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「あなたとの婚約は破棄します。りんご園に籠もって余生を過ごしますので、どうぞお構いなく」~無自覚聖女の追放令嬢、辺境の魔法りんご園でスローライフを始めたら国が傾き始めた件~

作者: uta
掲載日:2026/09/26

「聖女ルミナを蔑ろにした罪で、貴様との婚約は破棄する!領地の辺境送りに処す!」


春の夜会の大広間に、王太子ジェラルド様の声が響き渡りました。


シャンデリアの光の下、居並ぶ貴族たちが一斉に私を見ます。


私——エルフィーナ・アップルトンは、その視線を淡々と受け止めておりました。


(ふうん。辺境送り、ですって)


心の中では、前世の記憶が静かにツッコミを入れます。


(追放イベント、ついに来たわね。まあ、テンプレ通りっちゃテンプレ通り)


そう、私には前世の記憶があります。現代日本で農業法人に勤めていた、品種改良研究員。過労でぽっくり逝って、気づけばこの世界の公爵令嬢に転生していたのです。


ジェラルド様の隣には、聖女を名乗る少女ルミナが寄り添っていました。


潤んだ瞳。儚げな微笑み。庇護欲をそそる、絵に描いたようなヒロイン顔。


「ジェラルド様……わたくし、エルフィーナ様が怖くて。黄金林檎を独り占めなさって、わたくしにはお恵みくださらないのです……」


(いやいや、あなた一度もりんご園に来たことないでしょう)


思わず遠い目になりました。


「聞いたか、エルフィーナ!貴様が黄金林檎を独占し、聖女を虐げていたことは明白だ!」


「まあ」


私は扇をそっと開き、口元を隠しました。


「独占、でございますか」


「白々しい!」


(あの林檎、私が毎晩ひとりで魔力通わせて実らせてたんだけどな……。まあ、いいわ)


喚き立てる元婚約者を前に、私はゆっくりと一礼いたしました。


「かしこまりました。では、辺境へ参ります」


広間がざわめきました。


泣いて縋ると思っていたのでしょう。断罪劇の主役が、あまりにあっさり頷いたものですから。


「……なっ、それだけか!?」


「はい。あなたとの婚約は破棄いたします。辺境のりんご園に籠もって余生を過ごしますので——」


私は顔を上げ、にっこりと微笑みました。


「どうぞ、お構いなく」


(やった……!!! これでずっと畑仕事だけしていられる……!!!)


心の中では、前世からの夢だったスローライフに、思わずガッツポーズをしていたのでした。


◆◇◆


辺境『白昼夢の丘』は、想像以上の荒れ地でした。


かつて疫病で枯れ果て、誰も近寄らないと言われる呪われたりんご園。ひび割れた大地に、朽ちかけた木々が墓標のように立ち並んでいます。


「お嬢様……本当に、こんな場所で……」


随行してくれた侍女頭のハンナが、めずらしく声を震わせました。地位も職も捨てて、迷わず「私もお供いたします」と言ってくれた、たった一人の味方です。


「ハンナ。この土、見て」


私はしゃがみ込み、握りしめていた古びた剪定鋏で土をひと掬いしました。前世から愛用していた、転生の瞬間も握っていた記憶の品です。


「まだ死んでいないわ。眠っているだけ。……ふふ、腕が鳴るわね」


(土壌改良、接ぎ木、病害対策。前世の知識、全部ぶちこんでやるわ)


そのときでした。


丘の頂に立つ、ひときわ巨大なりんごの古木。


その幹から、声がしたのです。


『……人間か。去ね。誰も、我と話さぬ』


弱々しく、けれど確かに——植物の声。私のギフト『植物対話』にだけ届く、魂の響き。


「あら、あなた。話せるのね」


『……なに? そなた……我の声が、聞こえるのか』


幹がざわめきました。数百年の時を経て、初めて言葉を返された者の、驚愕の震え。


光の粒が集まり、人の姿を象っていきます。白銀に若葉色の光を宿す長髪。樹皮の紋様が浮かぶ、透き通る肌。威厳ある美青年——けれどその瞳は、涙で潤んでいました。


「聞こえますわ。ずいぶん弱っていらっしゃるのね。栄養が足りていないわ」


『……そなたが来るまで、誰も、我と話さなかった……数百年、ずっと、ひとりで……』


ぽろぽろと、花びらが散りました。


威厳ある姿の割に、その仕草はまるで——寂しがり屋の子どものよう。


(あら。国宝級の神樹かと思ったら、ただの甘えん坊さんだったわ)


「もう大丈夫よ。私がいるわ。一緒に、この園を蘇らせましょう」


『……ま、まことか? そなた、我を置いて去らぬか?』


「ええ。約束します」


アダムと名乗ったその精霊は、そっと私の剪定鋏に触れ、消え入りそうな声で言いました。


『……ならば、我の加護を、そなたに』


そのとき、丘全体がかすかに輝いたことに——私はまだ、気づいていませんでした。


◆◇◆


数ヶ月後。


『白昼夢の丘』は、見違えていました。


「聖女様! 今日も黄金林檎、こんなに実りましたぞ!」


ふもとの村長ロブが、日に焼けた厳つい顔をくしゃくしゃにして駆け上がってきます。当初は「また王都から厄介者が捨てられてきた」と私を警戒していた男です。


「ロブさん、聖女はやめてくださいと申し上げましたのに」


「いんや、聖女様は聖女様じゃ! こんな奇跡、聖女様以外の何だっちゅうんです!」


一面の花。黄金に輝く林檎。ひび割れていた大地は、今や生命に満ちた楽園に生まれ変わっていました。


(土壌のpH調整して、腐葉土を漉き込んで、アダムに魔力を分けてもらって……。うん、我ながら完璧な仕事)


飢えていた村人たちの頬には、赤みが差しています。子どもたちが林檎をかじって笑う声が、丘に響きます。


『エルフィーナ。今日はこちらで昼餉を食べぬか。我、そなたと過ごす時間が、いちばん好きであるぞ』


アダムが、人の姿ですすっと隣に並びました。すっかり艶やかになった、健やかな美青年の姿で。


「ふふ、いいですわね。ハンナ、お茶を——」


「ただいま、お持ちいたします」


ハンナが穏やかに微笑みます。王都にいた頃には、決して見られなかった表情でした。


(ここには私を土いじり令嬢と笑う人がいない。ああ……幸せ)


初めて、正当に評価される居場所を得たのです。


◆◇◆


一方、その頃。王都では。


「なぜだ! なぜ林檎が一つも実らぬ!!」


王太子ジェラルドの怒声が、枯れ果てたりんご園に響いていました。


エルフィーナが去った途端、王都のりんご園は急速に枯れ始めたのです。黄金林檎は一つも実らず、備蓄は底をつき、疫病が再び忍び寄っていました。


「ルミナ! 聖女がいれば林檎など勝手に実るのだろう!? なぜだ!」


「そ、そんな……わたくし、ちゃんとお祈りしておりますのに……」


ルミナの顔から、いつもの余裕が消えていました。


(おかしい。魅了をかければ誰もが従うのに。なぜ、林檎だけは、わたくしの言うことを聞かないの——!?)


彼女のギフトは『魅了』。人の心は操れても、土に根を張る木々の命だけは、どうしても欺けなかったのです。


「備蓄も底をついた……疫病まで……ええい、聖女、なんとかせぬか!」


「(土だけは……木の命だけは、どうしても欺けない……このままでは、わたくしまで……)」


王都は、静かに傾き始めていました。


◆◇◆


「黄金林檎を、分けていただきたい……!」


王都からの救援使者が、白昼夢の丘に膝をつきました。


痩せこけ、憔悴しきった顔。かつて社交界で私を嘲笑っていた貴族の一人でした。


私は山と積まれた黄金林檎を背に、静かに扇を開きました。


「あら」


「エ、エルフィーナ様、どうか——」


「王都の皆様は、聖女ルミナ様のお力で、それはそれは豊かにお過ごしのはずでは?」


使者が息を呑みました。


「そ、それは……」


「私、辺境送りの身ですのよ? 黄金林檎を独占していた罪人、ですもの。そんな私のところに、わざわざお呼びがかかるなんて」


扇の陰で、私は微笑みます。


「——何かの、間違いでしょう?」


使者は、一言も返せませんでした。


背後で村長ロブが、村人たちを従えて低く唸ります。


「聖女様を追い出しておいて、今さら虫が良すぎる。のう、みんな!」


「そうだそうだ!」


村人たちの怒号が丘を揺らしました。


◆◇◆


やがて、事態は動きます。


「お嬢様。国教会が総力を挙げた調査の結果が出たそうにございます」


ハンナが、丘の上で私に告げました。


「……ルミナ様のギフトが『魅了』であったこと。王太子殿下がそれに籠絡され、真偽も確かめずお嬢様を追放したこと。すべて、明るみに出ました」


「あら。ずいぶん時間がかかりましたのね」


「そして——黄金林檎はお嬢様の『植物対話』と、神樹アダム様の加護がなければ絶対に実らぬこと。神樹様がお嬢様を『真の聖女』と認めていたことも」


(地味判定された、土いじりのギフト。それが、国の食糧と神樹の加護を握っていたなんてね)


国教会の宣告に、王都は震撼しました。


「エルフィーナ・アップルトンこそ、建国神話の加護を継ぐ真の聖女である」


王太子ジェラルドは廃嫡。

ルミナは魅了の罪で断罪。


「なぜだ……私は、私はただ、聖女を守ろうと……」


最後まで、彼は理解していませんでした。国の飢饉対策を、たった一人で支えていた令嬢がいたことを。


(最後まで、この方はお分かりにならない。国の飢饉対策を、たったお一人で支えていた令嬢がいたことを)


ハンナが、冷ややかに元王太子を見つめていました。


失って初めて、その価値に気づく。愚者の見本のように。


◆◇◆


「戻ってきてくれ、エルフィーナ! 君なしでは、国が保たないのだ!!」


廃嫡されたジェラルドが、みずから辺境の丘まで来て、地に手をついて泣き縋りました。


満開のりんご園。黄金の実。花びらの舞う丘の上で、私は彼を静かに見下ろします。


(数ヶ月前は、私を虫けらみたいに追い出したのにね)


「顔を上げてくださいませ」


「エルフィーナ……!」


希望に顔を輝かせる元婚約者に、私はゆっくりと告げました。


「私、辺境りんご園の園主ですの」


「な……」


「土から離れるつもりは、ございませんのよ。前世……いえ、ずっと昔からの、夢でしたから」


剪定鋏を手に、私は微笑みます。


「どうぞ、お構いなく」


それは、あの断罪の夜に私が告げた言葉と、同じでした。


立場は、完全に逆転していたのです。


◆◇◆


やがて国は、辺境りんご園を『聖地』として、その独立自治を認めざるを得なくなりました。


黄金林檎なしには、国が立ち行かないのですから。


王都が、辺境に頭を下げる。


かつて土いじり令嬢と嘲笑された私が、国を動かす立場になったのです。


(人生、何があるかわからないものね)


◆◇◆


その日の夕暮れ。


収穫を終えた丘の上で、アダムがそっと私の隣に立ちました。


花びらが、金色の光を纏って舞い落ちます。


『エルフィーナ』


「はい?」


『我は……数百年、待っておった』


威厳ある美青年の声が、ふいに幼く、震えました。


「何を、ですの?」


『そなたに、我の“花嫁”になってほしいと。ずっと、ずっと、待っておったのだ』


夕日を背に、彼はまっすぐに私を見つめます。


数百年の孤独と、一途な想いを込めて。


(花嫁、ねえ。神樹の花嫁になったら、いったい何が起こるのかしら……)


私は剪定鋏を腰にしまい、いたずらっぽく笑いました。


「まずは今年の収穫を終えてから、お返事いたしますわ」


『な……!? そ、それはつまり、断らぬということか!?』


花びらを散らしながら、あわあわと詰め寄る国宝級の神樹。


「さあ、どうでしょう?」


『エルフィーナ! 待て、待たぬか、行かないでくれ——!』


満開のりんご園に、私の笑い声が響きます。


かつて『白昼夢の丘』と呼ばれた、誰も信じなかった荒地。


そこは今、私の——報われた者たちの、夢のような楽園になっていました。


次なる物語が、始まる予感を残して。

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