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陰陽前夜(おんみょうぜんや) ~綾と失われた超文明~  作者: 輝夜
第一章:星影の姫、密やかなる胎動

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第六話:揺らぐ隠れ蓑、研ぎ澄まされる盾


宮中での一件以来、綾の心には小さなとげが刺さったままだった。

あの安倍晴明と名乗る少年。彼の、全てを見透かすような鋭い視線。そして、自分の「朧なる守り」が僅かに揺らいだあの感覚。それは、綾にとって初めての「脅威」の認識であり、同時に、未知なるものへの微かな好奇心でもあった。


(あの少年……私の仕掛けの本質に気づいたわけではないはず。でも、何か不自然なものを感じ取ったのは間違いない)

秘密の書庫に戻った綾は、いつも以上に神経を研ぎ澄ませ、自らが施した「人避けの仕掛け」を点検し始めた。これまで、物理的な目くらましや、人の意識を逸らす心理的な誘導に頼っていたが、それではあの少年のような鋭敏な感覚を持つ者には通用しないかもしれない。


太古の記憶が綾に囁きかける。

――微細エネルギーの制御。空間そのものの性質を僅かに変容させ、存在を希薄化する技術。

それは、綾がこれまで試みてきた原始的な仕掛けとは次元の異なる、高度な概念だった。しかし、あの技術者の女性は、それを当たり前のように扱っていた。その記憶が、綾の背中を押す。

(この世界の「気」の流れ……それを、もっと精密に、もっと巧妙に操ることができれば……)


綾は、書庫の床や壁に描いた目に見えない模様を、より複雑なものに描き変え始めた。それは、記憶の中にあるエネルギー回路図を、この世界の素材と綾自身の解釈で再構築しようとする試みだった。墨ではなく、特定の植物の汁を煮詰めたものや、砕いた鉱石の粉末を混ぜたものを使い、微細な筆で、まるで祈りの文様を刻むように、慎重に線を引いていく。

意識を集中させ、書庫の周囲の「気」が、まるで水面に広がる波紋のように、自然に書庫を避けて流れていくイメージを強く念じる。


最初の数日は、全く効果がなかった。むしろ、下手に気の流れを乱したのか、書庫の入口が妙に重苦しく感じられたり、逆に不自然なほど清浄な気配を放ってしまったりと、失敗の連続だった。

(違う……これじゃない……もっと、自然に……溶け込むように……)

綾は諦めずに試行錯誤を繰り返した。記憶の中の技術者の冷静な思考をなぞり、失敗の原因を分析し、修正を加えていく。それは、三歳児(もうすぐ四歳になろうとしていた)の遊びとは到底思えない、緻密で根気のいる作業だった。


そんな綾の秘密の努力を知る者は、もちろん誰もいない。

日中、母・藤乃に「綾は最近、何やら難しいお顔をして物思いに耽ることが増えましたね。何か悩み事でも?」と心配そうに尋ねられると、綾はいつものように「いいえ、母上。ただ、お庭の花の色が変わっていくのが不思議で見ておりました」などと、歳相応の可愛らしい嘘をつくのだった。

侍女たちが「姫様は本当にご聡明でいらっしゃいます。あんなに小さなうちから、難しい書物(綾が持ち出す父の反故紙)にも興味をお持ちとは」と感心する声を聞くたび、綾は内心で(その書物より、私の頭の中の方がよっぽど難解な情報でパンク寸前なんだけどな……)と、誰にも言えない溜息をついた。


数週間が経った頃、ようやく変化が現れ始めた。

書庫の入口に立っても、以前のような不自然な「淀み」や「抵抗感」が薄れ、代わりに、まるでそこに「元々何も無かった」かのような、不思議な感覚に包まれるようになったのだ。意識して探ろうとしなければ、視界に入っていても認識から滑り落ちてしまうような、巧妙なまでの気配の希薄化。

(これなら……あの少年でも、容易には気づけないかもしれない)

綾は、小さな達成感と共に、安堵の息を漏らした。それは、「朧なる守り」が新たな段階へと進化した瞬間だった。


隠れ蓑の強化と並行して、綾は新たな探求にも着手していた。

太古の記憶には、「場」そのものを清浄化したり、逆に特定のエネルギーを集積させたりする技術の断片も含まれていた。それは、後の世に「結界」や「浄化」と呼ばれる概念の原型とも言えるものだった。

綾は、書庫の隅に、記憶を頼りに特定の種類の石を配置し、乾燥させた薬草を少量燃やしてその煙を循環させ、さらに微かな音叉のようなもので特定の周波数の音を響かせる、という実験を始めた。

(これは、確か……不要なエネルギーを中和し、空間の調和を保つための……)

最初は何も変わらなかったが、ある日、ふと書庫に入った瞬間、空気が以前よりも澄み渡り、心が落ち着くような清浄な感覚を覚えた。それはごく微かな変化だったが、綾にとっては大きな一歩だった。

「もしかしたら、これは……あの古い木簡にあった『精気』の流れを、良い方向に整えることなのかもしれない……」

綾の脳裏に、新たな可能性の光が差し込んだ。


四歳の夏。綾の秘密の書庫は、より強固な隠れ蓑に守られ、そして、微かながらも清浄な気を纏い始めていた。

それは、誰にも知られず、しかし着実に進む、小さな姫の大きな野望の礎だった。

晴明という予期せぬ存在との出会いは、結果として綾の技術をさらに研ぎ澄ませ、彼女の探求心を新たな領域へと導こうとしていた。

来るべき混乱の時代に向けて、綾の準備は、静かに、しかし確実に進んでいた。

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