第十四話:裂け目の悲鳴、都に溢れ出す異形の影
励起光子エネルギーの限定的な取り込みに成功し、亜空間シェルターのエネルギー問題に一筋の光明が見えた矢先のことだった。
都の上空、あの不吉な「空間の亀裂」が、再びそのおぞましい口を大きく開いたのだ。
しかし、今回は以前のような一瞬の出来事ではなかった。亀裂は、まるでゆっくりと傷口が広がっていくかのように、その大きさを増し、その向こう側の漆黒の闇が、都の空を不気味に覆い尽くさんとしていた。
そして、その裂け目から、何かが「落ちてきた」。
それは、明確な形を持たない、黒い粘液のような塊だったり、無数の眼球が寄り集まったような不定形の肉塊だったり、あるいは、ただただ不快な音と悪臭を放つ、霧のような存在だったりした。
共通しているのは、それらがこの世界の生き物とは到底思えない、おぞましい姿をしていること。そして、まるで飢えた獣のように、本能的に生命の気配を求めて、都のあちこちへと散らばっていったことだ。
これらは、まだ「獣牙の荒野」の知性ある魔獣たちのような、明確な意思を持つ存在ではない。いわば、異世界から零れ落ちてきた「欠片」であり、純粋な破壊衝動と捕食本能に突き動かされる、自我のない「怪異」とでも呼ぶべきものだった。
「きゃあああああっ! な、何あれ!?」
「化け物だ! 化け物が空から降ってきたぞーっ!」
「助けて! 誰か助けてくれーっ!」
都の人々は、突如として日常を侵食し始めた異形の影に、完全にパニックに陥った。
逃げ惑う者、恐怖のあまり立ちすくむ者、そして、運悪くそれらの「怪異」と遭遇し、その餌食となってしまう者……。
平和だった都の昼下がりは、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図へと変わった。
綾は、亜空間シェルターのメインスクリーンに映し出された、その惨状を、息を飲んで見つめていた。
《マスター、都の複数箇所で、高濃度の励起光子反応と共に、未確認生命体の出現を確認! その多くは、明確な知性を持たない、原始的な捕食行動を示す個体のようです!》
フィラの報告は、綾の最悪の想定が現実となったことを告げていた。
「……ついに、本格的に始まったのね。異世界からの『侵略』が……」
綾の顔には、緊張と、そして強い決意の色が浮かんでいた。
「フィラ、シェルターの全センサーを起動! 都の被害状況と、怪異の分布をリアルタイムで把握して! 橘には、前回同様、黒子たちを動員して、民の避難誘導を最優先に! ただし、絶対に無理はさせないで! 怪異との直接的な戦闘は避けるように、と厳命を!」
《了解しました、マスター!》
「そして、私は出るわ。『影詠み』として!」
綾は、黒衣を纏い、鳥の面をつけた。その手には、先日完成したばかりの「五行循環式霊力増幅装置・試作一号(改)」(エネルギー効率を多少改善し、小型化したもの)と、そこからエネルギー供給を受ける改良型の「ハイテク式符」や「カミカゼくん」が準備されている。
「目標は、人々の救助と、そして、これらの『怪異』のサンプル採取よ。正体が分からなければ、有効な対策も立てられないわ」
綾は、自分に言い聞かせるように呟いた。
転送ゲートを通り、綾はまず、最も被害の大きい朱雀大路の南門付近へと降り立った。
そこには、既に数体の「怪異」が徘徊し、逃げ遅れた人々を襲おうとしていた。
一つは、ぬるりとした黒い触手を無数に伸ばす、巨大なアメーバのような怪異。
もう一つは、鋭い爪と牙を持つ、狼に似た姿だが、その体は不気味な緑色の燐光を発している。
「させないわ!」
綾は、まずアメーバ状の怪異に向けて、「ハイテク式符」の一枚を投げつけた。式符は、怪異の体に吸い付くように貼り付き、次の瞬間、眩い光と共に高周波の振動を発する。
「ギシャアアアアッ!?」
怪異は、苦悶の声を上げ、その不定形の体を激しく震わせた。その動きが、明らかに鈍くなる。
(よし、効果ありね! この振動は、あのような流動的な体組織には効果的なはず……!)
次に、狼型の怪異に向けて、「カミカゼくん・改」を放つ。
改良されたカミカゼくんは、以前よりも格段に素早く、そして知的な動きで狼型怪異に接近し、その小さな紙の腕から、連続してプラズマ弾(もちろん、見た目は霊的な光弾)を撃ち込んだ!
「グギャアアアッ!」
狼型怪異は、予想外の反撃に怯み、後ずさる。
その隙に、綾は「まもり石くん・改」を起動させ、逃げ遅れた人々の周囲に簡易的な結界を展開し、安全な場所へと誘導する。
「大丈夫ですか!? こちらへ!」
少年の声(変声済み)で呼びかけ、人々を導く。
しかし、怪異は次から次へと、空の裂け目から降り注いでくる。
綾一人の力では、とても全てを対処しきれない。
(くっ……! きりがないわ! このままでは……!)
その時、綾の耳に、遠くから聞こえてくる、聞き覚えのある、しかしどこかいつもと違う、切羽詰まったような声が届いた。
「皆の者、怯むな! 我らが『星詠みの秘儀』をもってすれば、必ずやこの邪気を祓えるはずだ! いでよ、我が式神、天翔丸・真!」
それは、安倍晴明の声だった。
彼もまた、この未曾有の危機に、仲間たちと共に立ち向かおうとしているらしい。
しかし、彼らが相手にしているのは、これまでの「なんちゃって怪異」とはレベルが違う、本物の「異世界の脅威」だ。果たして、彼らの「謎理論」は、この絶望的な状況に通用するのだろうか……?
都の悲鳴は、まだ止まない。
影詠みの孤独な戦いと、若き陰陽師(見習い)たちの無謀な挑戦が、今、始まろうとしていた。
世界の運命を賭けた、最初の大きな戦いの火蓋が、ついに切って落とされたのだ。




