ノンアルの言い訳
A氏の車は、エンジンをかけるたびに祈りが必要だった。
「頼むぞ……今日だけでいい」
キーを回す。
ガガガ……ブンッ。
「よし、来た」
「毎回それやるのやめようぜ。車に謝ってるみたいで怖いから」
助手席のB氏は、缶を開けた。
プシュッ。
「おい、それ何本目?」
「一本目。まだ朝だから」
「“まだ朝だから”の意味がわからない」
「安心しろ。ノンアルだ」B氏はラベルをひらひらさせる。
A氏はちらっと見た。確かに書いてある。“ALCOHOL 0.00%”。
「……ほんとか?」
「ほんとほんと。ほぼジュース」
「“ほぼ”ってなんだよ」
「気分」
A氏は少し考えてから言った。
「……じゃあ俺もいいか」
「いいだろ。合法だし」
「合法だな」
プシュッ。
運転席と助手席で、同時に缶が鳴った。
この時点で、すでに何かが間違っている。
車はゆっくりと走り出した。
⸻
目的地は日ノ出町。
組織Xとの約束は、10時ちょうど。現在9時50分。二人は初音町の交差点付近を通過したところだ。
「余裕だな」
「余裕だな」
その言葉が出て、ろくなことが起こったためしがない。
⸻
信号待ち。
隣にパトカーが止まった。
静かに、しかし確実に、空気が変わる。
B氏はそっと缶を足元に置いた。
「なんで隠すんだよ」とA氏。
「いや、なんとなく」
「ノンアルなんだろ?」
「うん……でも見た目が“飲酒”じゃん」
A氏は前を向いたまま言う。
「もう遅いと思うぞ」
サイレンは鳴らなかった。
だが、赤色灯がゆっくりと回り始めた。
⸻
路肩。
「ちょっといいですかー」
A氏は窓を開けた。
警察官はやけに穏やかだった。それが逆に怖い。
「はい……」
「今、飲んでました?」
「ノンアルです!!」B氏が食い気味に答える。
「そうですか」
「そうです!」
警察官は缶を見る。
「……これですね」
「はい!0.00%です!」
「なるほど」
沈黙。
なぜか話が終わらない。
「……あの、問題あります?」とA氏。
「いえ、ただですね」警察官は少し首をかしげた。「紛らわしいので、確認だけさせてもらっていいですか」
「確認?」
「アルコール検査です」
B氏はA氏を見た。
A氏は空を見た。
⸻
数分後。
「問題ないですね」
「だから言ったじゃないですか!!」とB氏。
「ええ、そうですね」
なのに警察官は帰らない。
なぜか雑談が始まる。
「これ、味どうなんですか?」
「え?」A氏とB氏は同時に困惑する。
「いや、ノンアルって最近いろいろありますよね」
「いや、まあ……普通に……ビールっぽいというか……」
「ほう」
「……」
「……」
時間が、溶ける。
⸻
そのころ。
日ノ出町。
組織Xのメンバーたちは腕時計を見ていた。
「……来ないな」
「来ないな」
10時を過ぎる。
10時10分。
10時20分。
「帰るか」
「帰るか」
⸻
同時刻。10時20分。
A氏の車は、ようやく再び走り出した。
「……行くか」
「……行くか」
B氏がぽつりと言う。
「さっきのさ」
「うん」
「飲んでても、ノンアルだから問題ないよな」
「うん」
「じゃあ、俺は悪くないよな」
A氏は少し考えてから言った。
「半分くらい悪い」
「半分かよ」
⸻
10時42分。
日ノ出町の約束の場所に到着。
誰もいない。
風だけが吹いている。
「……あれ?」
「……あれ?」
スマホを見る。
既読はつかない。
B氏が言う。
「とりあえず」
「うん」
「もう一本飲む?」
A氏は少し考えた。
「……いいね」
エンジンを切る。
プシュッ。
缶の音だけが、妙に爽やかに響いた。




