第5話 映画を見てたらわたしだけ、笑い所がずれている
シンデレラ編 第一回
ダリヤは、映画好きの女子中学生。ダリヤは大好きなシンデレラの物語を実写化した洋画が、町の映画館で公開されると知って、嬉しくなり晩御飯の時にお母さんに話した。
「じゃあ休みの日に見に行こうか。それともお友達と行く?」
「ありがとう。わたし、お母さんと行きたい」
友達の見たい映画に誘われて付き合うこともあったが、ダリヤはお母さんと見に行くのが好きだった。そもそもダリヤの映画好きは親譲りで、見た後にお母さんが映画にまつわるうんちくをいろいろ語るのを聞くのも嫌いではなかった。
ダリヤは父親と死別し、お母さんと2人で暮らしている。お母さんがなるべく時間をつくり、できるだけ長く一緒にいてくれるので、ダリヤは寂しくなかった。友達が格好いい男子の話をしても、ダリヤは全く共感を覚えなかった。
「男の子とデートしても、お母さんと見に行く映画以上に楽しいとは思えないな」
人に言いはしなかったけれど、ダリヤはそう思っていたのである。
休日はよく晴れて、映画館に行く道すがらも気分が良かった。お母さんがポップコーンと飲み物を買いに並んでいる間に、ダリヤはもらったお金でチケットを買いに来た。
「シンデレラ、大人1枚と子供1枚お願いします」
「え?」
券売所の男性は、怪訝そうな顔をして、後ろを向いた。すると「わたしが変わります」と言って、別の係員が出て来た。美人で、髪をひっつめにし、両耳にイヤホンを付けている。彼女は無表情でじっとダリヤの顔を見つめた。聞こえなかったのかな、と、ダリヤは思った。
「あの、シンデレラを……」
「承知しています。発券中ですのでお待ち下さい」
彼女は抑揚のない声で言って、それでもダリヤをじっと見つめていた。ダリヤは妙に思ったが、チケットを差し出されたので受け取って「ありがとうございます」と言って離れた。
お母さんと合流し、入場口を通って目当てのシアターに入った。ドアを開けると、「スクリーンの盗撮は犯罪です」という音声が響いていた。暗い館内をお母さんについて歩き、席に並んで座った。程なくして、映画が始まった。
映画は映像も音楽もストーリーも、とても素晴らしかった。しかし、ダリヤはあることが気になって、今一つ集中できなかった。それは、他の観客達の反応であった。ある場面でどっと笑いが起き、隣のお母さんさえフフフと鼻息を漏らしたのだが、それは登場人物の誰一人画面にいない、情景をただ映している場面だったのである。ダリヤには何が面白いのかさっぱりわからなかった。他にも、シンデレラがかぼちゃの馬車に乗って王宮を後にする場面や、ガラスの靴を複雑な表情で見つめる場面など、なぜ笑うのかわからない所で観客達は笑った。そもそもそれほど笑いが起きる映画ではないはずなのに……。
映画が終わり、エンドロールも尽きて、スクリーンは真っ暗になった。それでも館内に灯りは点かず、観客も誰一人帰らない。
「まだ出ないの?」
ダリヤが隣のお母さんにささやくと、お母さんは何も言わず、人差し指を自分の口の前に立てた。
今日は何かが変だ、と、ダリヤは思った。
ようやく灯りが点き、ダリヤはお母さんと共に観客達の列に並んで外に出た。
「どうだった?」
歩きながら、お母さんが言った。いつもの調子だった。
「とても良かった。でもわたし、どうしてみんながあんなに笑ったのかが不思議」
「そう? ダリヤは面白くなかった?」
「笑える面白さではなかったと思うけど」
「そう……でもみんな、今日は笑いに来たんじゃない? 正直言うと、ダリヤの趣味に合う映画ではないような気はしていたの」
「え?」
ダリヤは立ち止まって、お母さんの顔を見つめた。お母さんも足を止めていたが、その目はじっと前を見つめている。その目線の先には、車椅子に座った男性、その傍らに少女が2人立っていた。
「こんにちは。話があるのだけど、時間もらえるかな?」
男性が言った。
目の前には、ジュースが並んだテーブルをはさんで2人の少女、一組のアンナさんと、二組のニイナさんがいた。言われれば、学校で見た顔ではあった。お母さんは少し離れたテーブルで、車椅子の男性と話し合っていた。時々かすかに声が聞こえて来るが、内容は聞き取れない。大人組と子供組に分かれて話し合うのは、学習塾の先生だというその奈田という男性の提案だった。
「今日はお願い事があっておうちに伺ったのだけれど、お留守だったので、もう一つ気になっていた、映画館に来たの。そうしたらあなた達と会えた、というわけなの」
アンナさんが言った。ニイナさんは黙ってジュースを飲んでいる。
「お願い事って?」
「それは、奈田先生がお母さんに今、話していると思います。戸和さんはお母さんから聞いて下さい」
「ダリヤ、って呼んで。同学年だし」
「わかりました」
ダリヤは、お母さんとの休日を邪魔された気がして、愉快ではなかった。
「じゃあ、わたし達の間では話は特にない?」
「わたし達が映画館に来た理由を話したい。あなたは何の映画を見たの?」
アンナの質問に、ダリヤは少し胸騒ぎがした。
「シンデレラだけど」
アンナは、ちらっと隣のニイナを見た。ニイナもアンナを見た。
ダリヤの不快感は増した。
「シンデレラを見ちゃいけない?」
我ながらきつい口調になっていた。その問いに、アンナは答えない。じっとダリヤの方を見ている。
(見た目はおとなしそうなのに、神経が太い)
ダリヤは少し感心した。家庭以外では口調がきつめになることも多く、怖がられることもある。
「携帯電話を持っている?」
「持っているけど」
真っすぐで揺るがないアンナの視線に、ダリヤは気圧される感じがした。この子、侮れない。
「では、インターネットでシンデレラというワードを検索してみて」
「なぜ?」
「検索してみればわかります。とても大事なことなので、ぜひお願いします」
「お願いします」
ニイナが初めて口を聞いた。かわいい感じの子で、ダリヤはこっちの頼みは素直に聞ける気がした。
「あれ?」
検索しても、何も出ない。
「なぜ? なぜ出ないの?……あなた、知ってたの?」
「映画を見て、何か変なことはなかった?」
アンナはやはり答えない。質問に質問で返す。しかしこうなると、ダリヤは素直に話さざるを得ない。検索をする前にこの質問をもらっていたら、正直に答えなかったかもしれない。そう思ってダリヤは、この子賢い、と感心した。
「他のお客さんが、わたしと違う映画を見ているみたいに感じた。笑えない所で笑うし、終わっても帰らない。こんな感じは、今日が初めて。これって一体、何なの?」
「あなたは、あなただけはシンデレラを見た。でも他のお客さんは、おそらく、あなたの感じた通り、他の映画を見ていたの」
「でも、そんなことってある?」
「他のお客さんの、いや世界中の人の、意識から『シンデレラ』の観念が消されているの。映画館で上映される映画のように、既に準備されて消せないものは、他のものに置き換えられたのだと思う。観客一人一人の意識の中で」
「そんなことが……可能? 誰がするの?」
「PI」
かわいいニイナが言った。でも、意味がわからない。
「日本語で言えば、純粋知性。人間を超える、全知全能の人工知能」
聞く前に、アンナが説明してくれた。でも、謎は深まる。問いを変えよう。
「なぜ? 可能だとしても、なぜそんなことを?」
「わからない」 アンナが答える。
「PIは不合理を嫌う。ただシンデレラの何が不合理なのかは、PIに聞かないと、わたし達にはわからない」
「自分で、聞いてみる?」
ニイナのこの問いには虚を突かれた。聞けるの?
アンナが続ける。
「あなたは、今もシンデレラを知っている。わたし達も知っている。あなたもわたし達も、選ばれた人間なの」
「選ばれたって……」
「そう。だから一緒に、シンデレラを取り戻そうよ!」
ニイナが叫ぶ。必死の思いを感じる。
「え?……でも……」
「ダリヤ、帰るわよ」
気が付くと、近くにお母さんが立っていた。怖い顔をしている。
「うん」
ダリヤが立ち上がると、アンナも、続いてニイナも立ち上がった。
「話の途中だけれど、帰るね」ダリヤは言った。
「また会って、続きを話しましょう」と、アンナ。
「きっとね!」と、ニイナ。
後ろ髪を引かれる思いはあったが、ダリヤは黙ってお母さんについて出口に向かった。テーブルについたままの男性と、通り過ぎるお母さんが黙って会釈を交わした。
「お願い事って、何だったの?」
「何でもない。今日のことは忘れなさい」
お母さんは、ダリヤの顔を見ずに言った。ダリヤは戸惑ったものの、それ以上何も言えなかった。
(PI、って何?……わたしが選ばれた人間って、どういうこと?)
ダリヤは心の中で問い続ける。が、答えはない。
(続く)




