大剣
◆
剣の女と少年の姿が、ふっと消えた。俺は現実の世界に戻り始める。城の中庭の景色が、徐々に周りに浮かび上がる。
頭が割れるように痛む。
突然、何かが俺の意識に入り込む。
誰か他人の記憶だ。見知らぬ人間の記憶が、無理やり俺の脳に注ぎ込まれている。
記憶の中身は……小剣と大剣のことだ。
俺には分かった。この記憶は、過去に剣の持ち主だった人間のものだ。
マスターだった男の記憶が高速で脳内再生される。願いを叶えて、嬉しかった記憶。人々に感謝された記憶。喜びの感情。
発動に失敗した記憶。愛する人を救えなかった記憶。叶えられなかった願いと苦い感情。
記憶には細かな情報も含まれていた。
剣の製作者、制作日時、魔力の付与者、叶えられる願いの制限について、剣への命令の方法などなど、膨大な情報が俺の脳に書き込まれる。
いまや小剣と大剣の正体がはっきり分かった。
極めて高度な、しかし今は絶滅した魔法文明によって造られたアーティファクト。それがアザーテスの大剣、小剣の正体だ。
しかし、強力ではあるが万能では無い。神器とは違う。俺はそれを理解した。
暴力的とも言える情報の流れが止まり、俺は一息つく。割れるような頭の痛みも消えた。
「小剣よ。勘弁してくれ。そんなに情報を詰め込まれてもこっちは生身の脳なんだ。ついていける訳が無いだろう…」
突然、五感が回復した。
女の泣き声。張り裂けんばかりの泣き声だ。そして、強く抱かれている皮膚感覚。
そして、回復した嗅覚が女の体臭を伝えた。
視覚が伝えるのは……俺の上半身はジーナに抱かれている。
「…ユウ。やだよ。なんで治癒魔法が効かないの。死なないで。お願い」 ジーナは俺の上半身を抱きかかえ、頭を抱えながらわんわん泣いている。
手は…俺の手は…動かせる。
抱かれたままジーナの背中に手をかけ俺は言った。
「ジーナ…大丈夫だ。俺は生きている。心配をかけた」
聞こえなかったらしい。彼女は俺を抱きしめながら、泣き続ける。
俺は彼女を強く抱きしめ、もう一度言う。彼女の耳元で。
「俺は生きている。泣かないでくれ。もう大丈夫だ」
ジーナの身体がびくっと反応した。びっくりしたらしい。跳びはねるように、俺から身体を離すと改めて俺の顔を見る。
「やあ、ジーナ。ほら、生きてるぞ」
「…生きてる。ユウが生きてる!」 彼女は、それだけ言うと再び俺に抱きつき泣き続けた。
「本当か。本当なのか? カザセ殿! 本当だ。生きている!」 俺は腕を強く握って来たカミラに笑い返した。
「大丈夫だ。幽霊じゃない。そんなに簡単に殺さないでくれ。もうしばらくは生きる予定だ」
(…カザセさん! 良かった。心配させないでください。
カザセさんが死ぬはずは無いと信じていましたが、心臓に悪いです。私はデリケートなんですから…
こほん。
オペレーターとのリンク回復しました。バイタル正常。トライデント・システム待機状態に戻ります)
いつもの聞き慣れた妖精の声が脳内に響く。少し泣き声に聞こえるのは気のせいだろう。
(心配をかけた。もう大丈夫だ)
(ところで、女性の思念と極めて濃厚なコミュニケーションをとっていましたが、あれは何ですか? 完全に私をシャットアウトしてましたよね。まさか…)
小剣の事を言っているのか?
俺の本能が警告する。答え方には気をつけた方がいい。小剣が、長い綺麗な黒髪の持ち主で、俺好みの清楚な女性…と言うのは黙っていた方が良さそうだ。まあ細かく説明する時間も無い。
(話していた相手は、小剣だ。大剣も俺たちの味方になった。詳細はあとで話す)
◆
ジーナは、しばらく泣き続けた。俺は彼女の肩を抱きながら、落ち着くまで待つ。
「エトレーナを救いに行く。一緒に来れるか?」
「…うん。もう大丈夫」
小剣は、公爵の死体の側に転がっていた。俺は剣を拾うと、自分の服で付いている血をぬぐってやり、鞘に治めた。
今のところはこれで勘弁してくれ。後で綺麗にしてやる。
大剣は、公爵の死体に握りしめられている。俺が小剣を身につけると、大剣は、ゆっくりと透明になり姿が消える。
問題無い筈だ。小剣さえ手元にあれば、大剣はいつでも呼び出せる。大剣は、小剣の制御下にあるのだ。
(武器召還。89式小銃)
俺は使い慣れた89式を呼び出すと、仲間を引き連れ中庭から城内へ向かう。
(戦闘ヘリ隊は、敵を掃討しろ)
5機のアパッチ・ロングボウ戦闘ヘリが攻撃を開始した。
◆
戦闘ヘリは城の周辺を索敵しながら、逃げ遅れた獣人をチェーンガンで攻撃している。
しかし、城の外に残っている獣人は多くはない。多くは城に逃げ込んだ。チェーンガンの発砲音も散発的だ。
「軍団長だ! …カミラ隊長も……いる」
「助かった。 …おい。 助かったぞ」
生き残っている騎士が、俺を見つけヨロヨロと集まって来る。
獣人の襲撃を避けながら、反撃の機会を伺っていたらしい。
来たのは十人ほど。皆、顔色が悪く苦しそうだ。
マナ濃度が薄くても動けると言うことは耐性があるのだろうが、耐え難い苦痛を感じている筈だ。
「女王は?」
俺はリーダーを務めているらしい若い騎士に尋ねた。
「申し訳ありません。…エトレーナ女王は…まだ城内と思われます。ヴェストリン隊長が向かいました……しかし…戻られておりません」 騎士は荒い息を吐いた。呼吸が苦しいらしい。
やはりラルフがエトレーナを救助に行き、聖剣の能力を解放したのだろう。
小剣の言った事と辻褄が会う。
「城のみんなはどうなった? 騎士隊はどこだ」
「城内の人間は、…およそ9割が…病に侵され動けません。…動ける者は…庭の礼拝堂で…動けない味方を集め…」
「分かった。後は何とかする」
城内は獣人が占拠している。外から城に逃げ込む敵兵もいる。
時間が惜しい。
小剣はエトレーナを加護している聖剣の効果がそろそろ消えると警告していた。
残っている味方も限界だ。
城内で立てこもっている敵の掃討はやっかいだ。少人数では限界があるし、兵器で叩き潰す事も出来ない。味方が囚われているのだ。エトレーナも。
急がないと。
大剣を使う時だ。
公爵の無知のせいで大剣は酷使されている。蓄えられているマナの残量は多くは無い…しかし、戦力の投入を惜しんでいる状況では無い。
城内の敵はせいぜい数百名の筈だ。それほど剣たちに負担はかかるまい。まだ、なんとかなる。
俺は腰から小剣を抜き、空に掲げた。
「アザーテスの大剣よ。俺の召還に応えろ」
掲げた小剣が、ゆっくりと透明に成り消えていく。入れ代わりに大剣が手の中に現れ光輝く。
「俺は願う。裏切り者のオディロン・アルドル公爵に味方し、罪無き王国人を蹂躙した獣どもよ。お前達に即座の死を。城を今直ぐ開け渡せ」
聞いたことのない苦痛に満ちた叫び声が、近くで上がった。反撃の機会を狙って隠れていた獣人達だろう。叫び声は数秒の間続き、静かになった。
大剣の光が薄れ、存在が消えていく。そして小剣に置き換わる。
小剣は、俺の手の中で合図をするように軽く振動した。
願いは叶えられました、小剣はそう言っている。
「こ、これは…」 カミラが喘いだ。
「ユウ! 何が起こったの? どうして剣がユウに従うの? …公爵の時とは比較にもならないマナの輝きが…」
(カザセさん、空間構造に乱れが…空間が歪んでいます。どうやったんです? 一体何を…どうしたんですか…)
「ちょっとした手品だ」 俺は呆然とするジーナたちに答えた。
「カミラ、ジーナ。城内に突入する」




