「あなたとの婚約は破棄します。りんご園に籠もって余生を過ごしますので、どうぞお構いなく」~無自覚聖女の追放令嬢、辺境の魔法りんご園でスローライフを始めたら国が傾き始めた件~
「聖女ルミナを蔑ろにした罪で、貴様との婚約は破棄する!領地の辺境送りに処す!」
春の夜会の大広間に、王太子ジェラルド様の声が響き渡りました。
シャンデリアの光の下、居並ぶ貴族たちが一斉に私を見ます。
私——エルフィーナ・アップルトンは、その視線を淡々と受け止めておりました。
(ふうん。辺境送り、ですって)
心の中では、前世の記憶が静かにツッコミを入れます。
(追放イベント、ついに来たわね。まあ、テンプレ通りっちゃテンプレ通り)
そう、私には前世の記憶があります。現代日本で農業法人に勤めていた、品種改良研究員。過労でぽっくり逝って、気づけばこの世界の公爵令嬢に転生していたのです。
ジェラルド様の隣には、聖女を名乗る少女ルミナが寄り添っていました。
潤んだ瞳。儚げな微笑み。庇護欲をそそる、絵に描いたようなヒロイン顔。
「ジェラルド様……わたくし、エルフィーナ様が怖くて。黄金林檎を独り占めなさって、わたくしにはお恵みくださらないのです……」
(いやいや、あなた一度もりんご園に来たことないでしょう)
思わず遠い目になりました。
「聞いたか、エルフィーナ!貴様が黄金林檎を独占し、聖女を虐げていたことは明白だ!」
「まあ」
私は扇をそっと開き、口元を隠しました。
「独占、でございますか」
「白々しい!」
(あの林檎、私が毎晩ひとりで魔力通わせて実らせてたんだけどな……。まあ、いいわ)
喚き立てる元婚約者を前に、私はゆっくりと一礼いたしました。
「かしこまりました。では、辺境へ参ります」
広間がざわめきました。
泣いて縋ると思っていたのでしょう。断罪劇の主役が、あまりにあっさり頷いたものですから。
「……なっ、それだけか!?」
「はい。あなたとの婚約は破棄いたします。辺境のりんご園に籠もって余生を過ごしますので——」
私は顔を上げ、にっこりと微笑みました。
「どうぞ、お構いなく」
(やった……!!! これでずっと畑仕事だけしていられる……!!!)
心の中では、前世からの夢だったスローライフに、思わずガッツポーズをしていたのでした。
◆◇◆
辺境『白昼夢の丘』は、想像以上の荒れ地でした。
かつて疫病で枯れ果て、誰も近寄らないと言われる呪われたりんご園。ひび割れた大地に、朽ちかけた木々が墓標のように立ち並んでいます。
「お嬢様……本当に、こんな場所で……」
随行してくれた侍女頭のハンナが、めずらしく声を震わせました。地位も職も捨てて、迷わず「私もお供いたします」と言ってくれた、たった一人の味方です。
「ハンナ。この土、見て」
私はしゃがみ込み、握りしめていた古びた剪定鋏で土をひと掬いしました。前世から愛用していた、転生の瞬間も握っていた記憶の品です。
「まだ死んでいないわ。眠っているだけ。……ふふ、腕が鳴るわね」
(土壌改良、接ぎ木、病害対策。前世の知識、全部ぶちこんでやるわ)
そのときでした。
丘の頂に立つ、ひときわ巨大なりんごの古木。
その幹から、声がしたのです。
『……人間か。去ね。誰も、我と話さぬ』
弱々しく、けれど確かに——植物の声。私のギフト『植物対話』にだけ届く、魂の響き。
「あら、あなた。話せるのね」
『……なに? そなた……我の声が、聞こえるのか』
幹がざわめきました。数百年の時を経て、初めて言葉を返された者の、驚愕の震え。
光の粒が集まり、人の姿を象っていきます。白銀に若葉色の光を宿す長髪。樹皮の紋様が浮かぶ、透き通る肌。威厳ある美青年——けれどその瞳は、涙で潤んでいました。
「聞こえますわ。ずいぶん弱っていらっしゃるのね。栄養が足りていないわ」
『……そなたが来るまで、誰も、我と話さなかった……数百年、ずっと、ひとりで……』
ぽろぽろと、花びらが散りました。
威厳ある姿の割に、その仕草はまるで——寂しがり屋の子どものよう。
(あら。国宝級の神樹かと思ったら、ただの甘えん坊さんだったわ)
「もう大丈夫よ。私がいるわ。一緒に、この園を蘇らせましょう」
『……ま、まことか? そなた、我を置いて去らぬか?』
「ええ。約束します」
アダムと名乗ったその精霊は、そっと私の剪定鋏に触れ、消え入りそうな声で言いました。
『……ならば、我の加護を、そなたに』
そのとき、丘全体がかすかに輝いたことに——私はまだ、気づいていませんでした。
◆◇◆
数ヶ月後。
『白昼夢の丘』は、見違えていました。
「聖女様! 今日も黄金林檎、こんなに実りましたぞ!」
ふもとの村長ロブが、日に焼けた厳つい顔をくしゃくしゃにして駆け上がってきます。当初は「また王都から厄介者が捨てられてきた」と私を警戒していた男です。
「ロブさん、聖女はやめてくださいと申し上げましたのに」
「いんや、聖女様は聖女様じゃ! こんな奇跡、聖女様以外の何だっちゅうんです!」
一面の花。黄金に輝く林檎。ひび割れていた大地は、今や生命に満ちた楽園に生まれ変わっていました。
(土壌のpH調整して、腐葉土を漉き込んで、アダムに魔力を分けてもらって……。うん、我ながら完璧な仕事)
飢えていた村人たちの頬には、赤みが差しています。子どもたちが林檎をかじって笑う声が、丘に響きます。
『エルフィーナ。今日はこちらで昼餉を食べぬか。我、そなたと過ごす時間が、いちばん好きであるぞ』
アダムが、人の姿ですすっと隣に並びました。すっかり艶やかになった、健やかな美青年の姿で。
「ふふ、いいですわね。ハンナ、お茶を——」
「ただいま、お持ちいたします」
ハンナが穏やかに微笑みます。王都にいた頃には、決して見られなかった表情でした。
(ここには私を土いじり令嬢と笑う人がいない。ああ……幸せ)
初めて、正当に評価される居場所を得たのです。
◆◇◆
一方、その頃。王都では。
「なぜだ! なぜ林檎が一つも実らぬ!!」
王太子ジェラルドの怒声が、枯れ果てたりんご園に響いていました。
エルフィーナが去った途端、王都のりんご園は急速に枯れ始めたのです。黄金林檎は一つも実らず、備蓄は底をつき、疫病が再び忍び寄っていました。
「ルミナ! 聖女がいれば林檎など勝手に実るのだろう!? なぜだ!」
「そ、そんな……わたくし、ちゃんとお祈りしておりますのに……」
ルミナの顔から、いつもの余裕が消えていました。
(おかしい。魅了をかければ誰もが従うのに。なぜ、林檎だけは、わたくしの言うことを聞かないの——!?)
彼女のギフトは『魅了』。人の心は操れても、土に根を張る木々の命だけは、どうしても欺けなかったのです。
「備蓄も底をついた……疫病まで……ええい、聖女、なんとかせぬか!」
「(土だけは……木の命だけは、どうしても欺けない……このままでは、わたくしまで……)」
王都は、静かに傾き始めていました。
◆◇◆
「黄金林檎を、分けていただきたい……!」
王都からの救援使者が、白昼夢の丘に膝をつきました。
痩せこけ、憔悴しきった顔。かつて社交界で私を嘲笑っていた貴族の一人でした。
私は山と積まれた黄金林檎を背に、静かに扇を開きました。
「あら」
「エ、エルフィーナ様、どうか——」
「王都の皆様は、聖女ルミナ様のお力で、それはそれは豊かにお過ごしのはずでは?」
使者が息を呑みました。
「そ、それは……」
「私、辺境送りの身ですのよ? 黄金林檎を独占していた罪人、ですもの。そんな私のところに、わざわざお呼びがかかるなんて」
扇の陰で、私は微笑みます。
「——何かの、間違いでしょう?」
使者は、一言も返せませんでした。
背後で村長ロブが、村人たちを従えて低く唸ります。
「聖女様を追い出しておいて、今さら虫が良すぎる。のう、みんな!」
「そうだそうだ!」
村人たちの怒号が丘を揺らしました。
◆◇◆
やがて、事態は動きます。
「お嬢様。国教会が総力を挙げた調査の結果が出たそうにございます」
ハンナが、丘の上で私に告げました。
「……ルミナ様のギフトが『魅了』であったこと。王太子殿下がそれに籠絡され、真偽も確かめずお嬢様を追放したこと。すべて、明るみに出ました」
「あら。ずいぶん時間がかかりましたのね」
「そして——黄金林檎はお嬢様の『植物対話』と、神樹アダム様の加護がなければ絶対に実らぬこと。神樹様がお嬢様を『真の聖女』と認めていたことも」
(地味判定された、土いじりのギフト。それが、国の食糧と神樹の加護を握っていたなんてね)
国教会の宣告に、王都は震撼しました。
「エルフィーナ・アップルトンこそ、建国神話の加護を継ぐ真の聖女である」
王太子ジェラルドは廃嫡。
ルミナは魅了の罪で断罪。
「なぜだ……私は、私はただ、聖女を守ろうと……」
最後まで、彼は理解していませんでした。国の飢饉対策を、たった一人で支えていた令嬢がいたことを。
(最後まで、この方はお分かりにならない。国の飢饉対策を、たったお一人で支えていた令嬢がいたことを)
ハンナが、冷ややかに元王太子を見つめていました。
失って初めて、その価値に気づく。愚者の見本のように。
◆◇◆
「戻ってきてくれ、エルフィーナ! 君なしでは、国が保たないのだ!!」
廃嫡されたジェラルドが、みずから辺境の丘まで来て、地に手をついて泣き縋りました。
満開のりんご園。黄金の実。花びらの舞う丘の上で、私は彼を静かに見下ろします。
(数ヶ月前は、私を虫けらみたいに追い出したのにね)
「顔を上げてくださいませ」
「エルフィーナ……!」
希望に顔を輝かせる元婚約者に、私はゆっくりと告げました。
「私、辺境りんご園の園主ですの」
「な……」
「土から離れるつもりは、ございませんのよ。前世……いえ、ずっと昔からの、夢でしたから」
剪定鋏を手に、私は微笑みます。
「どうぞ、お構いなく」
それは、あの断罪の夜に私が告げた言葉と、同じでした。
立場は、完全に逆転していたのです。
◆◇◆
やがて国は、辺境りんご園を『聖地』として、その独立自治を認めざるを得なくなりました。
黄金林檎なしには、国が立ち行かないのですから。
王都が、辺境に頭を下げる。
かつて土いじり令嬢と嘲笑された私が、国を動かす立場になったのです。
(人生、何があるかわからないものね)
◆◇◆
その日の夕暮れ。
収穫を終えた丘の上で、アダムがそっと私の隣に立ちました。
花びらが、金色の光を纏って舞い落ちます。
『エルフィーナ』
「はい?」
『我は……数百年、待っておった』
威厳ある美青年の声が、ふいに幼く、震えました。
「何を、ですの?」
『そなたに、我の“花嫁”になってほしいと。ずっと、ずっと、待っておったのだ』
夕日を背に、彼はまっすぐに私を見つめます。
数百年の孤独と、一途な想いを込めて。
(花嫁、ねえ。神樹の花嫁になったら、いったい何が起こるのかしら……)
私は剪定鋏を腰にしまい、いたずらっぽく笑いました。
「まずは今年の収穫を終えてから、お返事いたしますわ」
『な……!? そ、それはつまり、断らぬということか!?』
花びらを散らしながら、あわあわと詰め寄る国宝級の神樹。
「さあ、どうでしょう?」
『エルフィーナ! 待て、待たぬか、行かないでくれ——!』
満開のりんご園に、私の笑い声が響きます。
かつて『白昼夢の丘』と呼ばれた、誰も信じなかった荒地。
そこは今、私の——報われた者たちの、夢のような楽園になっていました。
次なる物語が、始まる予感を残して。




