其の十六:友の奇行は蜜の味? 光栄、ツッコミ道と陰陽の狭間で
「……で、晴明。お主は一体全体、そこで何時間、空を見上げておるのだ? 首、痛くならんのか?」
賀茂光栄は、自宅の縁側で、庭の真ん中に微動だにせず立ち尽くし、ただひたすらに空の一点を見つめ続ける親友、安倍晴明の姿に、本日何度目か分からない、深くて長いため息をついた。
最近の晴明は、「星励光の観測と、そのエネルギーパターンの解読」と称して、このような奇行に及ぶことが日常茶飯事となっていた。
「光栄か。邪魔をするな。今、まさに天空の霊妙なる気の流れが、我が魂の深奥と共鳴し、宇宙の真理の一端を垣間見せようとしているのだ……。おお、見えるぞ! 万物の生成と消滅を司る、大いなる螺旋の法則が……!」
晴明は、うっとりとした表情で、何やら壮大な独り言を呟いている。その瞳は、もはやこの現世のどこにも焦点が合っていない。
(……また始まったよ。あいつの『宇宙の真理』とやらは、大抵、ただの雲の形か、鳥のフンが落ちてくる予兆なんだよな……)
光栄は、長年の経験から、晴明のこの手の「啓示」の結末を、ある程度予測できるようになっていた。
賀茂光栄の日常は、この天才(であり、残念系でもある)親友、安倍晴明の奇行に振り回されることで、その大半が構成されていると言っても過言ではなかった。
晴明が「都の龍脈が乱れている!」と言い出せば、真夜中に叩き起こされ、都中の井戸の水を(もちろん無断で)汲んで回る羽目になる。
晴明が「新たな式神の素材が必要だ!」と叫べば、山へ分け入り、見たこともないような(そして大抵は何の役にも立たない)キノコや木の皮を、一日中探しまわることになる。
そして、晴明が「我が魂は、今、異次元と交信している!」と宣言すれば、数日間、飲まず食わず(のように見える)で部屋に閉じこもる彼のために、こっそり食事を運び、その安否を気遣うのが、光栄の役目だった。
(……俺は、一体何をやっているんだろうな……)
時折、そんな虚無感に襲われることもある。自分だって、賀茂家の嫡男として、陰陽の道を志す身だ。こんな風に、親友の奇行の尻拭いばかりしていて良いのだろうか、と。
しかし、それでも光栄は、晴明のそばを離れようとは思わなかった。
なぜなら、晴明のその常人離れした才能と、純粋すぎるほどの探究心は、確かに光栄にとって大きな刺激であり、学びの機会でもあったからだ。
晴明が口にする「謎理論」は、確かに突拍子もないものが多い。しかし、その中には時折、ハッとするような真理の欠片や、既存の陰陽の知識では説明できない、新たな視点が含まれていることがあった。
そして何より、晴明があれほどまでに「影詠み」の術に執着し、それを超えようと努力する姿は、光栄の目には、どこか健気で、そして応援したくなるものに映っていた。
「なあ、光栄。お前は、どう思う? この世界の『気』の流れ……そして、時折感じる、あの異質な『星励光』の波動。あれらは、一体どこから来て、どこへ行こうとしているのだろうか?」
突然、晴明が、いつもの中二病的な口調ではなく、真剣な問いを投げかけてきた。
「……さあな。俺には、お前ほど鋭い感覚はないから、よく分からん。だが、確かに、最近の都の空気は、何かがおかしい。それは、俺にも分かる」
光栄は、正直に答えた。
「だろう? そして、その『何か』は、おそらく、我々の想像を絶するような、大きな『力』に関わっている。そして、その『力』を正しく理解し、制御することこそが、我々陰陽の道を歩む者の、真の使命なのではないだろうか?」
晴明の瞳は、真摯な光を宿していた。
その瞬間、光栄は、目の前の親友が、ただの変人ではなく、本当に「何か」を掴みかけているのかもしれない、と感じた。
(……こいつ、本当に、いつかとんでもない陰陽師になるのかもしれんな……。だとしたら、俺は……)
光栄は、自分の役割を改めて考えた。
自分には、晴明のような天才的なひらめきも、常識を打ち破るような大胆さもない。
しかし、自分には、晴明が暴走しそうになった時にそれを引き止め、彼が道に迷った時に現実的な視点を与え、そして、彼が挫けそうになった時に隣で支えることができる。
それこそが、自分にしかできない、大切な役割なのではないだろうか。
「……まあ、お前の言う『宇宙の真理』とやらが、本当に都の役に立つ日が来るなら、俺も少しは協力してやらんでもないぞ。ただし、俺の家の蔵から、また勝手に『秘伝の巻物(ただの古い日記)』とか持ち出すのは勘弁してくれよな」
光栄は、わざとぶっきらぼうに言った。
「おお、光栄! やはりお前は、我が最高の友だ!」
晴明は、途端に嬉しそうな顔になり、再び空を見上げ始めた。
「よし! 今度こそ、真の『天啓』を……!」
(……はいはい、ご勝手にどうぞ。俺は、お前がまた変なキノコとか食べないように、見張ってるからよ)
光栄は、やれやれといった表情で肩をすくめたが、その口元には、ほんの少しだけ、笑みが浮かんでいた。
賀茂光栄の苦労は、これからもまだまだ続くだろう。
しかし、その苦労の先には、彼自身もまだ気づいていない、大きな成長と、そしてかけがえのない友情が待っているのかもしれない。
天才の影に隠れがちだが、彼もまた、この物語の重要な「星」の一つとして、確実に輝きを増し始めているのだった。
そして、そのツッコミのキレもまた、日増しに向上していくことだろう。それは、もはや避けられない運命なのかもしれない。




