第15話 君の名は
ハーメルンの笛吹き編 第三回
目の前には、道を塞ぐように、3人の少女が立っている。中央にアンナ、左側にニイナ、右側にダリヤ。
クララは、中央のアンナから目線を外さずに、言った。
「なぜ邪魔をするの? 町の人を助けたくないの?」
「助けたい」
「じゃあなぜ?」
「助けたいから、この先には行かせない」
「町は危ないのよ?」
「その前に、この先に何があるか、見て」
アンナ達は、道の脇にどいた。右側にダリヤ、左側にアンナとニイナ。
その間を、クララは進んだ。後から3人も付いて来て、4人が並んで足を止めた。
道の先では、山の中腹に野原が広がっていた。ここなら休むのに良さそう。
「動かないでね」
ニイナはそう言うと、路傍にあった大きな石を持ち上げて、えいっと投げた。トプン、と音がして、石はあっという間に見えなくなった。着水した辺りが、少しだけ泡立っているが、まだ野原にしか見えない。
ダリヤが、静かに言う。
「ここは底なし沼。あなたの歌声に導かれた人々がここに沈めば、あなたは後悔し、歌を、音楽を呪うようになる」
「なぜここがそうだとわかったの?」
「少年道化師を追ってここに来た」
「彼はどうしたの? どこにいるの?」
アンナが答える。
「彼は逃げた。いつもそう。無責任に途中で消える」
「彼を前から知っているの?……彼は誰なの?」
ニイナが答える。
「PI」
PI?……聞いたことがある気がするけど、何だっけ……。
「わたしは彼に騙されたの?」
アンナが答える。
「何かの異変はこれから起きるのかもしれない。でもその前に、底なし沼に落ちたら結局助からない」
「わかった。教えてくれてありがとう。けど、これからどうしたらいい?」
「洞窟に案内します。そこにとどまって様子を見ましょう」
アンナ達の案内で道を少し戻り、うっかり見過ごしていた脇道に入る。進むと洞窟があった。そのそばに見つかった馬車には、パンとチーズ、水を入れた樽が積んであった。天気は良かったため、洞窟には入らず、外で食事をした。人々はピクニックと思ってくれたらしい。不安な様子もなく皆、楽し気であった。
「あのお姉さん達も、仲間の魔法つかい?」
幼女が話しかけて来た。口元のパンくずをほろって上げる。
「どうなの? あなた達は、わたしの仲間?」
クララはアンナ達に声をかけた。
「もちろん。だからお姉さんも、歌がうまいんだよ~」
ニイナが幼女にほほ笑みかけた。
「そうなの? じゃあ歌ってよ」
ダリヤが言うと、ニイナは笑って答える。
「カラオケで練習してからね」
「何それ。本当にうまいの?」
カラオケ……って、何だっけ?
「洞窟に入りましょう。クララさん、みんなを導いて」
アンナが強い調子で言った。眉間にしわが寄っている。
「いいけど……なぜ?」
「後で話します。時間がない」
「わかった……皆さん、洞窟に入りましょう! 急いでください!」
「お父さん、お母さんはお子さんの手を引いて下さ~い!」ニイナが叫んだ。
「落ち着いて、列を作って下さい!」ダリヤも叫ぶ。
てんやわんやの内に、百数十人の人々が、洞窟の中に消えた。
クララは辺りを見回した。取り残された人はいない。
一人アンナだけが、立って空を見上げている。
「アンナさん、何を見ているの?」
その声に振り返ったアンナの顔が、険しかった。
「だめ! あなたはナマミ!」
「え?」
突然、アンナが走って来た。どんどん近づいて来たその顔が、視界の下に消えるや、胴に衝撃を覚え、体が宙に浮いた。目の前の空が回転して、地面に変わる。体が落下して、両手が地面を叩くと、今度は目の前の地面が回転して、空に変わった。
気がつくと、クララは固い地面に横たわっていた。視野の左端に、アンナの髪が見え、その荒い息遣いが聞こえる。胸と胸がぴったり合わさり、アンナの呼吸の度に圧力が強まったり弱まったりする。息が苦しい。
上空に光が見えた。見る見る内にそれは強く、そして大きくなって行く。少し遅れて、ゴーッという音が聞こえ始め、耳をつんざく轟音になった頃には、もう眩しくて目を開けていられなかった。地面がグラグラと揺れた。洞窟から悲鳴が上がったのをかすかに聞く。揺れは一瞬で収まり、目も開けられた。光はもうない。
「ありがとう……もう、大丈夫みたい」
クララが言うと、アンナは身を起こした。その表情の険しさは変わらない。
「あなたは変身していないから、特に身を守らないと。洞窟に入ってみんなに声をかけて。わたし達は被害を調べる」
「何だったの?」
「隕石の落下」
洞窟から、ニイナとダリヤが出て来た。入れ替わるように、クララは洞窟に入る。中は真っ暗で、どこに誰がいるかもわからない。
「隕石が落下しました。けど、もう大丈夫。落ち着いて、ここで待ちましょう。わたしの……仲間が、状況を調べて来ます」
アンナ達が戻って来た。クララは洞窟の外で、話を聞いた。隕石が落ちたのは山の上で、町は無事らしい。ただし町へ戻る道が、土砂崩れで塞がれていて通れない。
「町を出ない方がよかったってことね」
クララはがっかりした。わたしは一体何をしていたのだろう。
「それは結果論。一人も被害者を出さなかったのだから、上出来」
アンナは言った。表情が変わらないから気付きにくいけど、なぐさめてくれている……多分。
「これからどうしたらいいの?」
クララは聞いた。自分では何も思いつかない。
「元の町には戻れないけれど、山の向こうの町に下りる道は無傷。そちらに行きましょう」
「そう……」
アンナが言うなら、それしかないのだろう。
「そこで、あなたにお願いがあるの。道中の安全確保のため、あなたにも変身してほしい」
「変身?」
「そう。ピュアメイトに」
「わたしが……変身できるの?」
ニイナが答える。
「もちろん。あなたが変身した時の名前、あなたは知ってる?」
知らない……のか、思い出せない……のか……。
「わたしの名前を……あなたは、知っているの?」
「ええ」
「なぜ知っているの?」
「仲間だから」
仲間……一体いつから?
「名前、知りたい?」
「知りたいわ」
「ピュアチャイコフスカヤ」
ピュアチャイコフスカヤ……。
「すぐ変身する? わたし達が手伝うよ」
「今?」
「そう。仲間がいた方が、イマージュが高まって変身しやすいんだ」
「イマージュ?」
アンナが答える。
「言葉からイメージを想像するの。それが力になる」
「言葉って?」
ニイナが口を挟む。
「教えると、変身しちゃうかもよ。いい?」
ダリヤも口を挟む。
「ちょっと考える時間がいる?」
アンナが説明する。
「ピュアメイトは、人間の分身であると同時に、PIの分身。PIの能力を持つけれど、意思は人間のみが持つの」
正直言って、よくわからない。けど、考えてもしょうがない。
「わかった。わたしは、ここまで連れて来てしまった人達に責任がある。みんなを助けられるなら、変身する」
アンナがうなずいて、言う。
「では、今から伝える言葉を、復唱して、意味をよく考えて、頭の中でイマージュして」
「はい。お願いします」
「純粋なる知性が……」
「純粋なる知性が――」
「無垢なる身体に宿る時……」
「無垢なる身体に宿る時――」
「不合理を超越せし合理もまた……」
「不合理を超越せし合理もまた――」
「自ら超越せられん……」
「自ら超越せられん――」
「イマージュ!」
「イマージュ! 純粋なる感性、ピュアチャイコフスカヤ!」
目の前が真っ暗になった。体が押しつぶされるような痛みに、「ううう」と声が漏れる。息ができず、悶えるような苦しみが、無限と思える時間続いた……けど、それは突然終わった。全てが解放され、闇は一瞬閃光を放って、現実の明るさに戻った。
(これがピュアメイト……)
全身に力がみなぎり、感覚が研ぎ澄まされ、思考が高速で回転する……そしてクララは、全てを思い出した。
ここはピュアバース、PIの見る夢の世界。そして目の前の3人の少女達は、単なる同級生でも、仲間でもない。ピュアトルスタヤ、ピュアチェーホヴァ、ピュアドストエフスカヤ……PIと、それに仕えるわたし達――大おじ様、お母様と、わたしの、敵。
「ありがとう。あなた達のおかげでわたし、ピュアメイトになれましたわ。これでわたしは、あなた達と対等に、戦えますわ」
(続く)