表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
お妃たちのため息  作者: 兎田美依紗
1/5

はじまり

 仏閣にいた梨花(イファ)の耳に光宗(グァンヂョン)が即位したと入ってきた。光宗は彼女が養育した王子である。

 恵宗(ヘヂョン)定宗(チョンヂョン)の御代が慌ただしかったため、彼の御代は平穏であるようにと梨花は仏に願った。

 光宗は諱を()といい、生母の劉氏()忠州(チュンヂュ)の豪族の娘である。劉氏は高麗初代君主・王建(ワンゴン)の第3妃であり、神明王后(シンミョン)とも言う。

 光宗の即位後に彼女は神明順成王太后と追贈されている。王建の后妃たちで「王太后」を追贈されたのは3人であり、彼女はその1人であった。

 一方の梨花は信州院夫人(シンヂュウォンプイン)と呼ばれた后妃の1人である。后妃の順番で彼女を表すと第22妃だ。彼女は康起珠(カンキヂュ)の娘であり、「信州第一美女」と言われていた。

 それが彼女の運命を狂わせた。



 梨花が開京にやって来たのは16歳の春であった。柔らかな日差しが朱塗りの瓦を照らし、春風が若々しく、そして美しい盛りの宮女たちのチマをはためかせた。信州では見た事のない光景に梨花は思わず心を奪われた。梨花のうっとりとした顔を見て案内役の尚宮(サングウ)は小さく声をかける。

「お嬢様、参りましょう……」

 尚宮に声で梨花は我に返った。

「ええ…そうですね」

 2人は宮中の奥、后妃たちの住む後宮に向かった。通り過ぎる尚宮や宮女たちは梨花を見る度に道を譲り、頭を下げた。梨花は自分が「特別」であることを感じた。

 しかし、その刹那、案内役の尚宮が道を譲るようにと告げた。尚宮にならって梨花は道を譲り、周りの尚宮や宮女たちと同じように頭を下げた。

元妃様(ウォンビ)のおなりー!」

 よく通る内侍の声がした。梨花は「元妃」が皇帝・王建(ワンゴン)の第1妃である柳氏()であると信州に赴いた教育係の尚宮から聞いていた。しかし、彼女たちの顔までは教えてはくれなかった。梨花は興味からか元妃の顔を盗み見る。

 元妃は温和な笑みを浮かべながら歩いている。若葉を思わせる様な緑の着物、そして立派な加髢に金の簪。風に吹かれてサラサラと音を立てる歩揺。それらは梨花の心を直ぐに奪った。それに気づいた尚宮はまた梨花に小さく声をかけた。

「お嬢様、元妃様に礼を尽くしてくださいませ」

 梨花は尚宮の言葉を聞いて慌てて頭を下げた。微かに聞こえた声に気がついたのか、元妃は梨花の方を見つめた。

 しかし、元妃は特段、気にすることなく顔を正面に戻して歩いて行った。行列の末尾の宮女らの姿が見えなくなるまで梨花と尚宮は頭を下げ続ける。それがとても長い時間に感じた。梨花はこれが身分の壁だと思った。元妃はこの国の最高位の女人である。これ以上の女人はいないのだと梨花は考えた。

「さあ、頭を上げてください」

 尚宮に促されて梨花は頭を上げた。元妃が過ぎ去ると尚宮、宮女らは一斉に頭を上げて動き出した。この様子を見て元妃の一団を見送るのは儀式なのだと梨花は思った。しかし、それを尚宮に言うのは気が引けた。梨花の頭の中は目新しい事ばかりで落ち着いていなかった。だから、これをうまく尚宮に伝えられそうになかったのだ。

 梨花の目に映った元妃はまるで色彩の全てを伴った天女だった。父からは後宮は煌びやかで絢爛な所であると聞いていたが、ここまでとは思っていなかった。着物も装飾品も全て華美であり、贅の限りを尽くしている。これらが手に入る世界、後宮にいることに梨花は軽い目眩を覚えた。

「尚宮様、元妃様はとてもお美しいのですね」

「元妃様もお美しいですが、第2妃の貴妃(キビ)様は薔薇のようですよ。」

「貴妃様?」

 梨花は首を傾げる。すると尚宮は嬉々として話し出した。

「貴妃様は第1皇子のご生母というのはご存知ですか?呉禧(オフィ)……多憐君(ダリングン)の娘で紛れもない寵妃でございます。他の后妃より礼を尽くしてくださいませ」

「どういうことですか?」

「元妃様は嫡妻ですが……お子がおりません。陛下はお子のいる貴妃様を特別に想っておられます。しかも第1皇子のご生母となれば尚更です。嫡妻ではありませんが、内妻として陛下から重んじられております」

「そうなのですね……覚えておきます」

 尚宮は小さく頷いた。梨花は先程、考えた「最高の女人」は元妃なのか、それとも貴妃なのか。初めて踏み入れた後宮という環境のせいか緊張も相まって頭の中は混乱し始めた。

「お喋りが過ぎましたね。参りましょう」

 梨花と尚宮は再び歩みを進めた。2人は中宮殿を抜けて、西宮(ソグン)へと向かう。西宮は后妃たちの住居がある区域である。この区域は宮中の西、そして後方にあるため「後宮」や「西宮」と呼ばれた。中宮は文字の通り「中央にある宮」という意味である。

 おもむろに全員の后妃が後宮で生活している訳ではないと尚宮は説明し始めた。

 妃、大夫人、夫人は後宮で生活するが、院夫人となると地方で生活する。中には院夫人でも後宮で生活している后妃はいるが、お渡りが確実にあるかは分からないとも尚宮は付け加える。なにしろ皇帝の后妃は数多いるのだ。

 尚宮に案内されてやって来たのは小綺麗な建物だった。建物に掲げられている額には「雪花院(ソルファ)」と書かれている。2人は中庭に回った。するとそこには梨の木が植えてあった。

「この梨の花が雪のように白いので、陛下が雪花院と名付けられました」

「陛下は優美な方なのですね」

 梨花は梨の花を見つめた。何故だか感傷的な気持ちが湧き上がってきた。この柔らかで儚げな梨の花を摘むも握るも自分次第だ。これを自分の境遇に置き変えれば、命は皇帝が握っているのだと梨花は強く意識した。そして自由な世界から隔離されてしまったのだと思わざるを得なかった。宮墻に囲まれた宮中には時間の流れすらない。その自由や時間は全て皇帝が握っている。命も何もかもだ。

 そして梨花は自分が何故、宮中に召されたかを思い出した。

 皇帝の歓心を買いたい王信(ワンシン)の妻、清蓉夫人(チョンヨン)の差し金である。

 王信は皇帝の従兄弟である。清蓉夫人は気弱な王信に家門での発言力、影響力を持たせたいと常日頃から考えていた。だが、王信は甄萱(キョンフォン)との争いで亡くなってしまう。皇族としての地位を保ちたい清蓉夫人は女子(おなご)を使って皇帝の歓心を買うことにした。当時の皇帝は豪族との結び付きを強めるために豪族の娘たちを后妃として迎えいれていた。清蓉夫人はそれに目をつけたのである。「信州第一美女」と名高い梨花に目をつけたのも清蓉夫人だった。

 信州の人々は梨花が上京することに湧き立った。信州から后妃が誕生すれば、皇帝から税が優遇されると噂が流れたからである。その話の出処は全て清蓉夫人であった。


 宮女が中庭にやって来た。

「お嬢様、お茶が入りました」

 宮女は梨花と尚宮に会釈をするとその場を後にした。梨花は正直、お茶を飲む気にはなれなかったが部屋に入ることにした。

「尚宮様もお茶を飲みませんか?お疲れではありませんか?」

「私めはまだ仕事がありますので……」

 尚宮は笑顔でそういうと深々と頭を下げて雪花院を後にした。1人になった梨花が部屋に入ると先程とは別の宮女が茶菓子を並べていた。部屋には紫檀の机に瑠璃色の花瓶などの高級な調度品が並べられている。そして気分が和らぐ香りが漂っていた。白檀である。

「あなたは?私の配下かしら?」

 梨花が宮女に声をけける。

「お嬢様!」

 宮女は慌てて振り返ると、彼女に向かって頭を下げた。

「名前は何というの?」

 梨花は優しく尋ねた。

「わたくしめは素心(ソシム)と申します。今日からお嬢様の配下として働くことになりました」

 素心の自己紹介を聞くと梨花はゆっくりと丸椅子に腰を下ろした。素心は見計らったように茶を差し出した。梨花はそれを受け取るとため息をこぼした。

「ため息が出ないほど明日は忙しくなりますよ」

 素心は梨花の優しい態度に答えるように柔らかな口調で言った。

「何かあるの?」

「入内のお祝いです。どの宮からも贈り物が届きますし、尚宮や内侍からの挨拶もございます。雪花院の宮女や内侍は少ないですし、対応はお嬢様がなさらないといけません。それとお嬢様のことを宮嬪(クンビン)様とお呼びいたしますね」

「分かったわ。今のうちに休んでおくわ。そういえば素心、先程の尚宮様は?どなたにお仕えなの?」

安尚宮(アン)様ですね。安尚宮様は内学堂(ネハクダン)の尚宮でございます。長い間、見習い宮女やお妃様たちの教育をなさっています。それと、宮嬪様の方が身位は上ですので、「様」はお付けになりませんよう」

「そうね。確かに身位は尚宮より上になったわ……。昔は宮中の尚宮といえば雲の上の存在だったのに。宮女のことを姮娥(ハンア)と呼んで憧れていた女の子もいたの。素心、気になっていたのだけれど、隣の建物にはどなたがお住いなの?挨拶をしておきたいわ」

「隣、隣は……おやめになったほうが……」

 素心は明らかなや言い淀んでいる。梨花は隣に住んでいる后妃が面倒な人物だと思ったが、それが彼女の興味を引いてしまった。尚宮や宮女以外と話したいとも思っていたせいか、彼女は素心から何とかして言葉を引き出そうと考えた。

「どなた?宮女が言いたくない后妃なの?魔物か何かなの?」

「そういう訳では……」

「じゃあ、誰?」

「お隣の福綏堂(ポクス)には……」

 素心が言いかけたとき、内侍が数名やって来た。素心は梨花の注意を逸らすために大声で話し出した。

「宮嬪様、内侍の朴尚膳(パクサンソン)様です」

  朴尚膳は梨花の前に静かに出ると白髪混じりの頭を下げる。そして、頭を上げたと思うと皺だらけの顔を笑顔にして梨花を見つめた。

様より媽媽とか媽媽任とか使った方がいいですよね。后妃の呼び方も〇妃より〇〇王后にした方がいいかも……呉妃なら莊和王后みたいに。っと思っている所存です。

面白い記述を見つけました。貴妃、淑妃、徳妃、賢妃の称号か使われていたそうです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ