第十三話 看守との約束
夜は深く、湿った冷気が石の壁を伝って流れ込む。
囚人たちの寝息と、時折響く鎖の擦れる音。
その中でレインだけが、眠らずにいた。
鉄格子の向こうで灯りが揺れる。
巡回の看守——若い男、ブロス。
足取りは重く、肩に疲労の色が滲んでいる。
夜勤は長く、退屈で、静寂はときに恐怖を孕む。
(こいつは“真面目なタイプ”だ。
威圧でなく、職務で動く。
だからこそ……刺さる)
レインは立ち上がり、鉄格子の影から静かに声をかけた。
「……ブロス」
看守がびくりと反応し、松明を向ける。
「囚人が看守の名を呼ぶな」
「悪かった。ただ、少しだけ話がしたかった」
「話?」
棍棒の先端が鉄を叩く。
緊張の間を読み、レインは淡々と続けた。
「退屈だろ。夜の見回りは。
誰も喋らない、誰も信じない。
それでも“秩序を守れ”って言われるんだ」
ブロスの眉が動いた。
図星を突かれたような顔。
「……囚人が看守の苦労を知ったような口を」
「知っちゃいない。でも見ればわかる」
レインは静かに笑った。
「観察は癖でね。詐欺師の商売道具なんだ」
「詐欺師、だと?」
「そう。前世でも今でもな」
その言葉に、ブロスは一瞬だけ息を止めた。
囚人の多くは“過去”を口にしない。
口にすれば弱点になるからだ。
それを自ら名乗る──その時点で、普通ではなかった。
レインは淡々と続ける。
「俺は暴れないし、抜け出そうとも思ってない。
けど、この牢をもう少し“働きやすく”できる」
「……ほう?」
「囚人同士の揉め事、昨日より減ってるだろ」
ブロスの表情がわずかに変わる。
彼は昨夜の巡回記録を思い出していた。
——口論三件、軽傷二名。
今夜は、ゼロ。
「偶然だ」
「偶然にしては、静かすぎる」
レインは鉄格子越しに指で床を軽く叩いた。
一定のテンポ。
沈黙の中に、意図のリズムがあった。
「看守にとって厄介なのは“報告の山”だろ?
でも、囚人同士が争わなきゃ、あんたの仕事は減る。
……俺は、それをできる」
ブロスは目を細めた。
「脅しか? それとも取引か?」
「違う。“選択肢”だ」
レインの声は低く、淡々としていた。
「信じなくてもいい。ただ、三日だけ観察してくれ。
俺が何者か、判断してから殴るか決めりゃいい」
ブロスは棍棒を下ろさなかった。
けれど、ほんのわずかに力を抜いた。
「三日……で何をする」
「言葉で、秩序を整える。
あんたはただ、報告書を減らせばいい」
ブロスは鼻で笑い、鍵を鳴らした。
「囚人にそんな芸当ができるなら、俺たちはとっくに楽してる」
「なら、試してみりゃいい」
レインは微笑む。
「俺が嘘をついてるなら、三日後にはこの牢が地獄に戻る」
数秒の沈黙。
ブロスはレインを見つめたまま、松明を持ち直した。
「……俺の夜が静かになるなら、三日くらいはくれてやる」
「約束だな」
レインが言うと、ブロスは何も答えずに通路を歩き去った。
だが、遠ざかる背中が一度だけ止まる。
「レイン。
嘘で秩序を作れると思うな。……ここは牢だ」
「わかってるさ」
レインは目を細めた。
「でも、牢ってのは“秩序を信じる場所”でもある」
看守の足音が消えたあと、
レインは背を壁に預け、ゆっくりと息を吐いた。
(三日あれば、十分だ)
(あんたの夜を静かにしてやる。その代わり、俺はこの牢を動かす)




