第10話 手と手つないで
三匹の子ぶた編 第二回
奈田塾の教室に使っている大きな部屋の隣に、奈田先生の「研究室」がある。ここもかなりの広さがあるはずだが、狭く感じるのは真ん中にベッドが3台並んでいるからだ。
「では、お願いしよう」
先生が言う。ニイナは靴を脱いで奥のベッドに上がった。次いでアンナ、ダリヤが続く。横になり、薄い毛布を胸まで掛ける。高い天井を、見るともなく見つめる。
「三匹の子ぶたは、インターネットの検索にも出て来ない。PIに消されたことは確かだ。3人でピュアバースに入って、取り戻して来てほしい。Goを出したら一斉に装着してくれ」
先生は1人1人に枕元からゴーグルを渡す。
「アンナちゃん、装着したら、手をつなごう」
「わかった」
「ダリヤもね」
「OK」
と言っても、ニイナはダリヤと手をつなげない。2人と手をつなぐのは、真ん中のアンナ。
最初にピュアメイトになったのはアンナ。そこから自然にリーダーの扱いになっている。ダリヤがそれに不満らしいことも、ニイナは何となくわかっている。でも3人がまとまるには、アンナをリーダーにするしかない。アンナは人に合わせないから、他の人がアンナについて行くしかない。無茶をするわけではないから、ついて行けないわけではないけれど、ダリヤが面白くないのも、わかる気もする。うまく取り持とう、と、ニイナは思う。
「では、いいね?」
「はい」「はい」「はい」
「装着」
ゴーグルを装着する。毛布の上に両腕を伸ばすと、左腕にアンナの手が乗っかって来た。そろそろとそれが下に降りて来る。待ち受けるニイナの手の平に、アンナの手が重なる。思いの外、温かい。ぎゅっと握り締める。
目の前が明るくなり、気付くとニイナは草原に立っていた。隣にはアンナ、さらにその隣にはダリヤもまた、立っている。ニイナの左手はまだ、アンナの右手を握っている。
(ここはどこ?……そして、この人は誰?)
目の前には、きれいな女性が1人、立っている。髪をひっつめにして、両耳にイヤホンをつけている。
「では、いいわね。後はあなた達だけで暮らしなさい」
その女性はそれだけ言って、くるりを後ろを向くと、歩いて去って行こうとする。なぜかたまらなく切なくなって、思わず叫んだ。
「待って! お母ちゃん!」
言ってニイナは自分で驚く。え、この人がわたしのお母ちゃん?!……そうだっけ?
女性は歩みを止め、振り向いた。
「なに?」
「なにって……わたし達、どうやって暮らせばいいの?」
「何度も言わせないで。兄弟3人で家を建てなさい。基礎はもうできているから、壁を作って屋根を葺けばいいのよ」
女性の目線はわたし達を超え、その後ろを見ている。ニイナが振り向くと、その先に3件の家……の柱と床と屋根が、組み上げられていた。周りには、資材や道具もいろいろ置いてある。
(これは至れり尽くせり……でも……)
ニイナは、もう一度その女性……お母ちゃんに向かって言う。
「お母ちゃん、行かないで……一緒に暮らそうよ!」
「暮らしません」
お母ちゃんは、冷たく言った。
「覚えておきなさい。ほとんどの生物は、子供を生みっ放しで、育てない。あなた達はそれでも、兄弟がそばにいるだけ、恵まれているのよ」
それだけ言って、お母ちゃんは、再度背中を見せて、今度は振り返ることもなく、歩いて行った。道はやがて、森の中へと消えて行く。
「あの人……前にどこかで見たことがある気がする」
ダリヤが言う。え? 母親なら、当然では?……でも、ニイナはさっぱり見覚えがない。
「わたしもそう。でも、ママではない気がする」
アンナも言う。皆、記憶が曖昧みたい。ニイナは悲しい気持ちになっていたが、母親ではないとすれば、別に悲しまなくてもいいのかもしれない。
「でも、言われた通りに家は建てた方がいいみたいね」
ダリヤが言う。皆、後ろを向く。わら束、木材、レンガ……おあつらえ向けに何でも都合よく揃っているのは、まるで建築系のコンピュータゲームみたい。
「わたし、知ってる」
ダリヤが続ける。
「童話だと、長男がわらの家を作り、次男が木の家を作り、三男がレンガの家を作る。でも、狼の襲撃に耐えられたのは、レンガの家だけ。だから、初めから3人で協力して、レンガの家を作るのが合理的よね?」
さんせーい!と、すぐ言おうとして、ニイナはとどまった。レンガの山を見る。これで家を作るのに、どれだけ時間と労力がかかるのかな……。
「3人で協力するのは賛成」アンナが言った。
「でも、作るのはわらの家がいいと思う」
「なぜ? あなたが長男だから? 童話通りにやりたいってこと?」
ダリヤは反発する。でも……。
「そもそも、アンナちゃんが長男だっけ? わたし達って、同い年よね?」
ニイナは言ってみた。順番にこだわるダリヤを、とりあえずなだめたい。
「同い年でも三つ子なら、兄弟の順番はある」
「そうね。でもアンナが長男とは限らないわよね?」
「わたしは自分が長男とは言っていない。順番がある、と言っただけ」
おいおい、丸く収めようとしてかえって火に油を注いじゃった?
「えーっと、順番はとりあえず置いて、アンナちゃんがわらの家を推す理由を聞こうよ。長男だから、ではないんでしょ?」
アンナは、あごを上げ、上を見た。空は明るく晴れている。陽光が眩しい。
「まだ、朝……だと思うけれど、夜が来る前に、家を作りたい。今は快適だけれど、夜にどれだけ冷えるかわからない。それに、今は晴れているけれど、雨が降らないとも限らないし、どんな野生動物がいるかもわからない。一番早くできそうなのは、わらの家だから」
「わかったわ」ダリヤが言った。
「長男だからじゃないのね。ごめんなさい」
「謝らなくていい」アンナが言った。
「ずっと考えていたんだけれど、わたし達は多分兄弟じゃなくて、友達だと思うの」
ダリヤが尋ねる。
「そうなの? でもお母さんが、わたし達を兄弟って言ってなかった?」
アンナが答える。
「そもそも、あの人がママとは思えない。わたし達の関係も知らなかった可能性がある。嘘をつかなかったとも言えない」
「そうだよ!」ニイナは叫ぶ。
「同い年で兄弟なら、三つ子ってことだけれど、わたし達って似てないよね?」
「そうね。確かに似てないわね」
ダリヤが答える。少し笑っている。
「だから兄弟じゃないよ! 友達だから、順番もない。そうだよね?」
ニイナは言って、ダリヤの、次いでアンナの顔を見た。
「そうね」「ええ」
「だったら仲良く協力して、早く家を建てよう!」
「異存はないわ」
ダリヤが言った。アンナも言う。
「3人でならできると思う」
「そうだよ! がんばろうね!」
日没までに家を建てる。それを目標に、各人が動き始めた。アンナは資材と道具をチェックし、工法を考える。とりあえずニイナはダリヤと、ご飯の準備。生のとうもろこしが山のようにある。他に食べ物はないので、これをゆでて食べるしかない。大きな鉄の鍋はあるので、ダリヤがレンガを積んでかまどを作り、ニイナは木桶を持って川まで水を汲みに行った。川は近い……と、行きは思ったが、帰りは遠く感じた。水の入った木桶は重い。休み休み、やっとの思いで帰ってくると、かまどは組み上がっており、ダリヤは火打石での着火に苦戦していた。アンナがやって来て交代。何とかわらに火が点き、集めた木材の切れ端に燃え移った。水を入れた鉄鍋を掛ける。アンナが白い石のような塊を持ってきて、ナイフでその表面を削る。パラパラと粉が鍋の中に落ちていく。物資の中に発見した岩塩だという。
「とうもろこしだけだと飽きちゃうから、川で魚も捕りたいわね」
ダリヤが言ったが、ニイナは疲れて考える余裕がない。
「そのうちね」
とりあえず、とうもろこしが食べたい。何でもいいからすぐ食べたい。お腹ペコペコ。
お湯が沸騰した。皮をむいたとうもろこしを鍋に入れる。じっと待つ内に、粒々の黄色が濃くなる。菜箸でとうもろこしを鍋から引き揚げ、皿に乗せて冷ます。もういいよね? 両手で持って、かぶりつく。塩味と、ほんのり甘みが感じられる。おいしい。でも、人間は、とうもろこしだけで生きられるのだろうか……あれ、わたし達って、ぶただよね?……人間って、何だっけ?
「即席のかまどを作るためにレンガを積んだけれど、これだけでも大変だった。家を作るには一体何個積むんだろう、と考えたら、レンガの家は後回しで正解ね。それに家を作るなら接着剤?みたいなやつも使うのよね?」
とうもろこしを食べながら、ダリヤが言った。アンナが答える。
「モルタル。セメントと砂を混ぜて水で練ったもの。モルタルを使う時はレンガがモルタルの水分を吸ってしまわないように、レンガを水に漬けておく必要があるの」
(水……水……レンガで家を一軒建てるために、どれだけの水を汲まないといけないの?)
ニイナはそう考えてうんざりした……いや、でも、水汲み係はわたしに決まっているわけではないはずだ。
「わらの家を建てたら、次は木の家を建てましょう。レンガの家は日数がかかりそう」
アンナが言った。それはいいけれど……。
「木の家は、水が要る?」
「え? 特には要らないと思うけれど」
「やった! じゃあ次は木の家ね!」
「うれしそうね。木の家が好きなの?……それともやっぱり次男だから?」
ダリヤが言った。ちょっと笑っている。まだ順番にこだわっている……わけじゃなくて、これは冗談ね。
「わたしは次男じゃない。二番じゃないよ。一番かわいいニイナちゃん!」
「何それ」
ダリヤは、くつくつと笑っている。アンナも、目がやや細まり、口角が少し上がっている……これは彼女のほほ笑み。
食後、休む間もなく家作りを始める。アンナは、一番小さい家が、わらの家用だと言う。屋根に板が張っていなくて、代わりに竹の棒が格子状に組んである。そこにわらを乗せていって、縄を通して結わえるのだと言う。梯子を立てて屋根に上がる。下から見ると大した高さとも思えないのに、上ってみるととても高く感じる。風も強くなって、髪をなぶる。
見晴らしもいい。視界が開ける。木々の先に、また開けた草むらが四方にある。と、遠くに人影が一瞬見えて、すぐ木々の間に隠れた。誰だろう?お母ちゃん……らしかった人、ではない。彼女は白い服を着ていた。人影は黒っぽかった。
「ニイナ、大丈夫?」
下からダリヤが声を掛けて来た。
そうだ。今は作業に集中せねば、落っこちてしまう。
「大丈夫! みんながんばろうね!」
(続く)