こんな夢を観た「言葉を失う事件」
志茂田ともるとファミレスに入った時のことだった。店員が注文を取りにやって来たので、わたしは口を開いた。
「……」ところが、言葉が出てこない。
「どうしました、むぅにぃ君。ぽかん、と口を開けたままで」志茂田が不思議そうに尋ねる。
「それがさ、喉まで出かかっているのに、料理の名前が出てこないんだよね」
「ど忘れですか。メニューをもう1回見てご覧なさい」
言われて、メニューに目を落とす。牛肉をこねて固めたものを、鉄板でじゅうじゅうに焼き上げた、とてもおいしそうな料理が、写真付きで載っていた。
「ねえ、志茂田。メニューから、料理の名前が消えてなくなってるよ」わたしは言った。
「そんな、ばかなことがありますか」志茂田は、わたしからメニューを取り上げて確かめる。「はて、これはいったい……」
それから、自分の見ているメニューをめくって、同じページを開く。
「どう? そっちには載ってる?」わたしは聞いた。
「こちらも同様です。この料理、そう言えば、なんと言いましたっけ?」
別に、珍しい料理でも何でもない。ファミレスに来れば、毎度のように頼んでいるのだ。それが、今日に限って、なぜか思い出せない。
「なんだったっけ?」わたしも途方に暮れてしまう。
「思い出せないと言うより、言葉そのものが抜け落ちてしまっているのかもしれません」志茂田が考え込む。
「脳軟化症とか、そんな病気?」集団感染だろうか。にわかに恐ろしくなる。
志茂田は、いやいや、と首を振った。
「病気なら、人それぞれ、抜け落ちている単語が違うはず。それに、メニューからも消えているじゃありませんか。むぅにぃ君、これはとんでもない事件かもしれません。言葉が盗まれてしまったのです!」
言っていることがちんぷんかんぷんだ。言葉を盗むだって? 志茂田は今、確かにそう言った。ふだん、人をからかって楽しむような人物ではない。それに、いつだって冷静沈着だ。
その志茂田が、いったい何を言い出すのだろう。
「それって、どういう意味? 言葉なんて、誰にも盗めないよ」
「いいえ、それができるのですよ。こんなところで食事などしている場合ではありません。さあ、中央図書館へ急ぎましょう」言うが早いか、席を立つ。
わけがわからないまま、わたしはそのあとを追った。
中央図書館は、わたしの知る限り、町で一番大きな図書館である。もしかすると、日本一かもしれない。
「こんなところで、何を調べるつもり?」わたしは聞いた。
「特別保管室にある『日本語大辞典』ですよ」志茂田が答える。
中に入ると、志茂田は受け付けの司書に声をかけた。
「『日本語大辞典』を拝見したいのですが」
いかにも事務的なその女性司書は、眼鏡越しに志茂田をじろっと睨む。
「一般の方は閲覧できません」
志茂田は、やれやれというように、後ろポケットからカード・ケースを出す。「こういう者ですよ」
それを見て、司書はハッと顔を起こした。
「申し訳ありませんでした。ただちに、ご案内します……」
司書の案内で、わたし達は図書館の別室へと連れていかれる。歩きながら、小声で志茂田に話しかけた。
「さっき、何を見せたの?」
志茂田はつまらなそうに笑みを作り、
「大したものじゃありません。ただ、どこの組織もヒエラルキーなる、実にばかばかしいものがありましてね」とだけ答える。
よほど大事な物がしまってあるのだろう。部屋は、さらに奥深くへと続き、扉ごとに厳重な鍵が付いていた。
「着きました。こちらです」最後の扉を開き、司書が言う。「『日本語大辞典』は、突き当たりのガラス・ケースに収められています」
20畳ほどの広い部屋で、床も壁も磨き上げられた大理石だった。がらんとしていて、奥には台に載せられたガラスの箱があるきり。
志茂田を先頭に、部屋へと入っていく。
ガラス・ケースの中は空っぽだった。
「やはり……」志茂田がうなずく。
「そんな! まあっ、どうしましょうっ!」司書は、すっかり取り乱してしまう。
「その本って、そんなに大事な物なの?」わたしは志茂田に聞いた。
「ええ、何しろ、国中の言葉の源ですからねえ」と志茂田。「『日本語大辞典』に書かれている単語を消されると、その言葉がこの世からなくなってしまうのですよ」
「ほんとっ? 大変だっ、どうすんのさっ!」犯人は、今、この瞬間にも文字を消しにかかっているかもしれない。このままでは、日本中から言葉が消えしまう。
「まずは、落ち着くことです。警察にも連絡し、捜索をしてもらいましょう」志茂田は言った。
「捕まるかなぁ、犯人」
「そう願いたいものですね。わたし達も探しましょう。今は、とにかく1人でも多くの力が必要ですから」
一刻も早く「日本語大辞典」を取り戻し、ファミレスのメニューにあった、あの「牛肉をこね、固めて焼いた」料理を注文するのだ。