状況開始 作戦名エクソダス
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ジーナの魔術師仲間である少年は、話を続ける。
「大気中のマナが、ものすごく薄くなったんだ。魔法が使い難くなって僕達は困っていた…そしたら王宮で沢山の人がバタバタ倒れ始めたんだ。怖かった。
みんな急に調子が悪くなるんです。騎士達も大勢が倒れた。ジーナの居ない間、僕は彼女の代行だったから、エトレーナ女王に会ってどうしようか相談しようとしたんです」
少年は俺のすぐそばに来て、顔を見上げる。
「慌てて女王陛下の部屋に行ってみると、騎士団長のラルフ・ヴェストリンが来てた。
陛下はラルフに肩を支えられて、苦しそうに立っていた。相談中に急に倒れたみたいなんです。右腕を押さえて凄く痛そうだった。
腕の部分が真っ黒になっていました。気分も凄く悪そうだった」
「どうなった?…エトレーナは…それからどうなったんだ」 俺は何とか、それだけ言った。
「それから…それから、女王陛下は、起こっている事をカザセさんに至急に伝えるようにと言いました。緊急事態だって。
そしてすぐに、意識が無くなったんです。ラルフと一緒に必死で声をかけたんだけど反応が無くて」
少年は目に涙を浮かべはじめた。そして自分が泣いている事に気がつくと、あわてて上着で涙を拭う。
「陛下のそばに居たかったけど、ラルフが、早くカザセさんの後を追ってニューワールドへ行けと言うんだ。それが一番重要だって。
僕に異界の門が開けるかどうか分からなかったけど、ジーナが大事にしまっていた魔法書の場所、僕は知っていたから。それで開門の呪文を調べた。
上手く行くかどうか分からなかったけどやってみた。
何度か失敗したけど、とうとう門は開いたんだ。門から転移してニューワールドに来れた」
「陛下に言づかった伝言の中身はこうだよ。”カザセさん、病気の進行が予想より早かったです。ごめんなさい、本当にごめんなさい。後のことをよろしくお願い致します。国民をよろしくお願い致します。
……最後にもう一度お会いしたかった”」
少年は厳重に封印を施した、書類らしき物を俺に押しつける。
「…何だ? これは」
「王権の譲渡書類だと陛下は言ってました。万が一に備えて用意してたって。カザセさんはユリオプス王国の国王に指名されたんです」
「馬鹿なことを。女王はエトレーナだけだ。俺はそんなものは受けん」
「…女王は…陛下はもう駄目かも知れないんです。いくら呼びかけても返事が無かったし、脈もほとんど無かった」
少年は、また泣き顔になった。
俺は何もかも放り出して、今すぐ彼女の元へ駆け出したくなった。
だが、自分の義務を必死に思い出す。王国の防衛義務を必死に思い出す。
衝動で動いては駄目だ。少年のくれた情報を整理し理解しようとあがく。
”病気の進行が予想より早かった”…それがエトレーナが一番伝えたかった内容だろう。
彼女の病気…そう。マナ不足で彼女の腕に出来ていた黒い出来物—腫瘍のことだ。彼女が恥ずかしそうに腕を見せたのを俺は思いだした。
エトレーナの綺麗な肌を汚していた醜い出来物。
原因は大気中のマナ濃度の不足。最後には、身体全体を覆い命を奪う、彼女はそう言っていた。王国民の身体にも同じ腫瘍が発生していると。
俺が見たときには、エトレーナの腕の腫瘍はごく一部を覆っていただけだった。少年の話だと、女王は腕を痛そうに押さえていた。そして腕は真っ黒になっていた。
腕全体を覆うぐらいに腫瘍が突然広がったんだ。大気から、マナがほとんど無くなったんだ。
胸や背中にも出来物が広がったのかも知れない。エトレーナはどんな気持ちだったろう。俺は心が痛んだ。
マナに適応して生き、その恵みを受けて繁栄してきた彼女たちは、マナが無くなればもはや生きていられない。
黒い腫瘍はマナ不足がもたらす致命的な症状の一つ。
ニューワールドへの移住は元々、時間が限られていた。俺はそれを知っていた筈なのに。
エトレーナが元気そうだったので、甘く見過ぎていた。余裕はまだある…と。
彼女は確かに言っていた。最後にはマナ不足のせいで国民は命を失うと。
召還システムが元に戻るのを待っている時間なんて、初めから無かったんだ。 手持ちの戦力で敵をすぐに殲滅すべきだった。
俺は甘すぎたんだ。大馬鹿だ。
くそっ。エトレーナもニューワールドに一緒に連れてくるべきだった。
お前が正体不明の敵にびびったせいでこのザマだ。全てはお前の判断ミスのせいだ。愚か者の風瀬 勇。
彼女は死ぬかもしれない。いや、もう死んでいるのかも。
後悔の念が俺の思考を奪う。
「風瀬さんは愚かではありません。判断は妥当でした。女王の症状は落ち着いていましたし、その時点でニューワールドに一緒に連れてきて、危険に晒す必要は全くありませんでした。
風瀬さん、お願いします。いつもの冷静さを取り戻してください。
今は一瞬一瞬が大事です。判断の間違いは、そのまま王国の滅亡に直結します。それはエトレーナさんも望んでいない筈です」 妖精が俺の思考に割り込んでくる。
「だが…彼女はもう…」
「女王はまだ亡くなっていません。少年の報告はあくまでも主観的なものです。この病気はデータが不足しています。 予後がどうなるかは誰にも分からないのです」
妖精の必死な声に、俺は少しの冷静さと、そして僅かな希望を心に灯す。
…確かに今の俺は動揺している。エトレーナの存在が俺の中でここまで大きくなっているとは、自分でも気づいていなかった。
後悔している間に彼女を殺してしまったら…それこそ俺には耐えられない。
不安を、無理矢理に噛み殺す。ここで間違えば、多くの人間を殺す。
それこそ、エトレーナは許さないだろう。
(妖精よ。分かった。俺は大丈夫だ)
「…良かったです。私はいつでもあなたと共に在ります。トライデント・システムの第一疑似人格として、私に出来ることは全てやるつもりです」
(感謝する)
エトレーナ達を、このマナが溢れる新天地、ニューワールドに連れて来るんだ。
豊富なマナに身体が晒されれば、身体も元に戻る。絶対そうだ。
そうに決まっている。
その為に黒竜も王子も全て実力で排除し、悪意ある敵を一掃する。 彼女達の為に、生活出来る場所を勝ち取る。
絶対に間に合わせる。
後悔は後でいい。
「ジーナ!」 俺は叫ぶ。
「ここに居るよ。 ユウ」
「ジーナも聞いていたな。 意見を聞かせて欲しい。皆の体調の悪化はマナ不足が原因と考えて良いか?」
「ユウもマナ不足のせいでおこる悪性の腫瘍のことは知ってるよね? ボクもユウと同じ考えだよ。 何らかの理由で大気中のマナが急激に減少した。皆が倒れたのはそれが理由だと思う」
「やはり、それしかないな。俺は王国へすぐに戻る。エトレーナを含め、倒れた人間をこちらに運んで来るんだ。マナが豊富なこの土地に来れば、治る筈だ。 ジーナは王国へ戻るために異界の門を開いて欲しい」
「分かった。一緒に行ってユウの為に門を開く。そしてボクも王国へ戻るよ。
動ける人間は多い方がいい」
「大丈夫なのか? 向こうはマナ不足だぞ。 異世界人の俺はともかく、君も影響を受けるかも知れない。 倒れるかも知れない」
「任せて。魔術師はマナの減少に耐性がある。マナ圧縮の特性持ちだからね。 その魔術師の中でもボクは最強の筆頭魔術師。筆頭と呼ばれるのは飾りじゃない」
これが本当に、あの甘えん坊のジーナなのか? 俺は彼女の一面しか見て居なかったのかも知れない。 いや、ジーナも成長したのだろう。住人の死体の山を見て考え込んでいたジーナを思い出す。
「カザセ殿。私を置いていくなんて言ったら許さんぞ」 カミラが言う。
「勿論だ…と言いたいところだが、向こうは聞いたとおりマナが希薄だ。カミラも倒れるかも知れないんだぞ」
「ユウ。カミラは魔法剣士だ。僕たち魔術師ほどでは無いけど、マナ不足に耐性がある。活動は可能だと思う」
「…分かった。カミラも来てくれ。手伝って欲しい」
「承知した。元よりそのつもり」
「カザセ。私はこのニューワールドに残るわ。
話を聞いていたけど、マナが薄くなってるそちらの世界でドラゴンの身体は維持出来ないと思う。動けないドラゴンなんて邪魔なだけだし。その代わりに」
シルバームーンは、俺の目をのぞき込むようにじっと見た。
「あなた達が戻ってくるまで、こちらで異界の門を守ってあげる。私が言った事覚えてる? 向こうの世界から門を使って転移して来れば、敵は気がつく。
大勢連れて、ニューワールドに戻って来るつもりなんでしょうけど、敵は黙って見てないわよ」
そうだ。 少年たち二人連れがすでに門を使った。敵はもう気がついてる。
待ち伏せされるかも知れない。
最悪の場合、俺が病人を連れてニューワールドに転移して来た時、敵のど真ん中で実体化する可能性もある。病人の中にはエトレーナも居るのだ。
あいつらが女王の存在に気がついたら、奴らのやる事は決まっている。
だからそうならないように、戻って来るまでシルバームーンは門を守ってくれると言う。
それは有り難いが、シルバームーン一匹で大丈夫なのか? 黒竜が再び襲って来るかもしれない。
「有り難いが、君が危険すぎる」
「大丈夫。何とかするわ。但し、これはあなた個人への貸しよ。必ず返しなさい」
俺の戦力に余裕は無い。ここはシルバームーンの好意に甘えるしかない。
「…勿論だ。借りは必ず返す。
ありがとう。シルバームーン。世話になってばっかりだ」
「ふふーん。やっぱり、あなたは私が思っていた通りの人。感謝してよね。
じゃあ、行きましょうか? ぼやっとしてられないでしょう?」
その通りだ。
状況開始。王国へ戻るぞ。
システムを起動しろ。
「兵器召還システム トライデント、緊急始動します」
まずは異界の門まで戻らなくては。門を通って王国へ戻るのだ。
敵は出て来るだろうか?
ここで呼べる兵器は、多くてあと二つ。