第3話 一組と二組、明日と明後日
桃太郎編 第三回
ニイナは、漫画好きの女子中学生。今日も自室で漫画を読んでいると、弟が夕飯を告げに来た。
「漫画を読んでて全然気付いてなかったけれど、お腹ペコペコでびっくり! さあ行こう!」
ニイナがそう言っても、なぜか弟は動かない。壁に吊るされたニイナの制服を見ている。
「やっぱりお姉ちゃんと同じ学校だ」
「誰のこと?」
「今日、図書館で見た人。表紙にも中のページにも、何にも書いてない本を読んでてびっくり」
「えー、そんな本ある? 印刷失敗?……にしても、ほどがあるよね?」
「でもその人は、これはモモタロウの本だって言うんだ」
「桃から生まれた桃太郎が、鬼を退治して真っ白に燃え尽きた……ってこと?」
「お姉ちゃん、意味わかんない」
「失敬失敬。じゃあご飯に行こう!」
ニイナは先に立ってドアを開けた。するとすぐ目の前に人が立っていた。
「お母ちゃん! びっくり!」
「2人とも遅いわよ!」
「ごめんなさーい」
ニイナは弟の話をあまり真剣に考えなかった。弟も食卓でその話を出さなかった。
食後、ニイナが自室でまた漫画を読んでいると、ドアがノックされた。
「ニイナ、入るわよ」
お母ちゃんの声に、ニイナは慌てて漫画を隠そうとしたが、床に落としてしまった。
「また漫画を読んでたのね……読むなとは言わないけれど、勉強もしないと」
「してるよ!……今日はまだやってないけど……」
「やっぱり……そんなあなたに、いいものを上げましょう」
「やったー!って、何?」
お母ちゃんはニイナに一枚の紙を渡した。それは学習塾の案内チラシらしく、「奈田塾」と書いてある。
「選ばれた少数の生徒だけを個別指導してくれるの。先生は信用できる人。あなたをお任せするってお願いしたからね」
「塾かー」
情けない声を出したニイナを、お母ちゃんはじっと見つめた。いつにない真剣な表情に見えて、ニイナは少しびっくりして、黙ってお母ちゃんを見つめ返した。すると全く思いがけないことに、お母ちゃんは急にニイナを抱き締めた。そしてその耳元で、ちょっとかすれた声で言った。
「ニイナはお母ちゃんの子だから、やればきっとできる。信じてる」
ニイナは、お母ちゃんがそれほどまでに自分の勉学を心配しているのだと考えて、申し訳ない気持ちになった。
「わたし、お母ちゃんに心配かけないようにがんばるね」
「言ったね! その言葉、わたし絶対忘れないからね」
お母ちゃんはニイナの体を離して、笑いながら言った。普段に戻ったようで、ニイナは少し安心した。
「明後日は放課後、真っすぐ塾に行ってね。明後日よ、間違えないでね」
「このチラシを見て行くよ」
お母ちゃんを見送った後、ニイナは、勉強は塾でやるからいいよね、と考えて、再び漫画を読み始めたのだった。
翌日、ニイナは昼休みにクラスメイトから変な話を聞いた。
「一組の子が見たらしいんだけれど、桃のお化けが出たんだってー。見た目は普通の男の子なんだけれど、振り向くと顔が桃なんだって!」
「えー! それはびっくり!」
「そうしたら、一組に胡桃沢さんいるじゃん? 学年一の秀才の」
「うんうん」
「胡桃沢さんが言うには、それはモモタロウって奴なんだって。さすがだよね、妖怪まで詳しくて」
「桃太郎?……が、妖怪の名前?」
ニイナは昨日の弟の話を思い出した。この2つの話に、何か関連がある……とも思えないのだが、なぜとはなしに胸騒ぎがした。
放課後、ニイナは町の図書館に行ってみた。絵本コーナーで探しても、桃太郎は見当たらない。パソコンで蔵書検索もしてみたが、やはり出なかった。
カウンターにいた司書のお兄さんにも聞いてみたが、そんな本は聞いたこともない、という感じであった。
帰宅後、顔が桃の妖怪・桃太郎の話を弟にしてみると、思った以上の反応が返って来た。
「モモタロウって妖怪だったの?! びっくり! だから本も真っ白にしちゃうの? 怖い! じゃあ、あのお姉ちゃんも妖怪かな?」
「それはないでしょ? うちの生徒なんだから」
弟の反応が過剰過ぎて、ニイナはかえって白けてしまった。こうやって噂に尾ひれがついていくのだな、と冷静に思った。漫画を読んで、そのことは忘れた。
しかし翌日になると、ニイナはまた桃太郎が気になり始めた。事情通らしい胡桃沢さんに、一昨日の弟の話を相談してみようかと思った。話をしたことはなかったが、学校では有名人なので顔は知っていた。
昼休み、給食の後でニイナは一組に行った。胡桃沢さんはすぐ見つかったが、席で目を閉じている。近付こうとすると、2人の生徒がガードするように立ちはだかった。
「何の用かしら? 胡桃沢さんは、食後は休憩するのよ」
「食べたものを消化するのに、全エネルギーを集中させるためよ」
「あ、そうなんだ……びっくり……ちょっと桃太郎のことで聞きたいことがあって」
「桃太郎がどうしたのかしら?」
「あの……桃の顔をした男の子のお化けって、本当に桃太郎って言うんですか?」
「ちょっ、何それwwwww」
「ウケるんだけどwwwww」
「え?」
「そんなの聞いたことないwwwww」
「顔が桃ってwwwwww」
「胡桃沢さんが知っているって聞いたんですが」
すると、胡桃沢さんが目を開けて、ニイナの方を見て言った。
「知らないわよ」
「あれ?」
「きっと誰かの作り話ね。何でもわたしが言ったことにされがちなのよ」
「そうだったんだ……びっくり……」
「あなた、お名前は?」
「二組の納谷ニイナです」
「わたしは胡桃沢クララ。あなた、うちの組の狩屋アンナさんをご存知?」
「いえ、知りません」
「彼女も昨日、桃太郎のことを聞いていたわ。今日は休んでいるけど……では、またね」
「休憩中のところ、失敬しました」
胡桃沢さんはまた目を閉じたが、座り直した拍子に長い髪が揺れて、耳が少し覗いた。イヤホンをしていた。何か聞きながら眠るのかな、と、ニイナは思った。
放課後、ニイナは「奈田塾」を訪れた。「ごめん下さい」と声をかけても返事がない。施錠されていないドアを開いて中に入ると、大きなテーブルがあり、その上にVRゴーグルがあった。ニイナは漫画で読んで知っていたが、実物を見るのは初めてだった。
近づくと、ゴーグルの下に白い封筒があった。その表には「納谷ニイナ様へ」と書いてある。
ニイナは封筒を取り上げ、その中から1枚の紙を取り出した。
希望調査票
奈田塾
あなたが当塾でしたいことは何ですか。
該当する番号に丸をして下さい。
1、勉強を教わる(危険なし)
2、世界を救う(危険あり)
3、勉強を教わりつつ、世界を救う(危険あり)
4、その他 ( )
5、特になし (=入塾しない)
※正式回答前にゴーグル着用で「世界を救う」お試し体験可。
「これってうっかり『世界を救う』に丸しちゃうと、異世界に飛ばされそう……あっ、そのためのゴーグル?」
ニイナは、ゴーグルを見てからそれをつけてみたくてたまらなかったのだが、手紙を読んで慎重になった。
しばらく待ってみたが、誰も来ない。今日は塾に行く、ということで漫画を持って来ていないので、暇をつぶす手段がない。どうしてもゴーグルに目が行ってしまう。
「お試しなんだから、まだ危険はないってことだよね?」
我ながら自分に都合のいいように解釈しているなとは思いつつ、結局ニイナはゴーグルを顔に装着した。
ニイナは、岩山と海の間の砂浜にいた。潮風が心地良い。
見上げると、快晴の空に、太陽が高く昇っている……と、一瞬だけ、太陽が陰った。何かが飛んでいる。ぐるぐると空を回っている。
「ワォーン」
これは犬の……雄叫び? 地上に目を戻すと、砂浜の向こうから、大きな犬が走って来る。遠目にも、荒ぶっているのがわかる。
と、バサバサバサッ! と音がして、目の前を何かが飛び抜けた。ニイナは心臓が止まりそうなほどびっくりした。飛翔体を目で追う。大きな鳥。旋回して、またこちらに向かって来る。
「何? 怖い!」
逃げるべき方向を探して、ニイナは辺りを見回した。すると、どこからか、声が聞こえた。
≪逃げないで≫
「え?」
≪あなたが世界を救えるか……これから試されるの≫
「あなた誰?……わたしは何をするの?」
≪わたしの名はピュアトルスタヤ……そしてあなたは……ピュアチェーホヴァになるの≫
(続く)