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電話がりんりん

作者:

 昼過ぎのデスクの上、俺の電話が震えている。着信音の設定は「黒電話」だ。バイブ音と黒電話がけたたましいフーガを奏でる。

 いつも思う。なぜ着信音は同じなのに電話の音は掛けてくる相手によって様々な印象を与えてくるのだろう?得意先からのややこしい電話と気になるあの子からの電話も、同じ黒電話がそれを報せる。でもそれは天使の吹くラッパの音と鬼の刀研ぎの音くらいの差がある。

 電話は親父からだった。そしてそれは明らかに悪い報せだ。鈍感な俺にだってそれくらい分かる。電話はフーガを奏で続け、執拗なくらい生まれた時から知っている親父の名前を主張してくる。

 このまま出ないことにしようか、とも考えたが、目の前で鳴る電話を無視し続ける俺を周りが不審な目で見ていることに気付き仕方なく出る。よくよく考えたら、この電話を無視したところで別に状況は変わらないのだ。

「もしもし」

「俺や、仕事中か?」

「うん、そりゃ月曜の14時やからな。大抵のやつは仕事しとるよ」

「爺ちゃんがな、亡くなったわ。つい1時間前や」

 やっぱり。親父から電話が来た時からおそらくそうだろうと思っていた。本来、俺と親父の間に月曜の14時から電話で話すような特別な話題なんてないのだ。

「そうか。うん、分かった。お通夜は明日?」

「おそらくな。今から兄貴と葬儀屋と打ち合わせしてくるから、また夕方に連絡するわ。心づもりだけはしておいてくれ」

「分かった」

 電話を切って一息つく。ずっと覚悟はしていた。爺ちゃんの体調が悪く、「もって後3日」と医者に言われたのはもう1月近く前だ。俺と親父はその2日後、爺ちゃんの入院している病院を見舞った。久しぶりに会った爺ちゃんは小さく、なんだかよく分からないいろいろな線に繋がれていた。医療ドラマで見るような透明マスクを付け、そこから大量の酸素を吸引していた。

 親父が爺ちゃんの手を握ったので、俺は目の前にあった爺ちゃんの足を握る。その足は驚くほど冷たかった。冬場に一晩窓を開けっ放しにして寝てもあんなには冷たくならないだろう。医者の言う「あと3日」は明日だ。冷たくなった爺ちゃんの足を握っていると、残念だが医者の言葉に納得せざるを得なかった。

 しかしそこから爺ちゃんの快進撃が始まった。「あと3日」の当日、爺ちゃんの容態は驚くほど安定し、4日目にはなんと意識を取り戻したのだ。俺はそれを例によって親父からの電話で聞いた。

「きっとな、俺ら兄弟が爺ちゃんの病室で葬式の打ち合わせしとったからやと思うねん。あれ聞いとって、なんのその思ったんちゃうかな」

「うん、たぶんそうやわ。というか病室で葬式の打ち合わせなんてするなよ」

 まぁなんにせよ良かった。あの電話で少し気持ちが軽くなったことを覚えている。俺は暖かくなった爺ちゃんの足を思い描いていた。

 その後も容態が良くなったり悪くなったりを繰り返しながら、なんだかんだで1ヶ月近くの時が経った。 季節は秋になり、俺は羽毛の布団で寝て、冬物のスーツで出勤するようになった。油断のならない状況の中、いつかこういう日が来ることを心のどこかで意識はしていた。


 親父と電話をしている間、会社用の携帯もずっと鳴り続けていた。俺は私物携帯と会社用携帯の2つの電話を持っているのだ。受注産業の営業をしているだけに、会社用携帯にはひっきりなしに電話がかかってくる。顧客からの注文、製品に対するクレーム、そしてその内容確認のために今度は俺が他の誰かの電話を鳴らす。繰り返しなのだ。

 親父との電話が終わり、社用携帯を開く。嫌な得意先からの電話だ。折り返すのが億劫になる。


 夕方、再度親父から電話がかかってきた。俺は会社の近くのコンビニで煙草を吸っていた。

「もしもし」

「葬儀屋との打ち合わせ終わってな、明日は会場の関係でお通夜できひんらしいねん。せやから明後日にお通夜で明々後日にお葬式になったわ」

「分かった」

「仕事、都合つけれるんか?」

「うん、なんとかするわ」

「爺ちゃんな」

「うん?」

「最後の夜、布団から足出して寝とったみたいやねん」

「えっ?」

「足な、めちゃ冷たくなっとって。お前この前お見舞い行った時ずっと足握っとったやん?」

「うん」

「俺、それが何か記憶に残っとってな。爺ちゃん、お前が足握っとる時えらい気持ち良さそうな顔しとったぞ。たぶん暖かかったんやろな。ほんでまた足温めてほしかったから布団からぴょこんて足出しとったんやと思うわ」

 親父がそんなことを言うから俺の中で一気に熱いものが込み上げてくる。それは一筋のしずくになるぎりぎりのところで止まっていた。

 20年前に婆ちゃんが亡くなった時、小学生の俺は泣いていた。ただただ泣いていた。そして今、20年経って今度は爺ちゃんのことを思い涙している。何も変わっちゃいないな。本当にそう思う。込み上げてくるものを抑えようとすると言葉が出なくなる。

「………」

「おい?どうした?もしもし?」

「………」

「もしもーし?おーい?」

 俺は頑張る。

「……電波が…悪いみたいや。聞こえづらい」

「そうか、ほな明後日、明々後日のことはまた追って連絡するわ」

「……おう」

 電話を切る。泣きそうだったことは親父には悟られていないだろう。電話で良かった。俺は切にそう思った。


 親父からの電話を切った直後、会社用携帯が鳴る。電話は得意先からだったが、年甲斐もなく涙してしまった直後なので、なんだか出たくなかった。このまま無視してしまおうと思ったが、俺はもう大人だった。泣き崩れて親父に慰められていた20年前の自分とは違うのだ。


 よく爺ちゃんは、

「声がでかいのが男の最低条件や」と言っていた。そんなことを思いながら、いつもより少し大きな声で電話に応える。

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