第1話 桃から生まれた桃太郎って何それ?! ウケるんだけどwwwww
桃太郎編 第一回
アンナは、本好きの女子中学生。今日も町の図書館にやって来た。
「あれ…新しい司書さん?」
常連のアンナだが、今日カウンターにいる司書には、見覚えがない。きれいな女性で、髪をひっつめにし、両耳にイヤホンを付けている。
「こんにちは」
カウンターの前で、アンナは小声であいさつをした。が、司書は何も言わず、それでもアンナをじっと見ている。その目線に冷ややかなものを感じて、アンナは困惑した。しかし、どうしようもない。通り過ぎて本を捜しに行った。
アンナはお目当ての「メタバース入門」という本を見つけ、テーブルについて読み始めた。しばらくして、誰かがひそひそ話す声が聞こえ始めた。初めは気にならなかったものの、少しづつその会話の内容が耳に入り始めた。
「はい……可能です……桃太郎から……問題ありません……」
アンナは顔を上げ、声のする方に目を向けた。カウンターで新しい司書と、これまた見慣れぬ初老の男性が、小声で話し合っていた。司書の高い声は通りが良くてささやき声でも言葉がわかったが、男性の声はくぐもって聞き取れない。
と、2人が話をやめてこちらに目を向けた。アンナは慌てて目を伏せた。
「メタバースとは仮想空間のことである。……」
アンナは読書を再開したものの、先ほどの司書達の会話が気になって、今一つ集中できなかった。今日はもう帰ろう。
本を本棚に戻し、図書館を出ようと歩きだしたアンナは、絵本コーナーに表紙を正面に示す形で置かれた桃太郎の絵本を見つけた。手に取り、パラパラとページをめくる。おじいさんとおばあさん、川を流れる桃、生まれた男の子、お供になる猿と雉と犬、鬼ヶ島……。
「何読んでるの?」
いつの間にか、目の前に小さな男の子がいた。アンナはしゃがんで、本の今読んでいたページを男の子に見せた。挿絵では桃太郎達と鬼達とが対峙している。
「桃太郎のお話よ」
男の子は開かれたページを見た後、顔を上げて言った。
「モモタロウって知らない。それにここには何にも書いてないね」
「え?」
アンナは本を閉じ、表紙を男の子の前に突き出した。
「この絵の男の子が桃太郎よ。知らない?」
「表紙にも何もないね。変なの」
男の子は首を傾げ、それでもちょこんと頭を下げてから、くるっと後ろを向いて走って去って行った。
「走ったら危ないよ。気を付けてね」
アンナは男の子の姿を見送りながら、目が見えないわけではなさそう、と考えていた。では一体どういうこと?
カウンターの前を通る時、アンナは声を出さず、会釈だけした。司書は相変わらず冷たい表情で、それでも何やらつぶやくように声を発した。アンナにはよく聞こえなかったが、「インテレクトゥス・プールス 」と聞こえたように思った。
家に帰ったアンナは、机に向かって宿題を始めた。が、図書館での出来事を思い出して、やはり集中できなかった。母に呼ばれて夕ご飯の食卓についても、どこか上の空であった。
「桃太郎から……って、どういう意味だろう?」
「モモタロウって、何?」
弟が反応したのを聞いて初めて、アンナは心の声をうっかり漏らしていたことに気付いた。
「桃太郎って、昔話の桃太郎だと思うんだけど」
「モモタロウなんて昔話ある? 全然知らないんだけど」
「桃から生まれた桃太郎よ。鬼ヶ島に鬼退治に行く」
「何それ……桃から生まれて鬼退治? ぶっとんだ奴だね」
「え?」
「面白そうな話だな。パパも初めて聞いたけど」
「えっ?」
「アンナは本が好きだから、人が知らないお話も知っているんだな」
「パパも知らないの? あんなに有名なのに?」
「みんな早くご飯食べて。アンナは宿題終わっていないんでしょ」
最後にママが論争を終わらせ、皆は黙って食事を続けた。が、アンナは驚き過ぎて、食べたものの味がわからないほどだった。
食後、自室に戻るとすぐ、アンナは携帯電話を取り出し、インターネットに接続して検索エンジンで「桃太郎」という言葉を検索してみた。その結果は……驚くべきことに、一件もヒットしなかったのである。
「どういうことだろう? わたしは知っている……けれど、他の人は誰も知らない。世の中から、消されてしまっているみたい」
ノックの音がした。どうぞ、と言うとママが入って来た。
「ママ、わたし、桃太郎って、みんなが知っている有名な昔話だと思っていたの。違うの? それとも、わたしが変なの?」
ママは恐いような真剣な顔をして、アンナに近寄り、抱き締めた。
「変じゃない。アンナはママの子。やればできる子」
「ママ」
アンナはママの愛をありがたく感じながらも、その反応には違和感を覚えた。
「アンナに行ってほしい塾があるの。話はつけてあるから、明日学校が終わったら真っすぐここに行きなさいね」
「え?」
ママは体を離し、アンナに一枚の紙を渡した。それは学習塾の案内チラシで、「奈田塾」と書いてある。
「選ばれた少数の生徒だけを個別指導してくれるの。先生は信用できる人。あなたをお任せするってお願いしたからね」
「ママ?」
思わぬ展開に、アンナは桃太郎の話を続けられなかった。
翌日、アンナは黙って朝食を済ませた。同席したパパも弟も何も言わなかった。
登校したアンナは、クラスメイト達に桃太郎を知っているか聞いて回った。前夜の教訓から、有名な昔話とは言わずに、単に「桃太郎って知っている? 果物の桃に、男性名の太郎って書くの」とだけ聞いた。皆「知らない」と答えた。その場合は、アンナもそれ以上のことは何も言わず、話を終わらせる……つもりだった。しかし、そうは行かなかった。
「桃太郎って誰なのかしら? 説明して下さらない?」
そう問い返したのは、学年一の秀才で、「高飛車お嬢様」というあだ名のある胡桃沢クララであった。髪の長い美少女だが、気が強く口も達者で、アンナはちょっと苦手に感じていた。
「鬼退治をした……という伝承のある人なの」
「昔の人なのね? ところで、どうして桃太郎って言うのかしら?」
「桃から生まれた……という伝承のある人なの」
「桃から生まれた? では、人間ではなくて桃ではなくって?」
「桃から生まれた人間の男の子……という伝承のある人なの」
「そんなことってあるのかしら? ねえ、どう思います? 栗木さん、柿本さん」
「何それwwwww」
「ウケるんだけどwwwww」
いつもクララのそばにくっ付いている2人は、クララに話を振られるを待っていたかのように爆笑した。アンナは言い返したかったが、我慢した。
「それで、その桃太郎の知名度調査を、なぜあなたがしているのかしら?」
「ただ、知っているかなって思っただけなの。もういいの。ありがとう」
アンナはその場を離れた。わたし以外、誰も桃太郎を知らない……それを知ればもう十分。誰もが知っている一番有名な昔話のはず!……そう主張すれば、頭が変だと思われそう……そして、もしかすると本当に自分は頭が変なのかもしれない。
放課後、アンナはチラシを頼りにママが言っていた学習塾を訪れた。「奈田塾」と墨で書いた木の看板があったのですぐわかった。二階建ての、何かのお店だったような建物で、靴のまま中に入れた。「ごめん下さい」と声をかけても誰も答えず、ドアは施錠されていなかった。アンナは室内を歩きながら声をかけ続けたが、答える声も何の物音もなかった。
大きなテーブルが一つ部屋の中央にあり、何もないその表面に、ただ一つの物があった。昨日「メタバース入門」を読んだアンナは、それが何かを知っていた。
「VRゴーグル!」
アンナはテーブルに近付き、ゴーグルに手を伸ばそうとして、躊躇した。その時、その下に白い封筒が敷かれているのに気付いた。その表には「狩屋アンナ様へ」とある。
わたし宛の手紙なら、読んでいいのだろう。そう考えて、ゴーグルの下から封筒を引っ張り出した。封はされていない。アンナはその中から1枚の紙を取り出して、書かれてある文字を読んだ。
希望調査票
奈田塾
あなたが当塾でしたいことは何ですか。
該当する番号に丸をして下さい。
1、勉強を教わる(危険なし)
2、世界を救う(危険あり)
3、勉強を教わりつつ、世界を救う(危険あり)
4、その他 ( )
5、特になし (=入塾しない)
※正式回答前にゴーグル着用で「世界を救う」お試し体験可。
アンナは何度も何度もその文字列を復誦した。が、今一つ意味が飲み込めなかった。その合間にも何度か辺りを見回したが、誰も出て来る気配がない。
この訳のわからない状況に進展をもたらしそうなものは……目の前のゴーグルだけ。いつまで続くかわからない無為の時をじりじりしながら過ごす内に、アンナにはそうとしか考えられなくなった。いや、気を付けなければ。これは何かの罠かもしれない……そう思わないでもなかったが、何らかの危険を身近に感じたわけでもない。何より、事態を打開したくて仕方がなかった。アンナはとうとうゴーグルを手にし、自らの顔に装着した。
(続く)