4/20 午前中 [その名は漬物部]
魔術。
そして、漬け物。
正直、この2つの単語は相反してると思う。「魔法の漬け物」なんて単語はありえないし、「魔術漬け物」なんてもってのほかだ。
ならば、俺の眼の前にあるこの看板は一体何だ。
『ジグド魔術学園日本支部中国地方拠点 課外活動部 魔術漬け物部』
…………いや本当になんだよこれ。
昨日付けでこの『ジグド魔術学園日本支部中国地方拠点』、通称『島根ジグド』に転校してきた俺は、
一昨日までは普通の高校1年生であった。新学期始まってすぐ、島根ジグドから手紙が来た。なぜかわざわざそんなアナログな方法で。
『学期始まってからで申し訳ないけど、魔法の才能あるみたいだからちょっと転校してきて欲しい』
要約すれば、そういうことらしい。俺自身があれこれ言う前に事態は進み、今日こうして全く知らない土地にきてしまったのである。クラスには転校生、ということで紹介されたが皆各地から集められた人物らしく、まだグループなども出来上がっていない。その内仲良くなるだろうさ、と今日は学校を巡る探検をしようというさなかのことであった。一人で。
看板と睨めっこする。看板、といってもドアに掛けるタイプのもので、恐らく「魔術漬け物部」はこの奥の部屋なのだろう。この辺一体の教室は『高校学習課外活動部』に充てられているようで、周りにはサッカー、バスケット、テニスなどの王道運動部や、軽音楽、文芸部、マンドリンクラブ、囲碁部などの一般的な室内系部活に加え、漫画研究会やSF研究会、天文部や洞窟探検部などのややコアな部活もあり、果ては黒魔術白魔術研究部、発酵部、古紙新聞回収班などの存在意義が分からないものまであった。……いまさら漬け物部で驚くのも可笑しくなってきた。
まあいいや、こんなにおもしろいものが見れたのだ。今日は一旦帰って下宿先での買い物でもしよう。そう考えていたその時、バンとドアが開き。俺は廊下に押し倒されていた。
「ねぇ、今看板見ていたでしょ、ってことは入学生でこの部活に入りたいってことですよね!?」
「そういう勧誘の仕方は面倒臭がられると思うんですが」思わず不躾に言ってしまった。
すいません、と軽く謝る。どいてくれない。押し倒してくる、恐らく漬け物部員であろう人物をよく見る。女生徒だ、まじかよ、この状況は非常にまずい、視覚的に。こんなのをクラスの人に見られたら新学期早々からかいの材料に成るに決まっている。
「よ、要求はなんなんですか」
「要求? 部員になってくれるっていうことですね!」
「分かりました、分かりましたから早くどいて下さい」
「やったあぁ!これで弱小貧困絶体絶命のこの部活にも発足の光が指す時がきたのね……」
勢いで了承してしまったんだが、これはもしかしたら非常にマズイ決断をしてしまったのではないか。感極まるポーズを取る漬け物部員を傍目に、俺は早くも後悔し始めていた。
待て、発足?
「そもそも発足してなかったんですか!?」
「あれ、言ってなかったですね。私はこの部屋を現在不法占拠してるグループの一員」
「この学校の部活の最低人数って」入学当初にパラパラとめくった数ページの学生手帳の冒頭を思い出そうと必死になるコチラを尻目に彼女はあっさり答える。
「6人と顧問。部員集め宜しく頼めますか?」
「あ、無理っす。じゃあ帰らせていただきます」
「いやごめんごめん待って、ちょっとまって下さい!」
そうは言いつつも、部屋の中に案内される内に入ってしまった。「課外活動部」の一室。元々は別の部活動の部室だったが部屋を又貸しした結果いろんな個人サークルの倉庫となってしまった部屋。漬物部を名乗る女生徒と俺は部屋に対してナナメに置かれたテーブルを向かい合わせて座る。部室、とは言っても下手な教室並のサイズは有る。床置きになっている個人物をどかしてしまえば40人ぐらいがまとめて座れるぐらいの部屋だろう。
「ここが漬物部予定地」
「……いやここ倉庫でしょ!」
「部活動になったあかつきには正式な部室です!」そこで教室を再び見渡してみる。
「おあつらえ向きにベッドやら目覚まし時計が置いてあるのは何でです、どうやって運んだんですか」
教室サイズの部室とはいえ、ドアは引き戸ではなくドアノブで引っ張るタイプ。明らかにベッドを運べるサイズの大きさではない。
「この学校をなんだと思っているんですか?」得意気に語る女生徒。そうだった、と心の中で自分に呆れる。
「まだ魔法のなんたるかを全く理解しておりませんので」
なるべく冷静な声をだそうと努めたが、向こうは更に得意げな顔。通称ドヤ顔。ほんの少し腹が立つ。
「やったのは圧縮魔法と浮遊魔法だったかしら、もう1人と協力してでした」
「ということは現状部員は2人ですか」自分除いて、と付け加える。
ううむ、と困った表情を浮かべる先輩。何が有ったのだろうか。
「あー……そのことなんだけど、その人は入らないみたいで」酷く深刻そうな顔をして呟く先輩。
「そりゃまた、何でです」
この人物を確保しておきたいと思い、探りを入れる。
「その人野菜が大の苦手なんです」
「子供ですか」疑問ではない。
「高校3年生です」
「子供じゃねえか!」
話を聞くに、野菜類が大の苦手で漬物部の理念とは反するために所属はしない方針らしい。名前だけ貸すっていうのは出来ないのだろうか。その旨を尋ねると、一度彼に頼んだことがあると伝えられた。
「だけど駄目だったんですよね。逆ベジタリアンを貫くんだーって言って聞かないで」
「カーニヴォアじゃないんですか」
我ながらなんでこんな単語を覚えてたんだ。
「レバーは苦手って言ってました」
先輩の返しもなんかちげえ。
「いやそういうことじゃなくて」
「君は入ってくれないんですか!?」
面倒な質問である。
「部活動紹介は来週ですから、その時に決めさせてくれませんかね」必殺、先送り作戦。
「毎年部活紹介戦争はもう始まってるの、君も見たんでしょうビラ配りの嵐を」
その事自体は事実だ。教室でのホームルームが終わった瞬間、上級生と思しき人たちが廊下の前でズラリと並んでいたことを思い出す。次の瞬間、ズラっと手が伸びてきたかと思うと紙吹雪が舞った。今まで街でティッシュ配りにも遭遇したことのない自分にとっては大きな驚きであり、周囲のクラスメイトも似たようなリアクションをとっていた。中には楽しそうに大量の紙を頂いていくような人物も居たが。俺自身は何処かに落としてしまいそうだったので、そんなに貰わなかった。
「下宿に帰って模様替えさせてもらいます」
「手伝う!手伝うから入ってください!」何故にそんなに必死なのだ、と内心焦る。
「正直自分が入った所でどうにかなるとは思えませんが」
「今年でどうにかしないといけないんです!」
一体何があるのか分からないでいる。
「どんな活動してるんですか」正確に言えばどんな活動をする予定ですか、になるのだろうか。
「頂いちゃいますか」そう言うやいなや、倉庫内の隅にあるタライほどのポリバケツの蓋を外して何かを取り出す。
「ぬか床って臭いしないんですね」少し驚く。勝手なイメージではあるが匂うものかと思っていた。
「雑菌が繁殖するといい匂いでは無くなるの。本来ならフルーティな香りがするはずなんだけど無臭で」
「ふるー……てぃ……?」
想像がつかない。第一フルーティな糠床から取り出されるキュウリの漬物ってどうなんだ。倉庫内になぜか持ち込まれている食器棚から紙皿を取り出し、先輩はシワシワになっているキュウリを手でパキりと割ってみせた。キッチンシンクがない以上包丁のたぐいもないので何かを調理するのは難しいと先輩がぼやく。その割には冷蔵庫が有ったりするのが不思議なところではある。冷蔵庫も浮遊の魔法で運びこんだものだろうか。そのままの流れでキュウリのぬか漬けをいただくことになった。割箸も完備されてある。
「キュウリの古漬け、いただきましょうか」先輩の方から音頭をとったので、こちらもそれに合わせる。
「頂きます」半分になったしわだらけのキュウリを一口かじる。……しょっぱい。
「こんなに塩っぱくなるもんだったの。ちょっと待っててくださいね」
同じことを思ったのか、先輩は食器棚から紙コップを取り出して冷蔵庫のペットボトルから水を取り出す。急な要望をされたものの、ここまでしてもらうとは思わなかったので少し申し訳無さを感じる。取り敢えず、何か別の話題を出そう。
「先輩、お名前を聞いてませんでしたね」
それを聞くと、先輩は倉庫の黒板にチョークで名前を書いた。
「白石葱丸。新入生くんの名前はなんでしたっけ」
白ネギと呼ばれてそうだ、と心の中で思う。コトリと椅子を立ち上がり、チョークを借りて自分の名前を書く。
「長嶺翔……です」
クスリと笑って白石が言う。
「……変わった名前ですね!」
白ネギに言われたくはないと思う。