑顔も少しは役には立ったのかも知れないが、ヘリの日の丸の方が安心させる効果はあったようだ。
客観的に言えば、この世界では日の丸をつけているからと言って味方である保証は無い。
だが、あの操縦士は旧帝国軍人である可能性が高いと俺は推測する。
そうであるならば、日の丸の効果はある程度期待出来る筈だ。
ドアを閉じ皆に伝える。
「お招きに預かった。挨拶だけはしていこう」
「村に逃げ込んだ敵については心配は無いわ。優勢と見た村人が反撃してる。逃げ込んだのはせいぜい数名だし」
「そうか。それはよかった」
雷電の後を追っていくと、なんとか滑走路として使える土地が広がっていた。
ろくに手入れもされていない荒れた草地だ。
レシプロ戦闘機は降下を開始する。俺もヘリのパイロットに着陸の指示を出した。
◆
(妖精。あの雷電とパイロットの正体は分かったか?)
(残念ながらまだ確かな事は分かりません)
(前に見た旧型の召喚システム“鬼切”が絡んでいるんじゃないか?)
(いいえ。これは“鬼切”の仕業ではありません。そうであるなら私に見分けがつきますから)
“鬼切”は、大英帝国の企業が開発した召喚システムだ。
俺の使っている“妖精”ことトライデントシステムの前世代型にあたる。
前に見せられた映像では、帝国海軍の女士官が鬼切を使って艦艇を呼び出していた。
それが頭にあって雷電も鬼切絡みの兵器だと思っていたのだが、どうやらそうでは無いらしい。
ブラックホークは速度を落とし降下を開始する。そして雷電のそばに着陸した。
アルファ2こと護衛のアパッチ・ロングボウ戦闘ヘリは、上空で待機だ。
ヘリから降りると、先に着陸している雷電のそばでこちらを見つめる男の姿がある。操縦士か。
短髪で俺より5歳は若い。
なかなかの二枚目でキリッとしている。
自衛隊の募集ポスターに出せば、女性自衛官の志願者を沢山集められそうだ。
そして男のそばに駆け寄る若い女の姿。
!?
俺は息をのむ。女には猫のような獣の耳があったからだ。
獣人か? しかし耳以外は人と変わらない姿形だ。
質素な服に包まれた彼女の身体は、なかなかにセクシーで扇情的だ。
胸は大きいが、全体として猫を思わせるしなやかな身体つき。
エトレーナやカミラの美しさに目が慣れてきて、以前より美人の基準が厳しくなってきた俺だが、その俺が断言しよう。
彼女は野性的だが美人で魅力的だ。
「オオタさん、良かった! もう絶対に無茶しちゃ駄目です~」
猫耳の女は男に抱き付き、そのまま胸に顔をうずめる。
大田と呼ばれた操縦士は愛おしそうに女の髪をなでた。
女を抱いたまま、視線を俺に戻す。
横に立っているカミラが、こちらを向き何か言いたそうだ。
だが思い直したように、操縦士の方をキッと睨む。
俺は自分から自己紹介した。
「風瀬 勇と言う。ユリオプス王国の軍を率いている士官だ」
操縦士はまっすぐに俺の目を見た。
「あなたは日本人だろう? この世界の役割など借り物にすぎまい。本当は一体何者だ? それにその回転翼機。そんな機体は見たことが無い」
「……俺は傭兵だ。特殊な傭兵会社に雇われている。以前は日本国陸上自衛隊 第77戦車連隊所属の三尉だった」
「何を言っているのか良く分からない。自衛隊? 聞いたことが無い部隊名だ……」
「そういうあんたは一体誰だ? 名乗ってもいいと思うが?」
「……失礼した。自分は帝国海軍 飛行266戦隊所属の少尉、大田 一。……いや、今の自分に軍人を名乗る資格は無い」
男は少し躊躇したように見えた。そして決心したように言う。
「村を救ってくれたあなたには正直に言おう。自分は脱走兵だ」
◆
脱走兵だと?
どういう事だ。
「オオタさんは、脱走兵なんかじゃないです~ 何度も村を救ってくれた英雄ですっ!」
大田と名乗った操縦士に抱きついていた猫耳の女が、男の胸から顔を上げ俺を睨んだ。
なんで俺を睨む? 俺が脱走兵だと言った訳じゃないだろうに。
そして女は、ゆっくりと大田から離れ俺に向き直った。
「もしかしてあなた方は? まさか……そうなんですね。そう言う事なんですね」
なんてことだ。美しい姿が崩れていく。
……言い方が不適切だ。正確に言おう。別の種類の美しい姿に変わっていく。獣の姿に。
目が猫のように見開かれ、虹彩が変化する。
掌から獣の爪が飛び出した。
そして、ゆっくり口が裂け……この顔は猫というより豹だ。
発音がくぐもり、聞き取りにくい声で俺に言う。
「オオタしゃんを捕まえに来たのにゃん。 にほん へ連れ帰るなんてゆるさないにゃん!」
「いや。ちょっと待ってくれ。俺は違うぞ」
油断していた。
美人だと見とれていたのかも知れない。
「化け物め。そこで止まれ。カザセ殿に近寄るな」
すかさず抜刀したカミラが怒鳴る。
彼女の魔剣ノートゥングの刀身が白く輝き始め、低く唸る警告音を発した。
予想外の事態に俺の対応は遅れる。
彼女を傷つけずに無力化する手段が俺には無い。
この距離で閃光手榴弾を召喚すれば、味方を無力化してしまう。
こんなオープンスペースで獣人相手に効果があるとも思えない。
「待てグリブイユ! 早まるな」 操縦士はあわてて猫女を抑えようとしたが、女はそれを振り払い俺に襲いかかる。
「こいつの喉を噛み切ってやるにゃん。オオタしゃんを連れ帰るなんて許さないっ」
「ユウ。危ないっ!」
「カザセ様っ!」 エトレーナの悲鳴。
まずいっ。
勘違いしないでくれ。危ないのは俺じゃなくて猫女の方だ。
カミラの魔剣ノートゥングの威力は近接距離なら絶対的だ。獣人が対抗出来る訳がない。
相手を傷つけたくは無い。と言ってカミラに手加減もさせられない。
そんな事をすれば、今度はカミラが殺されてしまう。獣人は甘い相手では無い。
「警告はしたぞ」カミラが呟くように言ったのを俺は聞いた。
魔剣ノートゥングの輝きが増す。カミラは剣を正眼に構え動かない。
そばまで引き寄せて一気に斬り殺す気だ。
次の瞬間、猫女は死ぬだろう。
魔剣ノートゥングの間合いに入れば避ける手段は無い。
すまない。お前の命はここで尽きる。
その時、うしろから声が響いた。
「止まれ! そこの女! 私の前でいい度胸じゃない」
シルバームーン。
俺に飛びかかろうとしていた猫女――グリブイユは雷に撃たれたように慌てて動きを止める。
そして猫女は、愕然として声の主シルバームーンを見た。
……どうやら俺はまた、シルバームーンに借りが出来たらしい。
「私の正体が分かるわよね?」
「ド、ドラゴン……ドラゴンさま。まさか……なんで……ここに」
「いいから、カザセから離れて。早く」
慌てて男が、呆然としている猫女を引き戻す。
「すまない。こいつは感情が激しいが根はいい奴なんだ。こんな事をさせておいて言うのも気が引けるが、許してやって欲しい」
「彼女は余程、あんたが好きらしいな。引き離されると誤解して怒り狂ったか。モテる男は辛いな。俺には良く分からん世界だが」
「良く分からない?」
何故かカミラが俺の顔をまじまじと見て、溜息をつく。
そして諦めたように、剣を鞘に戻す。
『大田少尉は、脱走兵ではありません。私から説明させてください』
脳内に語りかける声がした。猫女じゃない。声が違う。もっと理性的な何か。
「誰だ?」
『私は雷電。そこの戦闘機が私です。この世界に少尉を連れてきたのは私なのです』