第一話 静かな目覚め
初投稿になります。
この物語は、詐欺師として転生した男が「監獄」という閉ざされた世界の中で、
言葉と嘘を武器に生き抜く物語です。
静かな導入ですが、ここから彼の“灰色の生”が始まります。
冷たさが、先に意識を引き戻した。
石の床。湿った空気。
どこか遠くで、鉄の鎖が擦れる音がする。
ゆっくり目を開けると、灰色の壁がぼやけて見えた。
視界が狭い。天井が低い。
匂いは……血と汗、それにカビ。
息を吸うたび、肺の奥がざらついた。
(……ここは、牢か)
体を起こそうとして、腕に重さを感じた。
鎖。
両手首を繋ぐそれが、錆びて黒く光っている。
「……ずいぶん、雑な歓迎だな」
声を出してみて、違和感に気づく。
低い。
自分の声じゃない。
手を見た。骨張った指、節くれだった手の甲。
皮膚は傷だらけで、爪の先は黒ずんでいる。
鏡はないが、もう理解できた。
(体が……違う。別の人間だ)
次の瞬間、記憶が流れ込んできた。
断片的な映像。
貴族の屋敷、印章、帳簿、告発、逮捕。
そして“心臓の痛み”。
名はリュート。
税収管理官の息子で、濡れ衣を着せられ、ここへ。
——そして、心臓が止まった。
(……その死体に、俺が入ったってわけか)
“俺”——レイン。
前世は詐欺師。
口と頭で人を騙し、金と地位を奪って生きてきた。
最後は、逃げる途中で心臓が悲鳴を上げた。
気づけば、地獄ではなくこの牢。
天井の小窓から、わずかな光が落ちている。
太陽ではない。曇った空。
湿った風が、血の臭いを運んでくる。
(中世……いや、異世界か?)
聞こえてくる言葉は、この体が覚えていたもの。
思考と共に理解できる。
魔法、スキル、階級。
だが、牢の中ではそれも意味をなさない。
外で足音がした。
鉄靴の硬い音。
看守が通路を歩いている。
レインは身じろぎもせず、目を閉じた。
息を浅く、静かに。
ただ、耳だけを動かす。
(右から二人。足音の速さが違う。片方は上役か)
(鍵の束が腰の右。……習慣的にそこだな)
看守の声が響く。
「三号房の新入り、まだ意識がねぇか」
「昨日の夜、息があったらしい」
「生きてても明日まではもたんだろ」
レインは、何も反応しなかった。
声を出せば、生存を告げることになる。
それは情報の提供だ。
情報は、命より高い価値を持つ。
——詐欺師にとって、最初に奪われるのは信用ではなく“沈黙”だ。
看守が去る。
足音が遠ざかる。
静けさが戻ると、レインは小さく息を吐いた。
(状況は悪くない。生きてることを誰も確信していない)
(なら、しばらくは“死んだふり”でいい)
彼は鎖のまま体を横たえ、目を閉じた。
周囲の気配を探る。
隣の牢から微かな寝息。
奥の方で、誰かが小さく咳をした。
遠くから、石を引きずる音。
(……作業場があるな。囚人労働か)
(この音のリズム、十秒ごとに止む。掛け声がない。自主労働じゃない。鞭がある)
目を開ける。
視界に映るのは、冷たい鉄格子。
その向こうに、光が一筋だけ差している。
「……まずは、ここの“空気の形”を覚えるか」
静かな声。
誰にも聞こえないほどの独り言。
詐欺師の仕事は、最初から始まらない。
始めるために、まず世界を読む。
レインは壁の亀裂を指先でなぞった。
湿った石の感触。
その下に、誰かの爪跡のような傷。
(逃げ道を探すより、罠の形を覚える方が長く生きられる……か)
わずかに笑った。
この世界でも、その法則は変わらないらしい。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
第一話は静かな導入でしたが、次回から少しずつ“灰の監獄”の内部が見えていきます。
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