俺は悪魔でも魔神でもない
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「召喚出来た! やっぱりご先祖の言い伝えは正しかったんだわ!」
……聞き覚えの無い女の声に、俺は眠りを覚まされる。
昨夜、女を部屋に連れ込んだ覚えはない。いつもどおり一人で寝た。
ええと? 俺は……床に寝ている。ベッドは何処だ?
眠気を無理やり振り払うと、声がした方向を確かめる。
銀白色の髪をした、綺麗な異国の女と目が会う。
俺好みの、清純そうな女。
清楚な雰囲気の中に、隠しきれない色気が漂う。着ている服は、品が良くて高価そうな、薄めのドレス。 スタイルの良い身体のラインが見て取れる。
…しかし綺麗過ぎて現実感が無い。言わばテレビや映画の中にしか存在しない女性だ。しかもとびきり上等な。
やっぱり夢の続きだろう。こんな女を夢想するとは、俺もかなり欲求不満らしい。
まあ、夢と分かれば、それなりに。
……いや。やっぱり、ちょっと待て。
……違う。
唇を噛めば痛いし、ひんやりと肌寒い感覚もある。
俺の五感は、正常だ。
…現実だ。 この女は生身を伴った、生きている人間だ。確かに寝る時に少し呑んだが、今は酔っ払ってなどいない。自衛隊勤務が長かったせいで自分の適量は良く知っている。
女は、何か訳のわからない事を喋っている。俺に話しかけているらしい。
「な、汝、異世界の邪悪なる存在、しかし全てを支配する者…よ。 わ、私と…いや違った、我と契約を結べ。汝の力を我が為に使え。 さすれば、そうすれば…我を生け贄として与えよう。…与えます」
この女、見栄えはいいが、言っている事がおかしい。気が狂っているのか?
俺は一体どこへ運ばれたんだ?
女から目を離し、周囲を見回す。
見たこともない薄暗い50畳ほどの部屋。天井が高い。
周囲には炎がゆらめくランプが数個。
床には、俺を囲むように幾何学模様のようなものが白い線で描かれている。
…ゲームで見たことのある魔法陣のようなものの中心に、俺は居る。
傍目には、悪魔でも召喚しているような光景に見えるだろう。
視線を女に戻す。ジッと睨む俺の視線に気圧されたのか、銀髪女は泣きそうになった。
俺はかなり怖そうな顔をしているらしい。女を泣かせる趣味は無いが、今回だけは許して欲しいところだ。
女は必死な顔で俺に語りかける。
「お願いです。 どうか私の王国を救ってください。私はどうなってもいいです…何だってします。あなただけが頼りなんです」
涙を浮かべつつも、俺から目を離さない。
自分で意識するより先に、身体が動いた。
俺は女に駆け寄り、そして思い切り突き飛ばすと、自分自身も床に転がる。
その場所に鎖に繋がれた鉄球が、ぶんっと空気を裂きながら通り過ぎる。
何か大きな生き物が、扉から部屋に入って来ている。そいつからの攻撃だ。
暗闇から来たそいつを、ランプの灯りが照らす。
俺の目にはいってきたものは、こちらを睨みつけるひとつ目の巨人の姿だった。
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時間が前後するが、ここらで自己紹介をしておこう。
俺は風瀬 勇と言う。元は陸上自衛隊の三尉だった。
現在は、怪しい会社に雇われて試用期間中の身の上となる。
自衛隊は辞めたのは、とある事件のせいだ。
まあその……俺が引き起こしてしまったその事件は、国会でも取り上げられた。だから、読者の中には知っている人も居るかも知れない。
二年ほど前に政府は、自衛隊をPKO(国際連合平和維持活動)任務の為に某国へ派遣し、俺はそこで装甲車の分隊を指揮していた。
任務は、輸送部隊のトラックの護衛だ。
俺はそこで、ヘマをやらかした。
任務中に、住人を虐殺している反政府ゲリラを発見、そいつらを独断で叩きのめしてしまった…そいつが俺の起こしてしまった事件だ。
何が問題なのかって? 俺の隊の任務は輸送トラックの護衛であって、住人の保護じゃない。そこら辺の仕事は、同じくPKOで派遣されてきていたイタリア軍の仕事だった。
つまり俺たちの保護対象に、現地の住人たちは入っていなかったんだ。
自分の隊が攻撃されている訳ではなかったので、住民の為とはいえ勝手に反撃するのは非常にマズイ。だがそれをやっちまった訳だ。
言い訳をさせてもらえば、本部に交戦許可はすぐに申請した。勿論やった。
だが、許可は直ぐには降りなかった。本部の想定外の事件という奴だ。 ぐたぐたやってる間にも民間人の死体の山が築かれていく。イタリア軍は何をやってるんだ、とか本部に聞かれたが、そいつはこっちが聞きたかった。
俺は結局、耐え切れず、三両の89式装甲戦闘車に攻撃を指示してしまう。
戦闘車の強力な主砲―90口径35mm機関砲KDE―が一斉に火を吹き反政府軍ゲリラの旧式車両と兵隊たちは一瞬で吹き飛んだ。
敵のRPG(対戦車ロケット)も同時に潰せたようで反撃は少なく、俺の分隊への被害は少なかったのは運が良かった。
基地に戻った俺はその場で拘束される。
権限を超えて、独断で交戦したのがその理由だ。
自分のやった事を後悔はしていなかったが、ただでは済まないと覚悟はしていた。
帰国後、一連の調査の後に俺は処罰を受ける。
国民や自衛隊の内部でも俺に同情的な意見も多く、世論を考慮したであろう処罰は俺の予想よりは軽かった。俺のことを庇おうとしてくれた上官も居た。
だが俺は自分の意志で自衛隊を辞職した。これ以上、厄介になるつもりは無かった。
殺されていく人間を眺めながらじっと許可を待ち、住人が皆殺しにされてから反撃するとか俺には無理だ。 そこまで精神的にタフではない。
もう軍人はこりごりだ。尉官にはなったが周りの人間に比べて、それほど自衛隊に思い入れがあった訳じゃない。 俺が軍人ってのが、そもそも根本的に間違いだったって事だろう。
性格からして民間でのんびり働くのが俺には合っている。昨今、日本にはブラック企業も多いらしいが、軍隊ほどじゃあない筈だ。公務員の身分は失うが俺は独り者で独身だ。
何とかなるさ。何とかならないかも知れないが、何とかして見せる。
いくばくかの退職金は出たが、遊んで暮らせる額じゃない。
過ぎたことは早めに忘れることにする。過去のことでグジグジ悩むのは俺の趣味じゃあない。
そこら辺は俺の長所だ。気分を変えてすぐに職探しを始めた。
◆
そういう経緯だから、職探しに自衛隊のコネは使いたくなかった。
だが悪友とも言える自衛隊の同期に、退職の挨拶をしに行った時、そいつは面白そうな事を教えてくれた。
軍の経験者相手に商売をしている、職業斡旋の会社があると言うのだ。
そこは外資系の会社で、世界中で手広く紹介業をやっているらしい。紹介される仕事は、海外での勤務になる。
「割の良い仕事もあるが、危険なのも結構あるそうだ。話の種に行って来いよ。 今度飲みに行った時にでも、どうだったか教えてくれ」
「戦闘職を再びやるつもりは無い。 命のやり取りは、もう御免なんだ」
「早合点するな。仕事はいろんな種類があるそうだ。戦闘職に限らない。行って来いよ。どうせ暇だろう」
この男は俺と縁を切るつもりは無いらしいが、俺への同情心は全く無いようだ。
まあ、こいつに心配されても困るんだが。
結局、好奇心に負けてその会社と連絡を取り、いくつかの仕事を紹介してもらった。
ほとんどはPMC(民間軍事会社)絡みの傭兵の類で、希望には合わなかった。 今更、米軍の下請けで輸送業務をやる気もしないし、やったとしても俺の性格では1日も保たずに、上官と喧嘩して終わりだろう。
しかし、一つだけ興味を惹かれた仕事があった。
外資の会社が募集している海外での仕事だ。内容は兵器売り込みの為のデモンストレーション要員。
各国の兵器を買おう思っている見込み客に、操作して実演して見せる仕事らしい。給料も結構良い。
陸戦兵器の経験者優遇とあるので、俺の経験とも合う。
その会社は、インフィニット・アーマリー株式会社といった。
多国籍の会社だが、幸いな事に日本の東京都渋谷区に支社があり面接は随時受け付けるとある。
紹介された翌日、さっそく携帯をかけてみると暇そうな若い女がでた。相手は日本語を話した。
紹介された斡旋会社の名を言い、応募したいと伝える。
電話したのは朝の10時位だったが、同じ日の午後3時に会いたいと言われた。
履歴書の持参は不要とのこと。今時アルバイトだって履歴書と職務経歴書を要求されるご時世だ。外資系の会社というのは、日本の会社と作法が違うのだろうか。
特に午後にスケジュールも入っていない。正直言うと暇だったので、俺はその時間でOKを出した。
冷凍食品の昼食を軽く済ませた後に、JRで渋谷駅に向かう。ハチ公口で降り20分ほど歩いた。繁華街から離れ、もう少しで住宅地に入るあたりの場所になる。
面接場所のインフィニット・アーマリー株式会社 日本支社は雑居ビルの3階にあった。ちなみにそのビルの1階はコンビニで、2階は歯科医だ。
「ようこそ。 お待ちしていましたわ。 風瀬さん」
無人受付にあった内線電話で到着を告げると、出てきたのは若い女だった。
声に聞き覚えがある。 朝に携帯で話した担当者だろう。 想像していたよりずっと可愛いい。
見た目は日本人だ。だが、微かに聞いたことのない訛りがある。
黒髪のミドルヘアにクリクリした大きな目。丈が短めの黒っぽいワンピースを着ていて、スラっと見える脚が綺麗だ。スタイルが良く身体の線がワンピース越しに良くわかる。
出るべきところはしっかり出ていて、くびれるべきところは…
…いや。止めておこう。今日は面接に来たのであって、そういう類の観察は控えるべきだ。
女は微笑みながら言った。
「そんなに見つめられると照れてしまいますわ。 気に入って頂けたのなら嬉しいですけど」
しまった。そんなにジロジロ見ていたつもりは無かったのだが。
「私は担当の渡辺ユカと言います。しばらく任務で一緒に行動することになります。 どうぞよろしく」
女は握手を求めて、俺に手を差し出す。
俺は差し出された柔らかい手を握り返すが、はっと気がつく。一緒に行動するって言ったな。と言うことはつまり…
「採用ということか?」
「ええ。あなたを気に入りました。規則で最初の三ヶ月間は、試用期間とさせていただきますが」
「こっちが言うことじゃないが、そんなに簡単に決めていいのか? 俺は、まだ自分のことを何も…」
与えている情報は、名前と自衛隊勤務経験者と言うことだけだ。たいした事は教えていない。
「風瀬勇さん。経歴は 陸上自衛隊 第19師団第7普通科連隊所属 の元三尉ですね。一昨年の11月にPKO派遣中に問題を起こした」
俺は身構えた。何で、それを知っている?
PKO中に俺が引き起こした事件は、誰がやったかの情報は公表されていない。
自衛隊の内部情報に詳しい外資系の会社…もっと用心すべきだったかもしれない。
渡辺と名乗った女は、書類をパラパラ見ながら話を続けた。勿論、そんな書類を俺は出していない。
「職務態度―良、 個人戦闘能力―優良、 指揮能力―可 追記:自身の判断を過信する傾向あり。 女性自衛官の人気―極めて高い。…あら妬けますわね。でも自衛隊を辞めたのは正解ですわ。当社では優秀な兵士はいつでも歓迎です」
こいつは絶対怪しい。俺のことを知りすぎている。
仮想敵国側の息のかかった会社なのだろうか。
まあ俺がWAC(女性自衛官)に人気があるって箇所だけは、明らかな間違いだ。あいつらが、そんな素振りを見せたことなんて絶対に無い。
…だが、それ以外の項目はだいたい合っている。
まあいい。少し様子を見よう。用心はすべきだろうが、疑いすぎて職に就く機会を失うのも勘弁だ。だが場合によっては、公安なり自衛隊にたれ込んでやる。
とりあえず採用してもらった礼は言い、仕事の内容と条件を確認をする。
今日のところは、あまり時間が取れないと言われたが、概略を教えてもらった。
試用期間中も社員と同じ給料が支払われ、命の危険が無い仕事と思えば、金額は悪くない。
仕事の内容は募集で書かれていたのと大差はなく、見込み客に海外製兵器の操作を実際にしてみせて、兵器を紹介する仕事だ。外国勤務なので、しばらく日本とはおさらばすることになる。
まあ兵器を動かして見せるだけで、給料が貰えるのなら戦うよりは楽そうだ。
これからの俺の人生のモットーは安全第一、命を大切に、だからな。そう決めたんだ。
別れ際に確認した。
「あなたが俺の上司になるのか?」
「どうでしょう?」 女は思わせぶりに言う。
「すぐに分かると思います。 では後ほど連絡させていただきますね」
面接を終え、俺は渋谷をぶらぶらしてから電車で部屋に戻り、軽く呑んでから寝た。
着替えるのが面倒になったので、○ニクロ製のシャツとデニムは、着たままだ。
気分良く寝入った俺は、すぐに叩き起こされる事になる。つまり、ここで話の冒頭に戻る訳だ。
起こされたのは、見知らぬ場所。
そして俺は銀髪の異国の女を守りながら、わけも分からずに一つ目の巨人と対峙している。
良い点は…守っている女が清楚な美人で俺の好みだということ。
悪い点は…言うまでもないが、それ以外の全部だ。