4/20 午後 [野菜が苦手な先輩。]
・魔術によって生じる現象は多岐にわたり、従来の科学では説明することの出来ない範疇にある。マクロ的視点から世界を説明しようとした物理学が原子世界において機能せず、古典的物理学になったのと同じように、あらゆる科学は古典になろうとしている。あるいは、これこそが今まで説明できなかった「現代の科学」なのだろうか。
=魔術と科学の相関性について 序論より=
突然の勧誘に驚いたものの、部活としてまだ成立していないようなものに所属するつもりは自分にはない。そもそも部活に参加する予定も無かったというのに。キュウリの古漬けを水と一緒に咀嚼しながらも、この回答を先送りにすることに決めた。
「今日は家の模様替えも有りますし、また明日来てもいいですか」
「明日来てくれるんですか!?」目を輝かせてズイ、と迫ってくる白石。
「い、い……いや待ってくださいよ」
そう期待8割増しな顔をされても困るというのに。大丈夫です来ます、と気圧されたように返さざるを得なかった。じゃあこれ持って帰ってよ、と冷蔵庫から取り出されたのはビニール袋。中身をよく見てみると白菜の漬物だった。
「なんというか、見た目のイメージと違ってグイグイ来ますね白石先輩は」
見た目の、といったが自分から見た勝手なイメージではおっとりした感じに取れた。普通にしていれば目元も柔らかい表情に見えるし、着ている服も最近の若者らしからぬ長めの紺色スカートに白のワイシャツ。ちなみにこの学校に制服は存在しない。半公式的に制服を販売している会があるのでそこから今日買った。翌朝着る予定である。よって今俺自身が着ている服はポロシャツにジーンズ。ホームルーム中全員着ている服が違うというのは何とも違和感があった。
「普段はもうちょっと落ち着いて行動しようと思うのですけど、ここ最近は事情が事情で」
部活を発足させたいという事なのだろう。だがそれほどまでに急がなければいけないのだろうか。
「そんなわけで、部活の副部長として期待していますから!」
「……仮入部でも?」
自分でも意地の悪い返答をしたな、と思う。
「いいの!?」
ポジティブだな、と感心した。
「返事はまた明日お願いします」
自分の中で、当惑めいた笑いとも付かない表情をしながら言った。
下宿先に帰る。先週から人生で2度目の一人暮らしである。ある程度の家事はその時期に出来るようになったが、叔父の所に引き取られてからあまり料理をしていない。正しく言えば料理をするのが面倒である。
近所にスーパーマーケットがあれば惣菜が半額になるまで待ち、それまで白米で食いつなげたほうが経済的にも時間的にも助かる。そういう訳で、今現在俺自身は暇を持て余している。悲しいかな、我が家にはゲーム機というものが置いていない。大抵は年下の従兄弟が使うから持ち出しできず、古いゲーム機は壊れていて起動できなかった。最も、学費と生活費が学校負担といっても引っ越しや新しい家具を用意してくれたのは叔父の家である。引き取られた身からすれば本当にありがたい話なので文句をいうつもりはない。
ふと思い出したことが有り、テレビをつけたままパソコンを起動する。この下宿先も学校が運営しており情報端末を使って校内のデータベースに通信が可能である。……と、入居した時の紙に書かれてあった。要するにインターネット使い放題ということだ。パケット定額制。多分。携帯も持てなかった中学校生活と一変しており内心興奮している。だが、今はその時ではない。
学校のホームページにアクセスする。HRの時に言われたことだが、魔術の存在はあまり公にしてはいけないものらしい。その関係上学校の立地はいわゆる「陸の孤島」に存在しており周辺にて経営されている飲食店や衣料店、その他諸々は学校と協賛関係にある。談合まっしぐらじゃないかと思う。多分ボロ儲けだろここらへんに店建ったら。目的のページは「学生生活」の項にある「部活動・課外活動一覧」。このページにも学生手帳のものと同じ文章が書かれていた。
『3-5 新規部活動の認定:学生が新たに部活動を設立したい場合は学生6人以上及び顧問の教諭1人の署名とそれぞれの学生番号を書いた部員名簿、活動内容についての用紙を記入し学生課に提出せよ。また、代表一人と顧問の教諭には押印が必要。用紙は学生課で随時発行する』
つまり白ネギ先輩はこれから5人の生徒と1人の顧問を募集し部活動を認定してもらう予定らしい。だが、活動内容というのが全く見えてこない。まさか漬物を延々と作るだけの部活に学校が許可を出すものとは正直思えないし、そんな部活は正直見たくはない。やはりというべきか漬物部の名前は部活動一覧には載っていなかった。一通りの部活を見たが、目立った部活動は存在しない。部室に掛かっていた看板の内幾つかの部活が無かったので学校から公認されていない、勝手に名乗っているような部活もあるのだろうと予測した。ただ、それにしたって普通の部活が多すぎる。黒魔術同好会なんてとんでもない部活は存在しなかったが、一覧には一般的な学校にある運動部、文化部ほどしか無かった。
何でだろうなぁ、と思いつつも学校のホームページを見て回るがそれ以上に興味深いものも無かった。ふと時計を見ると夜の8時半。そろそろ晩ごはんを買わなければと部屋を後にした。
ここ1週間は近所のスーパーでご飯を買っている。周りに住んでいるのが殆ど学生であることは店側にとって想定済みなので、惣菜コーナー(と調理スペース)が一般的なスーパーの2倍近くある。学生たちの食堂を目指して、なんていうポスターが貼られるぐらいには元々ここに住んでいた人が少なかったのだろうことを思い立たせる。
今日の自作献立は野菜コロッケ、卯の花炒り、野菜炒め、あと家で炊いてある白米。店に入って見れば、割引され始めた時間帯なので沢山の生徒達がプラスチックケースを手にとっては戻したりレジへ会計しに行ったりとごった返している。時間帯を間違えたかな、と思いつつもレジに並ぶ。
「お、どうも」
ふとレジの列で一人分先に並んでいる男子生徒らしき人物が会釈をしてきた。背丈や雰囲気からしてほんの少し年上な気がする。
「……どうも」
同じクラスだったろうか、と思い出そうとするがそんな覚えはない。人の顔を覚えるのは苦手だが、今日会ったばかりの人物をスッカリ忘れてしまうほどだったろうかと不安に思う。
「今日白ネギの所に行ったでしょ、無理やりな勧誘でごめんねー」
白石先輩を知っているらしい。
「本当に白ネギって呼ばれているのですかあの先輩」
かなり驚く。
「いや、こっちが勝手に呼んでいるだけ」
左様ですか。ともあれ、彼女と交流のある人物だろう。
「野菜が苦手な先輩ってアナタだったんですか」
ふと彼の持っている買い物かごを見ると、野菜のたぐいは一切ない。代わりに健康食品のビタミン剤や大量のレトルト食品、インスタントラーメン、加工肉食品などが大量に積まれていた。だが、かごの持ち手である人物は案外痩せぎすで、むしろ食が細い方に見える。
「話していたのか、苦手ってわけでは無いんだけど」
疲れたような笑みを表に出しながら彼が返答する。
「ところで、なんだけど。漬物部には入部する予定があるかい」
かごをレジ台に置いて、秘密事のように顔を近づけてきてコソリと言ってくる。急に近づいてきたものだから、少し驚いてしまった。
「入部、といいますか。部活がそもそも出来てないと思うのですが」
答えを用意していないので誤魔化すように返事。ハハッ、確かにと先輩は笑った。
「正しく言おう。漬物部の設立に協力する気はあるかい」
挑戦的な言い方をしてくる。
「……昨日の今日ですら無いですから、まだ何とも言えません」
「そうか、期待しておく」
白ネギ先輩と似たようなことを言うので、ふと彼の名前を聞いていなかったことに気がつく。
「お名前、なんておっしゃるのですか」
「立花優。難しい方の橘じゃないからな」
頭のなかで考えこみ、難しい方を思い出す。
「君の名前の方は白ネギから聞いてるから大丈夫、高峰君」
「いや長嶺なんですけど」
早速間違えているじゃないかとツッコミ。
「おおっと間違えた、ごめんね古峰くん」
わざとだ、この先輩。
「長峰です、自称カーヴォニアの先輩」
「コイツは一本取られたなぁ、それじゃ会計しないと」
山盛りのカゴ商品を通すのに、レジの人も相当苦戦していたらしくようやく会計が終わったところであった。
4,5千円近い金額を払った後に、ジャーネーと軽い調子で声をかけて立花先輩は去っていった。新入部員のことを気に掛けるのであったら、どうして部活に加入しようとはしないのだろうと訝しく思いつつ、レジで会計を済ませる。時刻は9時過ぎ、今から帰って食べればもう眠る時間には丁度いい。明日からは授業もあるし魔術のことに関しても分かってくるだろう。漬物部の事は徐々に頭から抜け落ちつつ、店からの帰り道を歩いて行った。