第24話 人魚姫のクララの場合(前編)
クララは政略結婚の相手の王子をお忍びで見定めに来るが……人魚姫編、ドラマチックなクララ回
クララは椅子に座って、目の前の男の話を聞いている。いつからこうしているんだっけ……どこかでふと、そう思ったりもするけど、はっきりと疑問を持ったわけではない。クララの自身に関する知識は、そうしてこの男から聞いたことが全てで、それ以外にはない……そんな気もするのだけど、だからどうということもない。とにかく、男の話を聞くのに精一杯で、余念の生じる暇がない。
「王子は、必ず時間を作って王女様にお目にかかります。お待ちいただけますと幸いです」
男の言う「王女様」とは、クララのこと……そう思って聞いているのだけど、時折ふと、わたしって王女だったかしら、という疑念が浮かぶ。けど、男が休まず話し続けるので、疑念は深まることなく消えて行く。
「王子は、公式に父王のお見舞いに来られた貴国の大臣閣下と面会しています。王女様とは非公式の会見とならざるを得ませんので、このような誰もいない寂しいところで、何のおもてなしもできずにお待ちいただくことをお許しください」
男は口を閉じて、すまなさそうに、あるいは心配げに、じっとこちらを見る。わたしが怒っていないかを危ぶんでいるのだろうか。
「かまいません。お気遣いなく」
男は目に見えてほっとした顔をしたので、そう言ってよかったとクララは思った。
「正式な婚約前に、お忍びで相手を見に来られる……その勇気と大胆さには心より敬服いたします。けれど何分、思いも寄らぬことで準備が整わず、こうしてお待たせしてしまっていることを、重ねてお詫びいたします」
そういうことなんだ……何か、面白そう。
「お詫びは不要です。待つのもまた、楽しい……ワクワクしますわ」
男はちょっと驚いたようだ。
「これはこれは……恐れ入ります」
男は楽しげにほほ笑む。笑うと顔にしわがよって、老けて見える。
「王子はすぐには参りませんので、この時間を利用して、僭越ながらわたしから少々、王子殿下について王女様にお教えいたしましょうか?」
先ほどまでの堅苦しさは消えている。どうしてどうして、この男こそ、勇敢で大胆……そんな気がする。会話が楽しくなりそう……と、クララは思う。
「ぜひお願いします」
「恐れ入ります」
男はうやうやしく頭を下げた。態度は慇懃だが、卑屈さは微塵もない……そもそも、この人は何者なんだっけ?
「その前に、まずはあなたのことを教えて下さい」
「失礼いたしました」
男はもう一度、しかし今度は軽く、頭を下げる。
「わたしは王家の正式な家臣ではございません。王宮出入りの商人ですが、王子殿下のご信頼を得て、家臣には任せられない私的な、あるいは秘密の用事を仰せ付かっております」
「そうすると、わたしのことは宮中でも秘密になっているの?」
「もちろんです。衛兵達も、王子の私的なお客様、としか伝えられておりませんし、お召し物も失礼ながら、わたしの方で用意させていただきました。お忍びとは言え、女官の格好のままではいけませんので」
クララは下を見る。まばゆいばかりに純白のドレス。そのすそが末広がりに広がって、足元を隠している。
「お気に召しませんか?」
男は心配げに聞く。先ほどの心配顔よりもよほど真剣な面持ちで、ポーズには見えない。
「素敵ですわ。ありがとう」
その言葉に男は、心底から嬉しそうにほほ笑んだ。
「光栄です」
男は涙ぐんでさえいるようであった。なぜ?
「わたしには、娘がおりました。そのドレスは、娘の形見なのです」
そうなんだ……クララも思わず、もらい泣きしそうになった。けど、一方では違和感も覚える。娘さんはどうされたのですか?……そう聞こうかとも思ったけど、話がそれて行きそうなので、やめる。
「王子様のことを、教えていただけますか?」
「わかりました……失礼いたしました」
男は指先で軽く目元をぬぐうと、またまっすぐクララを見て話し始める。
「絵師の描いた肖像画をお届けしているものと存じますが、王子は絵のように美しい殿方です。ご気性は繊細で、いささか神経質とも申せましょうか。寂しがりで、真摯に愛を求めておられます。愛に飢えている、と言う方が正確かもしれません。そしてそれには……秘密の理由があります」
歯の浮くようなお世辞を並べるのかと思いきや……よく言えば正直、率直で、わたしにはありがたい、と言えるのかもしれないけど、この人が実は王子の秘密を初対面の人間に軽々に話すような不忠者なら、わたしだってこの人のことを信じていいの?
「その秘密を、お聞かせいただけますの?」
「もちろんです」
なぜ、「もちろん」なの?……と、問い質したい所を我慢して、ここはまず秘密を聞こう。
「王子殿下は、普通の人間の子ではないのです。両親が愛し合って生まれた子ではないのです。人形職人がまるで生けるがごとき精巧な人形を作るように、父王陛下が、人工的に作り出した子なのです。だから、殿下には魂がないのです」
クララはショックを受けた。そして戸惑いを覚えた。聞いた言葉に理解が追いつかない内に、まだ見ぬ王子への同情心も湧き起こった。そして、それを伝えた目の前の男に反発を覚えた。
「そんな重大な秘密を、わたしに言ってしまっていいのですか? それとも王子様に、許可を得ておっしゃっているのですか?」
男は、目を伏せ、目を上げ、また目を伏せ、また目を上げた。その顔は苦しげであった。自分の強い言葉を、クララは後悔した。この男は、もちろん、王子に深い同情心を持った上で語っている。
「許可は得ておりません。でも、王女様には知っていただきたい。そうわたしが判断して申し上げました。
殿下は、心から愛し合う女性と結婚することで、魂を分かち合うことができます。でも、魂がほしいだけではないのです。殿下は、単なる出入り業者に過ぎないわたしだけを信頼下さるほど、王宮で孤立しておられます。孤独なのです。愛に飢えておられるのです。
正直に申し上げれば、王女様とのご結婚にも、政略結婚に過ぎないと何の期待も持っておられないのです。人間に愛されることは諦めて、美しい人魚の少女にご執心で、現に今も2人を監禁しています。人魚が相手でも、これは犯罪です」
クララは先ほどとは別のショックを覚えた。王子への同情心は薄らいだ。自分が不幸だからと言って、他人を不幸にしていいわけはない。
「王族の結婚は、外交の手段です。王子殿下のお相手は、現状としては王女様しかおられません。王女様に愛されない限り、殿下は魂を得られません。
殿下が望む愛を得て、魂の不安もなくなれば、お気持ちも穏やかになり、その繊細さがうまく活かされれば、やがて名君ともなられよう……そう夢想することもあります。だからと言って、殿下を愛してください、とはお願いできません。それは誰にも言えぬことです。王女様ご自身のお気持ち次第のことですから。王女様には、直にお会いになられて、素直なお気持ちで、王子をご覧ください、とのみ、お願い申し上げます。人魚は、わたしが必ず無事に解放します。それでも、殿下の罪は消えないでしょう。それもお含みの上で、ご判断下さい。
しかしもしあなたが殿下を、愛するに足りぬ、とご判断なさっても、それをそのまま口にはなされますな。殿下は、自分があなたに傷付けられたと感じたら、あなたをお国に返さないかもしれません……人魚にしたように。願わくば本心を伏せられて、殿下には期待を持たせて、無事にご帰国されることを第一に考えて行動なされませ。ご帰国さえされれば、破談は貴国の権利となりましょう。国王が倒れた今のこの国に、それを咎める力はありません」
この男は、王子にもクララにも、できる限り誠実たらんとした……その結果が、この秘密の暴露なのだろう。そしてそれは、ぎりぎりの時間に果たされた。何の前触れもなく、部屋の大きな扉が開いて、小柄な少年が入って来た。きらびやかな服装……王子。
「お待たせしました」
確かに美しい顔ではある……けど、表情がない。どこかで見た顔に思えるけど、思い出せない。クララは立ち上がって、礼をした。
「クララです。今日はお忍びでお目にかかりに参りました」
商人は立ち上がって退き、王子が代わりに目の前の椅子に座った。クララも着席する。商人は一礼して部屋からも出て行った。
「大臣閣下にも申し上げましたが、父王の病は重い。だから結婚を急ぐべきなのか、延ばすべきなのか。あなたは結婚するならどちらがいいですか、王子と、国王と」
冷たい言い方……それにそもそも、結婚はまだ決まっていないはず。クララは反感を覚えた。ここは慇懃無礼に返そう。
「国王陛下のご病状の回復をお祈りいたします。陛下にお目にかかれる日をお待ち申し上げます」
「ありがとうございます」
王子も一応は頭を下げた……ものの、あまり応えてはいないようだ。
「あなたは今日はお忍びで来られた。これは非公式の会見です。堅苦しい礼儀は無用としましょう。しかし、失礼はお詫びします。言葉を改めます。王女様、わたしと結婚して下さいますか?」
不意を衝かれた……胸がキュンとした。商人の話がなければ、コロッとOKしていたかもしれない。けど、ここは慎重に行こう。
「その判断をするために、今日は参りました。それにもちろん、結婚ともなれば国と国とのお話ですから、わたし達だけでも決められませんし」
「結婚は、そうかもしれませんね。では、質問を変えます。あなたは、わたしを愛して下さいますか?」
確かに、飢えている……のかもしれない。結婚は、政略、外交なのかもしれない。けど、愛は、純粋に心の作用。利害得失で決めるものではない。
「プロポーズは、結婚の意思の現われ。けど、他人に愛を問う人が、そもそも自分が愛しているとは限らない。わたしに問う前に、あなたはわたしを愛していますか?」
王子は目を伏せた。大人っぽく見えていた彼が、急に子供に見える。
「わたしは自分を愛してくれる人を愛したい」
「愛に条件が必要だと? 愛してくれる保証がないと愛せない?」
王子は顔を上げた。依然として表情はない。けど、声が弱まっている。
「愛しても愛されないことには耐えられない」
「それは本当に愛しているの?」
王子は再び目を伏せ、黙ってしまった。この人は、愛がわからない……そしてそれは、魂がないから?……もしそうなら、残酷過ぎる。
「あなたも人魚と同じだ」
王子の上げた目が、ギラギラと光っている。声も強い。クララは、同情心に隠れていた危機感を取り戻した。可哀そうな子供でも、狂気を通す権力を持っている。絶望させては、危険となる……けど、急に卑屈になってもいけない。むしろ、強気で押そう。
「いいえ。わたしは人間。一国の王女。そして、あなたのお妃候補」
一呼吸置いても、王子は口を挟まない。ペースを握ったか。このまま行こう。
「わたしには、わかる。あなたは、愛を知らない。けど、それは気にしなくていい。もしわたし達が結婚すれば、あなたは自然に、それを知る。朝起きたら、わたしがいる。ほほ笑み合って、おはようと言い合う。朝ご飯を一緒に食べる。あなたがおいしいと言えば、わたしもおいしいと言う。食後は、一緒に乗馬。お日様を浴びて、風が気持ちいい。花が咲いていたら、下馬して摘んで、わたしにくれる。耳に挿したら、あなたはきれいと言ってくれる。そんな生活の中であなたは、ああ、これが愛か、と思う」
クララは再び口を閉じた。王子はやはり黙っている。黙って、クララを真っすぐ見つめている。視線は動かない。
「けど、相手がわたしでいいのかは、考えて下さい。わたしも考えます。政略結婚が嫌なのは、誰でもそう。共に生きて行くのに、ふさわしいのは誰か」
「いや、あなたがいい」
王子が言った。
「わたしはあなたに決めた。あなたもわたしを選んでくれることを願う。今日は会えてよかった。ありがとう」
結局、素直で一途な人なのだ。わたしの愛を得て、改心して名君になる……商人の「夢想」を思い出した。流れのまま、結婚してもいいかも……とも思うが、やはりまだ怖さもある。
「結婚を考えるに当たって、わたしとしては、人魚のことをお聞きせざるを得ません」
「あなたに心配はさせません。すぐ片をつけて来ます」
王子は立ち上がり、一礼すると、さっさと部屋を出て行ってしまった。
どうなるの?……と、気をもんでいると、しばらくして商人が来た。左腕に丸めた毛布らしきもの抱えている。一緒に来て下さい、と言う商人に続いて廊下に出ると、左手に人影が見えた。長い廊下の端に、椅子に座った少女が2人。椅子の両側にある大きな車輪を、自分達の手で動かして、少しずつこちらに向かって進んでいる。
「あれは?」
クララが聞くと、商人が答える。
「あれは車椅子と言いまして、国王陛下のために数台、取り寄せたのですが、思わぬ所で役に立ちました。乗っているのは人魚で、脚がないので歩けないのです。彼女達も後から参ります」
商人は廊下の右手を手で示して、クララに先に行くよう促した。その先の行き止まりにあった大きな扉を押し開くと、大きな空間が開け、空気がひんやりとした。王子と、そして裸の少女が、立っている。
「さあ、紹介しましょう。我が同盟国の王女様です」
王子の声が聞こえた。状況がわからない。けど、とりあえず挨拶をしよう。
「ごきげんよう。わたしはクララ」
(続く)




