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第22話 人魚姫のニイナの場合

ニイナはアジとカジキ、カニとカキを連れて、アンナを助けに行く……人魚姫編、ファンタジックなニイナ回

 昨夜からいなくなったアンナを、ニイナもダリヤも探していた。

 すると、カキを咥えたアジが、ニイナに近付いて来た。ニイナがカキを掴むと、アジは口を開いた。ニイナが頭をなでると、アジは嬉しそうにその場をくるくる回った。

 ニイナがカキを尾にくっつけると、カキがぶるぶる震え始めた。そして、頭の中に声が聞こえ出した。


「あなたは……誰?……わたしは……どうしたの?」

「わたしは、人魚のアンナ。あなたは、海で溺れていたの」

「人魚?!

 だから、水の中にいるんだね。あなたが、溺れているわたしを、助けてくれたの?」

「ええ」

「ありがとう。あなたは命の恩人なんだね。本当にありがとう。

 ここまで連れて来てくれたのはなぜ?」

「砂浜だと、わたしが近付けないから。ここは水深があるから」

「そうなんだ。でも都合がいい。ここはわたしの城だから」

「あなたの?」

「正確に言えば、父王の城。わたしはまだ王子だから」

「まだ無理しないで。さっきまで気絶していたのだから」

「ありがとう。あなたは本当にやさしい。あなたに助けられて、わたしは幸せだ。

 王子は、何でも持っている。遠い砂漠の国からやって来た名馬も持っているし、最新式の快速船も……昨日沈めてしまったけれど、また作ってもらえよう。毎日食べきれないほどのごちそうを食べ、気に入った服に日に何度も着替える。国中から選りすぐった美少女達を呼んで、舞踏会。金貨も銀貨も宝石も、蔵にうなっている。幸せでない、はずがない……はずがないなら、幸せ、なのか? どうだ、あなたには、わたしが幸せに見える?」

「幸せではないように見えます」

「違う! わたしは幸福なのだ!……昨日までは、確かに不幸だった。でも、今は違う。なぜか? それは、あなたに出会えたから。

 誰もわたしを、王子としか見ない。その地位を敬い、畏れるが、わたし自体を見てはくれない。誰もわたしに本心を明かさない。今、父王は病に倒れ、母親代わりの女官長は、その看病に付きっ切り。わたしのことは放ったらかし。他に信用できる者は一人もいない。友達もいない……これで、幸せになれようか? わたしは諦めていた。でも、なれた。幸せになれたんだ。わたしが誰かも知らずに、我が身の危険も顧みず、嵐の海を何時間も泳いで、わたしをここまで連れて来てくれた。わたしは、愛を知った。愛される喜びを知った。愛してくれる人を得た。わたしはもう、この人を離さない……いや、人じゃない、人魚を」

「わたしは、あなたを助けました。

 でもそれは、あなたを愛しているからではありません。知らない人を、愛しようもない。でもわたしは、あなたを助けたことに満足しています。わたしは海に帰ります。さようなら」

「あなたはわたしと暮らすのです。いつまでも、愛し合いながら」


 カキが伝えられるのは、音声だけ。最後に何があったのかは、はっきりしない。愛し合って暮らすというのだから、命を奪ったりはしないだろう。しかし、帰って来ない以上、アンナは王子に監禁された、と想像できる。

 ニイナは、尾にくっついたカキを見つめながら、話した。

「ニイナです。これから、アンナを助けに行きます。その途中でも、わかったことがあったら知らせます。アジとカジキを連れて行きます。じゃあまたね」

 ニイナはカキを引き剥がし、その痛みに耐えつつ、サバを呼んでカキを咥えさせた。

「ダリヤに届けて。お願いね!」 

 サバはピューッと泳いで行った。

 ニイナは海底の岩に近付いて別のカキの一つを引き剥がし、尾にくっつけた。それから、そばを歩いていたカニをつまみ上げて、カキの殻を鋏ませた。先ほどのニイナの言葉を聞いて既に近付いて来ていた大きなカジキの角をなでて、言い聞かせる。

「いい、わたしの友達を助けに行くよ。用心棒をお願いね!」

 今度は、くるくるニイナの周りを回っているアジに声をかける。

「道案内お願いね。さあ、出発!」

 ニイナは尾を強く振って、泳ぎ始める。ピューッとアジが飛び出し、カジキがゆったりと続いた。


 アジ、ニイナ、カジキの順で、入り江から、水路に入る。土手が高く、周囲の様子はわかりにくい。

(この城の中に、王子もアンナもいる。しかし、見つけられるか)

 船着き場まで来て、アジは同じ所をぐるぐる回り出した。ニイナはそっと、水面から顔を出して様子をうかがった。辺りはしんと静まり返っている。

 ニイナは水路脇の草むらに近付き、尾から離したカキを置いた。カニが鋏みを離すと、今度はその背にカキを乗せる。

「カニとカキ、偵察に行って来なさい。危なくなったらすぐ帰っておいで」

 ニイナが小声で言うと、カキを背負ったカニはよたよたと歩き出した。

 水のある所から見られる所は全て見たが、特に何も発見はない。後はカニを待つばかり。退屈したのか、カジキとアジは追いかけっこを始めた。

「しっ。静かに」

 ニイナが小声で魚達を叱ったのは、人の声を聞いたからだった。ただし、小さすぎて聞き取れない。船着き場の縁まで近付いて頭を出して聞き耳を立てたが、それでも無理だった。声はやんでしまった。しばらくして、ちゃぽんと音がした。水に潜ると、カニとカキが落ちて行く。すぐ近寄って、カニは自分の頭に乗せ、カキは尾にくっつけた。カキはすぐ震え出し、やがて頭の中に会話が聞こえ始めた。


「気分はどうだね?」

(これは王子の声)

「悪いです」

(アンナ!)

「食事を摂っていないようだね。だからでは?」

「違います」

「食べないと体に悪い。ほら、この赤黄色の野菜は海の向こうから取り寄せたもので、栄養価も高く、しかもおいしいよ」

「あなたを信用できないから食べない」

「なぜ信用できないの? 愛しているのに?」

「愛していない」

「命を懸けてわたしを助けてくれたのに?」

「それは別の話」

「では、わたしを助けたことを後悔している?」

「いいえ」

「愛していないんでしょう?」

「それは別の話」

「わたしはあなたの自由を奪っている?」

「ええ」

「だから恨んでいる?」

「ええ」

「だから助けたことを後悔している?」

「いいえ」

「恨んでいるんでしょう?」

「それは別の話」

「わかった。今はまだ無理だね。でもいつか、あなたはわたしへの愛を思い出す。わたしはそれを待っている」

「待っても無理」


 アンナは、自由を奪われているが、とりあえず話す元気はある。声もまだしっかりしている。でも食事を摂っていないようだから、いつまで持つか。

 カキの音声再生を聞き終えると、ちょうどまた人の声がし始めた。今度ははっきり聞こえる。船着き場の縁近くにいるようだ。

「殿下、このような所でよろしいのですか?」

「ここが一番安全だ。船が沈んだから誰も来ない」

「わかりました。しかし今更ですが、本当にわたしだけでよろしいですか?」

「わたしにはあなたしかいない。他の者は信用できない」

「なぜですか? わたしは単なる出入り業者に過ぎないのに」

「商人は利に忠実だ。わたしが利を与える限り、あなたは裏切らないだろう」

「それはそうですが、与える利がなくなった時にはどうなるとお考えで?」

「王子にそんな時は来ない。革命でも起きない限りは」

「そうではありましょうが」

「あなたの信用を担保するものは利……初めはそう思っていた。でも今は、本当は違う」

「と、言いますと?」

「あなたは正直で誠実だ。わたしにはわかる」

「ありがとうございます。正直と誠実以外に、商売繁盛の秘訣はありません」

「頼りにしている。わたしを助けてほしい」

「何なりとお申し付け下さい」

「その前に、あの人魚を、どう思う?」

「お耳に痛いことを言ってよろしいですか?」

「そのために来てもらっている」

「確かに美しく、気持ちも強い立派な方です。が、殿下が愛すべき方ではないかと」

「それはつまり、わたしが愛されていない、ということか?」

「そうとも言えます」

「なぜ? 何が不足だ?」

「どなたであっても、いきなり拘束、監禁するのであれば良くは思われぬでしょう」

「やり方を間違えたと?」

「そうとも言えます」

「では、やり方次第ではうまく行ったと?」

「そうとも言えません」

「なぜだ?」

「王子のお妃は、将来の王妃。人魚では務まらぬでしょう」

「人間は嫌なのだ。信用できない」

「人魚なら信用できると?」

「そうだ。正直に、嫌なら嫌と言う。王子であってもへつらわない」

「しかし、正式に結婚できなければ、意味がありません」

「愛し合えればいいのだろう? 結婚は、政略結婚で良い。そこに愛など望まない」

「では人魚を愛人にすると?」

「側室だ」

「確かに人魚にも、魂はあります。しかしたとえ本当に愛し合っていても、正式に祝福を得て結婚するのでなければ、目的を果たせません」

「側室では、魂を分かち合えないと言うのか?」

「はい」

「ああ……なぜわたしには魂がないのか……」

(魂がない? どういうこと?)

「この度の海難事故で九死に一生を得ましたことは、誠に幸いでした。失礼ながら、魂のない殿下は死んだらそれまでのお方……このままでは天国には参れません。その意味では、あの人魚に感謝があってよろしいかと」

「だから愛している! でも愛されないんだ!」

(そうか……王子が必死なのも、わかる気もする。でも、それだってアンナには迷惑でしかない……)

 王子も、商人も、発言が途絶えた。ニイナも、水面を見つめて思いにふけった。しかし、ふと目を上げると、美しい顔の少年と目が合った。いつの間にか、王子は船着き場の縁から水上に顔を突き出していたのである。

「散って!」

 ニイナは水に潜り、魚達に叫んだ。否応もなく体が持ち上げられ、空気中に引き上げられた。網目が肌に食い込んで痛い。尾のカキはなんとか外して投げ捨てた。魚は網の中にいない。

 網目越しに、船着き場の上を見下ろす。少年――王子、男性――商人、そして奥に大きな水槽があり、ガラスの壁面にへばりついている人魚――。

「アンナちゃん、ごめん! 助けられなかった!」

「まだ、諦めるのは早いのでは?」

 少年が、ニイナを見上げて叫ぶ。

「あなたが、アンナの代わりにわたしを愛してくれれば、アンナは開放する。どうか? あなたはアンナを助けたくないか?」

 アンナが激しく動いている。何か言っているようだが、水槽の外には聞こえない。

「大丈夫! 心配いらないよ!」

 ニイナはアンナに向かって叫んだあと、眼下の少年に目を移した。

「わたしがあなたを愛しても、魂は得られないよ! それとも、人魚と結婚できるの?」

 その言葉は、思った以上に、少年にショックを与えたようだった。少年は立ち尽くして動かなくなった。ようやく話し出したが、その声は震えていた。

「魂は得られなくてもいい。愛してくれるなら、それだけでいい。愛がほしいんだ」

「それなら、やり方が間違っている。わたしをここから下ろして。そして、アンナも解放して。それからでしょ?」

 少年は後ろに駈けて行き、縦横に綱が張り巡らされている所に行って、綱を引っ張ったりハンドルを回したりし始めた。それと共に、ニイナを捕らえた網がどんどん奥の方に進んで、アンナのいる水槽の真上に来たかと思うと、突然パッと網の底が開いて、ニイナはどぶんと水槽に落ちた。気がつくと、アンナの腕の中にいた。

「ありがとう……どうなったの?」

「彼は開放する気はない。あなたも、わたしも」

 アンナは眉間にしわを寄せて言った。怒っている。

 ニイナは少年の悲しみを目の当たりにして、少し同情する気も起きていたのだが、長く監禁されているアンナは、そういう気にはなれないようだ。

(わたしも捕まっちゃったから、なお怒っているんだな)

 ニイナは自分が役に立たなかったことを改めて感じて、同情の余裕もなくなり悲しくなった。

(でも、ダリヤがなんとかしてくれる)

 ニイナはそう思い直した。しょ気た所はアンナに見せない。

「ところで、ニイナ」

「なあに?」

「頭にカニがいるのはなぜ?」

「おー!」

 ニイナはカニを手に乗せて下ろした。

「お前も残ってくれたか! 3人でがんばろうね!」


(続く)

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