過去改変
◆
フロレンツは言う。
「女の好意に気がつけないってのは爺さんの欠点だ」
勝手な事を言いやがる。
二枚目のお前にそう言われると余計に腹が立つ……と言うのも褒めてるようで癪に障ったので、俺は言葉を飲み込んだ。
フロレンツは、あのドラゴンの美少女の事を良く知らない。だからそんな事が言えるのだ。
あの誇り高くて、クソ真面目で責任感が強く、ちょっと高慢なシルバームーンが、俺を好きだの愛してる……なあんて事は絶対に有り得ない。
自分の弟がそんな事を言っているのを知ったら怒りのあまりドラゴンブレスを吐きまくり、辺り一面が火の海になるであろう。
何でこいつが、そんな勘違いをするようになったのか分からないが、シルバームーンにとっても俺にとっても迷惑この上ない。
早く帰ってきてくれ、シルバームーン。俺は痛切に祈った。
彼女が戻って来さえすれば、この誤解は解ける筈だ。
しかし今は俺だけで、何とかしなければならない。
「俺とシルバームーンの間には何もない。ある訳ないだろう」
「嘘をつけ。甘い言葉で姉貴を口説いたのは知ってるんだ」
俺のことを、片っ端から女を口説きまくっている人間とでも思っているらしい。
一体そいつは、どこのどいつだ。少なくとも俺じゃないのは確かだ。
そんな事が出来れば、女の事で苦労していない。
どう対応すりゃいんだ?
困った俺は突然、妖精のアドバイスを思い出す。
こいつはシスコンだと彼女は言っていた。つまり姉に頭が上がらないって事だ。
「いい加減にしてくれ、シルバーリバー。難癖をつけに俺のところに来たのなら、姐さんの元にもどれ。お前みたいな竜は願い下げだ。帰れ」
俺は見逃さなかった。この鼻っ柱の強い竜族の男が一瞬怯んだのを。
やはりな。と言っても、こいつは俺の剣幕に驚いたんじゃない。
追い返されて、姉さんに怒られるのが嫌なのだ。
——こいつは本当にシスコンだ
妖精の見立ては当たっていた。シルバームーンを大好きでたまらないのは、俺じゃなくてお前の方だろう。
「分かった……いいだろう。姉貴から頼まれた仕事はやってやる。しかし姉貴にこれ以上手を出すな」
手を出すも何も、彼女の身体に手を触れたのは握手をした時だけだ。
しかし、こいつの頭の中はチャラいカザセのイメージで固定されている。
これ以上、女に関する会話は注意深く避ける必要がある。
今は戦闘の話をするべきだ。
「黒竜と戦ったと言ったな? 奴はどうなった?」
「……黒竜はしばらく戦場に復帰出来ない。奇襲が上手くいった。火力は向こうが上だがブレスの射程はこっちが長い。向こうは深刻なダメージを喰らっている。傷を癒すのに何日かかかる筈だ」
こいつはシスコンなのかも知れないが、戦闘に関する限り相当優秀のようだ。
黒竜と言うのは、竜の中でも強い部類だと聞いている。
一般的には、銀竜よりも格上らしい。
その黒竜をこの銀竜は退けたのだから、大したものだ。
味方として一緒に行動してくれるのは心強いが、取り扱いには要注意だ。
残りの敵はどうなったろう?
俺は脳内会話で兵器達と連絡をとる。
A-10攻撃機と10式戦車からの報告によれば、周囲に真正ユリオプス王国の軍隊は見つからない。
フロレンツのグラム・システムも敵軍を見つけられない。
奴らは忽然と消え失せた。
兵器を供給していた孟の裏切りを知り、この場は撤退したと考えていいだろう。
まだ警戒の必要はあるが、この場は俺たちの勝ちと見てよさそうだ。
よかった。
俺だけの力では無いが、エトレーナ達に顔向けが出来そうだ。
これで王国の住人達をニューワールドに呼べる。
(風瀬さん、おめでとうございます。でも一言いいですか?)妖精が言う。
(ありがとう。アドバイスがあるなら歓迎する)
(擬似人格としてでは無く、女性の一員として一言言わせてください。シルバームーンさんは、やっぱり風瀬さんの事が好きなんだと思います。どう見ても弟さんが正しいです)
(……前言撤回する。もうその話は勘弁してくれ。お願いだ)
◆
転移の門の向こう側には、住人が集まっている頃だ。
向こう側で待っているエトレーナ達と合流しなければ。
兵器の再召還も必要だ。
A-10攻撃機の活動時間もそろそろ切れる。一旦送還して再召喚すべきだ。
破壊された10式戦車も補充の必要がある。
「カザセ。言われたとおり敵の偵察に行ってやる。感謝しろよ」
シルバームーンがよこした弟の竜、シルバーリバーは周囲の警戒の為に竜の姿に戻り哨戒に飛び立って行く。
「カザセ様。では私は皆に勝利を伝えてきます」
リゼットは、軽く頭を下げると異界の門に向かって走っていった。
俺とフロレンツだけが、この場に残った。
そうなるように仕向けたのだ。二人だけで少し話しをしたかった。
「ひい爺さん、改めて、おめでとうと言わせてくれ。いよいよ”ニューワールド”への本格的移住が始まるって訳だ」
「お前にも感謝しないとな。いろいろ助かった」
「俺も最初は焦ったぜ。あんなレールガン装備の戦車なんて、出て来てはいけない物なんだ」
俺はフロレンツが、どうして俺の元に現れたのか知っている。
ひ孫が未来から来た理由は、本来は俺が戦う筈のない未来兵器―レールガン装備の戦車を見たからだ。
フロレンツの知っている“正しい”歴史では俺はそんなものと戦わない。
エイブラムス戦車が最後の敵の筈だった。
どうやら歴史が少し変わってしまっているらしいのだ。
この修正された歴史の中では、俺が生き残れるとは限らない。ひ孫はそれが心配で俺の元へやって来たのだ。
「だけどお蔭で、ひい爺さんと一緒に戦えて嬉しかった。子供の頃からの夢だったんだ」
この男らしからぬ、あけっぴろげの好意を示されて俺は戸惑った。
まさか、こいつもシスコンならぬグランパ・コンプレックス? いや、まさかな。
そんな言葉が存在するかどうかも知らないし。
突然、空間がぼんやりと光った。何かが実体化しようとしている。
身構える俺に対しフロレンツは何でも無い、と笑いかけた。
そして、実体化しつつある光の塊に向かって話しかける。
「イリア。どうした?」
光は、黒いローブ姿の小柄の少女の姿に変わる。
俺の妖精より進歩した進化した召喚システム―グラム・システム―の第一擬似人格だ。
元々無表情な子だが、今回はいつもに増して強張った顔だ。
「本社より出頭命令がありました。従わなければ強制転移の上、拘束されます」
「そうか。やはり来たか」
「時間旅行法違反の疑いが持たれています。マスターが歴史を不必要にねじ曲げたと」
「歴史を変えたのは俺じゃないぜ。俺は元の歴史に戻そうとしただけだ」
少女は悲しげな顔をした。
「分かっています。でも……」
「いや、責めてるんじゃない。俺の事をかばい切れなかったんだな。お前が苦労したのは知っているんだ。いいぞ分かった、イリア。今直ぐ本社に出頭する」
彼らの雰囲気が変だ。俺は気になって割り込んだ。
「出頭? どういう事だ。 何か面倒事に巻き込まれたのか?」
「大した事じゃない。ちょっとした本社の誤解だ。俺が勝手に歴史を変更したと疑われている。大丈夫だ。一旦戻って説明してくる」
「戻って来れるのか?」
「そうだな。まあ……。少しだけ時間がかかるかも知れない」
待ってくれ。
お願いだ。俺は一番大事な事を聞いていない。
「フロレンツ、頼む。戻る前に1つだけ教えてくれ。この歴史ではエトレーナはどうなるんだ? どうして俺はエトレーナと結ばれずにカミラと結婚するんだ?」
もっと早めに聞きたかった。戦闘でいろんな事が起り聞けなかったのだ。
……いや。それは嘘だ。
俺は多分、聞くのが怖かったんだ。
イリアが慌てて、フロレンツの身体に手を触れ、顔を横に振る。
「駄目です。これ以上、カザセさんに情報を与えてはいけません。過去が変わってしまいます」
しかしフロレンツはそれを無視し、俺に向き直った。
「ひい爺さん。もう予想はついてるんだろ? エトレーナ七世、つまりエトレーナ・カイノ・クローデットは今から二年後、敵に襲われ殺害される」
やはり……やはりそうだったのか。俺は彼女を守り切れないのだ。
「それで、生きる気力を失った爺さんを懸命になぐさめたのが、女騎士カミラ・ランゲンバッハ、つまり俺のひい婆さんって訳さ」
……どうにも成らないのか?
俺と結ばれないのはこの際どうでもいい。
彼女が幸せに生き永らえるのは無理なのか?
「……助けられないのか? 助けたい。彼女を、エトレーナを助けたいんだ」
「爺さん、それでは正しい歴史を変えてしまう。彼女は死なないといけない」
「正しい歴史もクソもない。そんな事は俺の知ったことじゃない! 俺はエトレーナを助けたい」
言ってから、しまった、と思った。
フロレンツは正しい歴史の中に生きている。正しい歴史とは俺がカミラと結婚する未来だ。
いや、しかし。俺には……
「どうしてもか? どうしてもエトレーナ7世を助けたいのか?」
「……すまない。どうしてもだ」
フロレンツは押し黙ったが、覚悟したように言葉を繋いだ。
「ひい爺さん。エトレーナ7世が死ぬのは俺が知っている歴史だ。しかしその歴史は誰かに改変されつつある。もう俺の知っている結果になるとは限らない。彼女を救うことは可能だ」
「止めてくださいっ! もう話すのを止めて。過去が変わってしまう!」 イリアは叫び、呪文の詠唱のように手を振り回す。
フロレンツの姿が瞬いて光の塊に変化する。強制転移されているのだ。
フロレンツの声が脳内に響く。もう姿が光に包まれて良く見えない。
(自由貿易連合国に行って見るといい。ヒントがある。トライデント・システムを強化するんだ。エトレーナや多くの人々を守るために力を蓄えろ。さもなければ多くの人が死ぬ。それが俺の知っている“正しい”歴史だ)
ひ孫の姿は完全に消えた。
(一緒に居れて楽しかった。じゃあな、ひい爺さん。達者でな)