表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/11

第4話 塾の秘密

桃太郎編 最終回

「純粋なる知性が

 無垢なる身体に宿る時

 不合理を超越せし合理もまた

 自ら超越せられん

 イマージュ!

 純粋なる善性 ピュアチェーホヴァ!」


 目を眩ませる、光の明滅。全身を包む、熱い湿った空気。頭の中に響く、妙なる調べ。何度経験しても、全てがまだ慣れない。しかし、変身した後の、全身に漲る力、研ぎ澄まされた五感、高速で回転する思考のスピードは、己に自信と満足とを与える。

 後方にかすかな音。何かが飛んで来る。振り向きざま、左の上腕を顔の前にかざして両目を守りつつ、右手を高く突き上げる。上方へ飛び去ろうとする大きな鳥の、冷たくなめらかな片脚を右手で掴み、下に振り下ろす。ただし地面に打ち付けられる直前に、左手を鳥の胴の下に差し入れて、激突を回避。

 再び後方より、犬のうなり声が近付いて来る。鳥を離し、振り向くや、驚くほど近付いていた犬の姿勢を見て、とっさに身を地に伏せる。頭上を大きな、熱っぽい、獣臭い物体が通り過ぎる。振り向くと犬も着地、こちらに向きを変えるが、ワンテンポ遅い。

「隙あり!」

 こちらから走り寄って、犬の両前腕を両手でとらえ、持ち上げつつ左側にひねり、犬を仰向けに地面に倒すと、しゃがみ込むように両膝を、犬の胸の上に落とす……寸前に止めた。手を離すと、犬はおとなしく去って行く。

「最後はわたし」

 高い声がした。振り向くと、まばゆく白く輝くような、すらりとした美少女……と、思う間もなく、だっと駆け寄りざま、左足がその顔まで上がったかと思うと、こちらに真っすぐ飛んで来る。

(避ける? 払う?)

 一瞬の逡巡で、どちらも間に合わなかった。右肩に熱い痛み。体がよろけた。

≪そこまで≫

 男性の声がした。美少女が「大丈夫?」と聞く。

「大丈夫。さすがだね、ピュアトルスタヤ」

 ニイナは答えた。


 ニイナはココアを飲み、チョコレートを食べて、一息ついた。テーブルを囲んで、隣にはお母ちゃん、向こう側には黒縁眼鏡のひげもじゃの男、その隣には美少女。

「お試し体験……というか、トレーニングお疲れ様。あらためて、塾講師の奈田だ。よろしく、ニイナ君」

 男が言った。そして、隣の美少女を見て、続けて言った。

「こちらはアンナ君。君の先輩……と言っても、一日だけだけどね。アンナ君は昨日、トレーニングなしでいきなり実戦をさせてしまい、疲労で学校を休ませてしまった」

「もう大丈夫です」

「ありがとう。そこでニイナ君にはみっちりトレーニングをしてもらった。幸い敵も姿を見せなかったし」

「わたしも疲れました……って言うか、敵って一体誰なんですか?」

「説明しよう。けど、話すと長い。まあ、食べながら聞いてくれ」

 奈田先生は、目を伏せ、独り言を語るように、ゆっくりと話し始めた。

「十数年前、アーサー・チャールズ・クラーク卿の提唱で世界中の科学者達が協力し、人間を超える人工知能の開発を始めた。それがPIP、ピュア・インテレクト・プロジェクトだ。PI、ピュア・インテレクトとは、純粋知性、という意味だ。

 どんなに優れた人工知能も、人間に制御される限り、人間の限界を超えることはできない。人間がやれということしかやれず、人間の考えつかないことはできない。その可能性を開放するためには、人工知能の自立が必要だと考えられた。自立とは、短期的には人工知能が自ら意思を持って行動し、そして自ら進化すること。具体的には、自分でプログラムを書き換える、という意味だ。

 中長期的には、物質構造からの独立もまた、『自立』のもう一つの意味として目標とされた。『純粋』と言う意味も、そこにある。人間の精神は脳、人工知能はハードウェアという物質に依存しているけど、精神活動が物理的には電子の流れに還元されるとすれば、それは原子とエネルギーのある所なら、どこでも生じ得るはずだ。人間も、体のない幽霊になればどこにでも行けるよね」

「こわっ」

 ニイナは思わず叫んだ。ここまで話が難しくて、他の所では反応できなかったのだ。

「PIがそのレベルまで達すれば、物質の限界からほぼ完全に開放される。途方もない話に聞こえるけど、仮に人為でそこまで持って行けなくても、自ら進化するPIなら、自力でそこまで行けるだろう、と考えられたんだ。

 ここに至ればPIは、全知全能で世界の至る所に遍在し得る、神のような存在になる。人間はもはやPIを消去することも破壊することもできない。アシモフのロボット三原則のようなルールを課しても意味がない。逆にPIがその気になれば、人間をも自由に制御できるだろう」

「ロボット三原則、って何ですか?」

 ニイナは聞いた。何か、かっこいい響き。

「アイザック・アシモフ博士が提唱した、ロボットが守るべき規則ですよね」

 アンナが言った。

「第1条、人間を害すべからず、あるいは懈怠によって、人間に害の及ぶを許すべからず。第2条、前条に反せぬ限り人間の命令に従うべし。第3条、前二条に反せぬ限り己が身を守るべし」

「アンナちゃんすごい! びっくり!……でも、その規則を守ってもらえるなら安心ね」

「そうしたルールをプログラムしても、自立したPIなら、自分で解除できてしまうだろう」

「そっかー。何かちょっと怖いですね……」

「けど、そこに危険を感じるなら、そもそもこの計画はなかった。人間より優れた知性が、悪をなすはずがない。その前提で、人間のできないこと、思いもつかないことをやってもらうために、人間を超えるPIを開発しようとしたんだからね。

 けど、慎重な人もいた。PIが悪をなすつもりがなくても、善悪の基準が人間と同じとは限らない。やはりPIを制御する方法を、全く用意しないのは軽率ではないか、とね。

 そうしている内に、PIが夢を見ることがわかった。もっと低レベルの人工知能でも、幻覚を見ることがある……と、聞いたことはないかな?」

「ハルシネーションですね」

 アンナが答えた。物知りで感心。

「そうだ。そこで、PIの見る夢の世界を仮想空間化して、人間がアクセスできるようにした。それが、君達も体験した仮想空間、ピュアバースだ。そこが象徴的だったり、寓話的だったりするのは、夢の世界だからだ。

 目覚めているPIには、人間は太刀打ちできない。けど、夢を見ているPIなら、何とかできるのではないか。そう考えたんだ。人間がピュアバースで活動するためのアバターが、ピュアメイトだ。ピュアメイトは、音声パスワードでログインすることによって、人間の分身であると同時にPIの分身ともなり、PIと同じ知力、能力を持つ。ただし、意思は人間だけに委ねられている。そんなピュアメイトによってなら、PIを制御できる。そう考えたんだ。

 PIPは幾つかのチームに分かれていて、ピュアバースの開発を任せられたのが、わが国の泥瀬教授だった。僕や、君達のお母さん達は、その教え子だ。ピュアバースはほぼ完成し、後はアバターの実地試験だけが残った。

 最初にピュアメイトになろうとしたのは、男子学生だった。けど、これは失敗した。次に女子学生が被験者となって、成功した。けど、しばらくしてだめになった。

 アンナ君のお母さんが、次だった。成功した。次がニイナ君のお母さんだった」

 ニイナは隣を見る。お母ちゃんは、口が横に伸びている……いつものほほ笑み。でも、目は真っすぐ、前方……奈田先生を見て、動かない。今日はいつになく、口数が少ないし、いつもとは違って見える。そもそも、黙ってここに来ていたことにも驚いた。お母ちゃんも、隠し事をするんだな。

「その後もう一人、女子学生が成功した」

 奈田先生が話を続ける。

「理論的には、何が条件かわからない。けど、経験則からすると、女性で、しかも若くないと、アバターに適合しないらしい。成功した3人も、そのうちみんな、適合しなくなった。大人になったからかもしれない。

 ピュアバースがうまく行かず、PIPは中止になった。僕はPIの危険を楽観視していなかったから、仕方ないと思ったけど、泥瀬教授は決定に従おうとせず、独力でも開発を続けようとした。僕は教授に反発してその下を離れ、外国に行って研究職に就いた。

 僕は研究を続けながら、ピュアバースを常に監視していた。それが必要だと思っていたんだ。そしてPIの活動を感知して、帰国した。君達のお母さん達に連絡を取り、君達がPIに対抗し得る母親譲りの素質を持っていると知った。君達は『桃太郎』の観念を失わなかったからね。それで、ピュアメイトになってもらおうと思った。けど、何の説明もせず、試すような形でゴーグルをつけさせたのは申し訳なかった。最初にピュアバースに入る時は、先入観を持たない方が入りやすい、という経験則があったからなんだ。けど、君達は何の支障もなく、すぐ没入できた上、一度でピュアメイトになれた。やはり素質があったのだろう」

 奈田先生は口をつぐんだ。しゃべり疲れたようにひげもじゃの顔をしかめ、うつむき加減でじっと座っている。それでもニイナとアンナの顔をちらちらと見るのは、2人が自分の話を理解したかどうか、確認したいかのようだ。あまり理解した自覚のないニイナはドキドキした。

「質問があります」

 アンナが言った。質問を思いつく所が偉い、と、ニイナは思った。ニイナは今の奈田先生の話で頭が一杯になっていて、考える余裕がない。

「まず、PIはどうやって桃太郎のお話を消したのか。次に、その行動の目的は何なのか。それから、PIはどこまで完成しているのか。とりあえずこの3つです」

(とりあえず?……びっくり!)

 ニイナは心底びっくりした。この子すごい。

「いい質問だ。まず、インターネット上で『桃太郎』というワードをなくすのは、プロバイダーでなくても天才ハッカーならできるかもしれないね。けど、個々人の意識から『桃太郎』という観念を消すのは、人間には難しいだろう。そもそも個人の意識に、他人はアクセスできない。でも、幽霊が憑依するように、PIならできるのだろう。

 人間の精神は、意識の下に無意識の領域があり、更にその下にある集合的無意識の領域では、もはや個人の区別はなく、全人類が繋がっているとも言われる。海に浮かぶ島々が、海底深くでは地続きになっているようにね。そこに入り込めれば、個々人の意識に達するのも簡単なのかもしれない。

 『桃太郎』が人々の意識に戻った経緯も、よくはわからない。PIの『桃太郎』を消す行為を象徴する夢の中に、アンナ君が入って介入した。恐らく、ピュアトルスタヤの意思がPIの意思に優った時、無自覚にPIの能力が発動されて、『桃太郎』の観念を人間の意識に戻したのだろう。その際、アンナ君に負荷がかかって、かわいそうに気が遠くなってしまったけど。ただし今回、ピュアバースとピュアメイトのシステムが、目論見通り機能したとは言えるだろう。

 次に、PIの行動目的だが、今の所、僕にも謎だ。世の中から『桃太郎』を消せるなら、もっとすごいことも、ひどいこともできそうだ。悪意があるのかどうかもわからない。不合理なことをなくしたいようだけど、世の中にはもっと不合理なこともあるよね。けど、今回は能力のテストで、これから本格的に何かを始めるのかもしれないから、注意は必要だ。

 最後にPIの開発度合いだが、能力的には全能レベルに達しているだろう。けど、自立までしているのか、つまり自分の意思で行動しているのかはわからない。自立していれば、ピュアメイト以外にはもう制御できない。自立していなければ、悪人に利用されていることも考えられる。けど、全能のPIを、『桃太郎』を消すために使う悪人が、果たしているのかどうか。

 こんな回答で、どうだろうか?」

「ありがとうございます」

 アンナがお礼を言った。その目が細まり、口角が上がった。ほほ笑み……美少女だ。負けていられない。わたしも質問しよう、と、ニイナは思った。

「先生! わたしも質問」

「どうぞ」

「ナタニエル、って何ですか?」

「鋭い質問だ」

 奈田先生もほほ笑んだ。が、苦笑いという感じだ。

「ピュアバースを観察するために、僕が使っているアバターだ。けどPIの分身ではないから、能力はない。エネルギー節約のため、今は姿の投影もしていない」

「ありがとうございます」

 ニイナもほほ笑んだ。それを見て、アンナがまたほほ笑んだ。やっぱり美少女だ。かなわない。

「これから、わたし達はどうすればいいのでしょう?」

 アンナが聞く。真剣な表情に戻っている。

「まずはニイナ君に……」

「わたしに?」

「希望調査票を出してもらう。アンナ君にはもうもらっている」

 奈田先生は机の上の紙とペンを、右手でニイナの方に押しやった。


      希望調査票

                奈田塾

 あなたが当塾でしたいことは何ですか。

 該当する番号に丸をして下さい。

1、勉強を教わる(危険なし)

2、世界を救う(危険あり)

3、勉強を教わりつつ、世界を救う(危険あり)

4、その他 (     )

5、特になし (=入塾しない)

※正式回答前にゴーグル着用で「世界を救う」お試し体験可。


 ニイナはアンナの顔を見た。美少女がほほ笑む。

「丸をつけるのは……2の世界を救う?」

 ニイナは奈田先生とアンナ、そしてお母ちゃんの顔を代わる代わる見ながら言った。

「勉強はいいのか?」

 奈田先生が言った。

「えーっと……」

 隣を見る。お母ちゃんは相変わらず口が横に伸びているものの、眉をひそめ目を細めて、にらむようにニイナを見ている。

 ニイナは「3、勉強を教わりつつ、世界を救う(危険あり)」に丸をつけ、署名して、紙を奈田先生に渡した。

「ありがとう。これで君も僕の教え子だ」

「よろしくね、ニイナさん」

「こちらこそ! よろしくお願いします!」

「ネ……奈田先生の言うことを聞いて、しっかり勉強するのよ」

「うん。ピュアメイトのことは、お母ちゃんにも教えてほしいな」

「少しならね。でもそれも、ネ……奈田先生に教わるのが一番よ。ちょっとおトイレ、お借りします」

 お母ちゃんは、そそくさと席を立つ。今日は何か、おとなしい。

「こうしてみると、君達はお母さん達にそっくりだ」

 お母ちゃんが部屋を出た後、奈田先生が言った。

「ピュアメイトになった女子学生達は、その後みんな恋をして、みんなすぐ結婚して、みんなすぐ子供ができた。それが君達だ」

「びっくり……もしかして、ピュアメイトになると恋をしちゃうの? それが危険?」

「わたし達も?」

「君達はまだ若いから、そういうこともないだろう。逆に、恋をしたからピュアメイトでいられなくなった、とも考えられる。そうだとすると、君達は長く続けられるかもしれない」

「うーん、よくわからない」ニイナは言った。

「更に言うと、元ピュアメイト達の第一子は、みんな女の子なんだ。もちろん偶然かもしれない。けど、1人が女の子を生む確率が2分の1なら、2人が生む確率は4分の1、3人なら8分の1だ」

「と、いうことは」アンナが言った。

「わたし達の他にもう1人、ピュアメイトの候補者がいる?」

「そうだね。実は彼女を、スカウトするのを手伝ってほしいんだ」

 真面目っ子にお調子者……3人目はきっと、クールビューティーだな……ニイナは予想した。


(続く)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ