孤独の少年
一週間が過ぎた。
呆気なく、緩やかに。
時の流れはこんなにも爽やかだったのだろうか。
壊された小道具たちは、劇出演メンバーで少しずつお金を出し合い作り直した。張りぼてなども完成しつつある。
何故こんなに平和だったかというと、やはり、喧嘩を売りに来る奴らがいなくなったからだろう。
毎週のように来ていたのが、今週は一度も来なかった。まあ、朝から放課後まで、星村風華が毎日「準備だ、練習だ」と連れ回されているからかもしれないが。かえって気味が悪い。
―その予感が的中したのか、青春祭りが十日前に迫った日、それは起こった。
「よぉ、羽柴。
どうだ、王子役やる気分は?」
ニヤニヤと変な顔で笑う眼鏡の男子生徒が、放課後、荷物を鞄に詰め込んでいた俺の前に立った。
俺は椅子に座っていたため、奴が俺を見下ろすかたちになる。
そいつの後ろには、どこかで見たことあるようなないようか顔のが五人並んでいる。
五人とも他のクラスの奴らしかった。教室内にはあまり生徒は残っていなかったから、この時間を狙っていたのかもしれない。
「なんか用?」
不快感を隠さずにぶつける。相手は一瞬怯んだが、余裕をみせるように、下手くそに弱さを隠した。――こいつは何を言うのだろう。
前に来た坊主頭の奴は、俺のことを「幸せ者」だと嘲笑った。
俺の何が気に入らなくて、こうして来たのだろうか。
「――結局さ、羽柴は目立ちたいんだろ。
成績はいつもトップ。
それだけじゃ物足りなくて、今度は人気者の蒼井そそのかして友達ごっこ。
しかもその次は王子役ときた。ははっ、笑わせる」
「ちょっと、なに言ってんの?」
横から蒼井が割り込む。
俺はそれを左手で制止した。「いいから」と小声で呟いて。
意外そうに目を見開く蒼井だったが、黙って身を引いてくれた。
ちらちらと人の残った教室が、僅かに静まる。
俺は空気を吸い込んだ。
そして言葉をつなぐ。
「別に目立ちたいんじゃないから。
あんたの勘違いだ。むしろ、そう思ってるのはあんたの方。ちがう?
あと、成績トップなのはそれなりに勉強してるから。役をやるのは頼まれたから。それだけだ。
他に言うこと、まだある?」
眼鏡のそいつは、険しい顔になった。
怒りというには単純過ぎる。苦しげな。
「……トップなのは、勉強してるからだ…――?
はっ、中学の時と同じこと言うんだな。お前は覚えてないだろうけど、俺はお前と同じクラスで、一度聞いたことがある。"なんでそんなに勉強できんだよ"って。そしたらすかした顔して、"勉強してるからだ"って言った。
努力もしてないくせに、軽々しく"頑張ってます"みたいな顔しやがって。
ふざけんなよ……!
フラフラどうでもよく生きてるお前が、なんで俺より上なんだよ。
意味わかんねぇ……
人殺し損なったような奴なのに、なんで……!!」
ザワッッ。
辺りがざわめく。
「え、人殺し…?」
「羽柴が……」
みんなが変に興奮している。口々に人殺しと呟く。
蒼井は口を少し開けたまま、黙っていた。
眼鏡は、みんなの反応を楽しむように話し出す。
口元に笑みを浮かべながら。
「中三の中頃だったよな?同じクラスの奴と喧嘩して、お前が殴ったら、そいつ、打ち所悪くて一時意識不明の重体。
急所は外してたけど、危なかったよな。訴えられでもしたら、お前の親父さんはどんな顔したんだろうな?弁護士の、親父さんは」
ざわめきが大きくなる。
視線が気持ち悪い。
平衡感覚までも失ってしまいそうだ。
眼鏡の話はまだ止まらなかった。
「そいつに訴えられなかったのは、お前の父親が大金出して揉み消したって聞いたんだけど。どうせ、今までずっと親の地位に頼って縋って、勉強も何もかもこなしてきたんだろ。
それに、あの時から喧嘩してもお前の方からは絶対殴ってこないよな。
やっぱあの時のトラウマ?そうだよなぁ、自分のせいで、意識不明になったんだもんな?
"臆病で、親の力がなくちゃ何もできない。無能の羽柴理久"。」
確かに、俺はアイツに重体を負わせてしまった。
どこにでもある、普通のただの喧嘩だったはずなのに、そうじゃなかった。
相手の奴から殴ってきた。頭に血が上った俺は、すぐにそいつを殴り返した。
―それで終わるはずだった。しかし、倒れ込んだそうつは立ち上がらなかった。それどころか、ぴくりとも動かない。
妙だと思って名前を呼び、体を揺すった。
返事は返ってこない。
床を見ると赤黒い染みが広がってて、段々と大きくなっていく。
そいつの血だった。
気づくのにかなり時間がかかり、頭が真っ白になった。
体中の血を抜かれ、一気に体温が下がったような気がした。
その後、どうやってそいつを病院に運んだのか、全く覚えていない。ただ、父親と頭を下げたことは覚えてる。
――怖かった。
自分のこの手で、他人は簡単に傷ついて、死んでしまうのだと、怖くて苦しかった。
床の血は消えたけど、自分の中に広がる赤黒い染みは今でも消えない。
いや、そうじゃない。
消したらいけない。
人の人生を丸ごと奪いそうになった罪は、そんなに軽々しく忘れていいはずはないのだ。
もう二度とあんなことにはならないように、恐怖で震えながら自分を制御する。
喧嘩を売られても、入り込んで行かないよう第三者を装った。
そうしなければ、また傷つける。殴られるだけでいい。手は出さない。
そういう風に自分を守ることしかできないのだ。
髪を染めたのも、他人が近づいて来ないようにするための一つの手段でしかない。
誰かを傷つけたくない、とか、そんなお綺麗な理由じゃない。わかってる。俺が一番嫌なのは―――
「ん?なんだよその目。
バラされて悔しいのか?
それとも俺が憎い?
そうやって、またあの時みたいに殴るのか?
だったら殴れよ。お前の手で、殴ってみろよ!」
……………うるさい。
黙れ。
頭の中でなにかが切れる音がした。
――――ガシャンッッ。
眼鏡の奴を廊下側の壁に叩きつけ、殴った。
そいつの顔じゃない。
顔の横、不透明な窓ガラスを。
世界が終わるような大袈裟な音を立て、ガラスは砕け、廊下に落ちた。小さな悲鳴が上がる。
眼鏡のソイツは、顔を真っ青に染め、力が抜けたかのように弱々しくその場にへたれこんだ。後ろにいた五人も、同様の顔色の悪さで後ずさった。
俺の右手は、既に割れた窓を再び殴る。一度目で鋭く尖った割れ残りが、躊躇なく皮膚を裂く。
火がついたように熱い。
呼吸が苦しくて、虚しかった。
怒り、恐怖、もどかしさ、憎しみ。
一斉に波みたいに押し寄せて、肺を圧迫する。上手く空気が取り込めない。
破壊衝動が抑えられない。狂っていると思いつつ、右手の熱さが心地好い。
何もかもどうでもよくなってきた。
「―――理久っ、手!!」
蒼井の手が肩に触れる。
反射的にのけ反った。
威嚇するように怒鳴る。
「さわんな!!!」
しかし蒼井は動じなかった。
「やだ。手、かして」
口調が強く、珍しく本気で怒っていた。無理矢理右手首を掴まれる。とめどなく赤い血が手から溢れ、蒼井の手を伝い、床にポタポタと水玉を落とす。
むっと鉄臭い臭いが鼻をつく。
「はなせよ」
「やだって言ってんじゃん。保健室行くよ」
「――軽蔑すればいいだろ。最低な奴だ、って笑えば」
「理久、黙って」
「お前のことだって、ただ利用してるだけなのかもよ?いい加減気づけよ。
いつまで俺みたいなのに構って――――」
「――理久!」
ガツッ。
頬に衝撃が走った。
蒼井が俺を殴ったのだ。
あまりの強さによろけ、座り込んだ。
驚きと共に目が覚めた気分だった。
呼吸も落ち着いてきた。
「……私っ、先生呼んでくる………っ!!」
ある女子が言い出し、それに2、3人ついて教室を出て行った。時が再び動き出したみたいだ。
「立てる?はい、つかまって」
「…………悪い」
差し出された手を掴み、ふらつく体を立ち上がらせる。右手の出血はまだ収まらず、床に血溜まりを作っていた。
…さすがに気持ち悪くなってきた。軽く貧血を起こしているかもしれない。
今まで麻痺していた痛覚が徐々に感覚を取り戻したらしく、ズキズキと痛みだす。
「手、出して」
いつも通りの声だった。
無言で右手を蒼井に出すと、ポケットからハンカチを出し、ぐるぐると巻いた。ジワジワと血が染みていく。
そしてそのまま、ざわめきが大きくなった教室を出て保健室へ向かった。
* * *
…………何の騒ぎだろう?
いつもと違う、この異様な雰囲気。興奮混じりの落ち着かない、嫌な感じだ。
人混みで上手く前に進めない。すれ違ってゆく人達の会話が耳に留まる。
「羽柴理久が……」「え?!人殺し!?」「親の権力で…」
"羽柴理久"が関係しているというのは事実のようだ。でも人殺しって、まさかあの時の……?
王子役の羽柴理久と、魔法使い役の蒼井想羅を呼びに来たはずだったが、もうそれどころじゃない。
星村風華は早速聞き込みを開始した。
誰彼構わず呼び止め、ようやく真相に辿り着けた。
「なによ、それ」
怒りが爆発した。
そして、彼がいる教室へ、すごい勢いで向かった。
教室へ入ると、粉々に砕けたガラスと、生々しい血溜まりが目に飛び込んできた。体がすっ、と戦慄するのが嫌でもわかった。
羽柴理久の姿はない。
教室中をぐるりと見回し、力無くへたれ込んでいる眼鏡の男子生徒を見つける。こみあがる感情は、抑えることはできなかった。
そいつの胸倉を掴む。
相手はものすごくびっくりした顔だったけど、別にどうでもいい。
「あんたねぇ!!バッカじゃないのッ!?羽柴理久が、あんたに直接何かした?!してないよね??
でもあんたが欲しかったものを羽柴理久は全部持ってた。だから羨ましかったんでしょ!?
あたし、あんたと同じ中学だったけど、ずっと成績じゃ2位。1位は決まって羽柴理久。
しかも勉強だけじゃなく、スポーツも、羽柴理久は何でもそつなくこなしてた。だから何だって言うのよ……!親が有名な弁護士だからって、幸せかなんかわからないし、だからこそプレッシャーとか辛いことだってあったはずよ!
あの事故のことだって…………!!」
大声を出し過ぎて喉が痛い。だけど、言わなきゃ。
あたしが言わなければ。
胸倉を掴む両手に、より一層力を込める。
悔しさと怒りで泣きそうだった、
「生まれてきた環境が違う。初めから持っていた能力が違う。
そんなの当たり前じゃない……!なのに、なんで皆わかんないの…?
本当かどうかもわからない噂話ばっかり信じて、それがどれだけアイツを傷つけたのか、知ろうともしないで。
最低よ」
最後は吐き捨てるように言って、手を離す。
眼鏡の奴は傷ついたみたいな顔して俯いてた。
周りの皆はなんとも言えない複雑そうな表情で静まり返っている。
「…どこ?羽柴理久は」
「………保健室」
「ありがと」
あたしは立ち上がり、教室を後にした。




