剣の姉弟
◆
俺は目覚める。
真っ暗で何も見えない。
身体に痛みは無い。
死ななかったのか?
(妖精。聞こえるか?) 相棒に呼びかけてみる。反応はない。聞き慣れたいつもの声は答えてくれない。
突然、穏やかな女の声が聞こえた。
妖精じゃない。別人だ。
あいつは、こんなにお淑やかな声じゃない。
「よかった。ようやくマスターとお話ができます。でも、私が散々呼びかけているのに無視されて、ちょっと悲しかったです。
カザセ様は無茶のし過ぎです。ご自分の命を大切になさってください。
それに私は、敵を切ったり刺したりするようには出来ていません。ちょっと痛かったんですよ」
(誰だ?)
「今は無理をなさらないでください。マスター―カザセ様―は現在、出血多量のために危険な状況にあります。痛みは感じていないと思いますが、それは錯覚です。
すぐにでもお助けしたいのですが、その前に済まさなければならない事がございます」
(答えろ。…お前は誰だ?)
「…申し訳ございません。挨拶が遅れました。私は、マスターの持っている小剣です。
アザーテスの小剣と申します。別名リミテッド・ウィッシュの宝剣と呼ばれる事もあります。その名前は好きではありませんが。どうぞよろしくお願い致します」
小剣か。お前は俺に力を貸してくれた小剣なのか。
突然、視覚が回復する。濃い霧のようなもやの中、俺はまるで雲の中にいるようだ。
現実感が全く無い。俺は死んでいる筈なのだ。
今見ている物は死につつある人間が見る幻にすぎまい。
目の前に、ほっそりとした綺麗な女の姿が、やけにはっきりと浮かび上がる。
(お前が小剣なのか? …俺は一体どうなってる? …ここは何処だ?)
「現在、マスターの主観時間を一千倍に引き延ばしています。しばらくお話する位は大丈夫です。
痛みも感じませんよね? マスターの位置は動かしておりません。敵の死体と一緒に、カザセ様の身体は地面に横たわっています。
そばには泣きながら呼びかけている女性が二名、それと少年が一名。いいえ、女性は合計三名ですね。
女騎士と女魔術師、それに、マスターの頭の中に住み着いている正体不明の女性。この方は妖精さんですか? それとも使い魔? 私の知らない、強力な力を持っているみたいです。
美しい女性三人をこんなに悲しませるのはいけません。本当に無茶はやめてくださいませ。お願い致します」
女は、軽く頭を下げた。綺麗な長い黒髪に黒い瞳。上品に微笑むその姿は育ちの良い、日本人のお嬢様に見える。
着ている服はエトレーナが着る王族用のドレスに似ている。
「マスターの記憶にある故郷の女性の姿を借りました。ほら、カザセ様と同じ黒い髪。綺麗でしょ?」
女は自分の髪を手に取り俺に見せる。この女の絹のような光沢で滑らかな黒髪に比べれば、俺の髪は黒い針金だ。
「さあ、恥ずかしがってないでマスターに謝りなさい」 女が言うと小さな影が浮かび上がる。
5歳位の男の子だ。女の腰のあたりに恥ずかしそうに纏わりついている。
まるで年の離れた姉と弟だ。
「この子が大剣です。敵の公爵が使っていた、アザーテスの大剣がこの子です」
「この子供が?」
散々俺たちを苦しめた大剣がこの子なのか。いや見かけに騙されるな! 俺は身構える。
無意識に腰に挟んでいた小剣に手が伸びる。だが、手は虚しく空を掴んだ。
今は腰に小剣は無いのだ。目の前の女が小剣だったのを思い出す。
俺の怒りを感じたのか、少年は怯えたように女にしがみついた。
「この子を許してやって頂けませんか? さっきの戦いは、この子なりに義務を果たそうとしただけなんです」
許す? 許すだと? こいつのせいでエトレーナは…あの公爵の毒牙に…。汚されたんだぞ。この大剣のせいで、あのくそったれの公爵の慰み者にされたんだ。
ジーナだって、小剣の助けが無ければ危なかった。
(お前たちは、一体どういう存在だ?)
「私たちは本来、二つで一つの存在です。大剣は膨大なマナを持ち、それを燃料に人々の願いを叶える魔術回路を備えています。
しかし構造が複雑で、魔術回路に余裕が無いのです。その為に幼い子供のような精神しか持てません。 疑うことを知らず、騙されて本来の持ち主を攻撃する事もあります。
今回のようにマスターに歯向かったのもそのせいです。
私、小剣の役割は大剣が暴走したり間違いを起こした時に、持ち主を守ることです。カザセ様の世界の言葉で言うならば、大剣の制御装置、そして一種の安全装置、それが小剣です。
簡単な願いを叶える機能もございますが、そちらは非常用であり主機能ではありません」
(しかし、今回、俺は随分苦戦したぞ。お前の助けを受けていてもだ)
女は、すまなそうに俯いた。
「返す言葉もございません。大剣は、大昔に宝物庫から盗まれた時に細工をされ、私の呼びかけに応えなくなっていたのです。ご安心ください。今は、完全に小剣の制御下にあります。
二度と今回のような真似はさせません。どうかお許し下さい」
「ご、ごめんなさい。もうしません。おゆるしください。ますたー」 少年は怖そうに俺の目を見ながら、詫びの言葉を言った。
これは反則だ。子供を怒鳴る趣味は無い。
…しかし、エトレーナが感じたであろう屈辱を考えると、やり場のない怒りが俺を襲う。
公爵は、エトレーナを慰み者にしたのだ。大剣の力を使って。
女が微笑む。
俺はカッとなった。
(何が可笑しい?)
「申し訳ありません。でも心配なさっているのは、エトレーナ女王の事ですね。
その事に関しては、ご心配には及びません。断言いたしますが、マスターが心配されている事は起こっていません。今の私は大剣と記憶を共有しているので分かるのです」
どういうことだ?
「確かに女王は危険な状態にありました。マスターの敵である公爵は、エトレーナ女王の心を操作して自分のものにしようとしました」
俺はジーナに起こった事を思い出す。公爵はジーナを操り、自ら獣人を求めるように心を弄った。あれと同じことをエトレーナにした筈だ。
「しかし、騎士の一人が危ないところで、自身の持つ聖剣の潜在能力を解放したのです。
”絶対守護”の能力だと思います。あらゆる魔法や物理攻撃を無効にして対象を守り、同時にステルスの能力により対象を見えなくします。大剣は聖剣の能力を破ろうとしたのですが、聖剣は守護に特化した専用剣で、打ち破るのは難しかったようです」
…ラルフかもしれない。いや間違いなくそうだろう。騎士隊長のラルフ・ヴェストリンがエトレーナを守ってくれたんだ。
よかった。 本当に良かった。 ラルフに大きな借りが出来た。
しかし、ラルフが聖剣使いだとは知らなかった。守護の剣か。
…そうか、ラルフは俺にも言わなかったんだ。目的を考えれば文句は言えないかも知れない。
女王を守る最後の手段だ。秘密なのは当然だ。
しかし、どうせならエトレーナを救うのは俺であって欲しかった。
分かっている。ちょっとした嫉妬だ。
公爵は俺を苦しめる為に、でまかせを言ったんだろう。悔しいが、敵の狙いは成功している。
大剣の少年と小剣の女は、突然、俺の前で跪いた。
「我々、大剣と小剣はカザセ様を真の持ち主と認め、忠誠を誓います。マスターと一緒に居させてください。よろしければ私、小剣を肌身離さずお持ちください。大剣は必要に応じて現れます」
小剣の女は顔を赤らめていた。いやなんで、そこで顔を赤くする? 感情表現にバグがあるぞ。
「手始めに、マスターの最初の願いを叶えます。
”生きたい”でしたね? 了解です」
女は少年の顔を覗き込んだ。
「頑張ってね。罪滅ぼしよ。マスターを完全に生き返らせて」
「うん。まかして。だいじょーぶ」
そして女は俺の方を見ると微笑んだ。
「時間の流れを元に戻します。くれぐれも無理はなさらないでください。それと」
女と少年の姿は薄くなり、消えかけている。
「エトレーナ女王は、マスターと最初に会った部屋で震えながら待っています。早く行ってあげてください。そろそろ聖剣の効果時間が切れる頃です」
「マスターとお話出来て嬉しかったです。また、いつかお話させてください! きっとですよ!」
小剣はそう最後に言うと、大剣と共に姿を消した。
気がつくと、俺は城の中庭に横たわっていた。




