其の七:宮中震撼!? 星詠み探偵団(仮)と陰陽寮(仮の仮)設立の噂
安倍晴明の「式神・天翔丸(仮)覚醒事件」は、当事者である「星詠み探偵団(仮)」のメンバーたちにとっては、まさに天啓にも等しい出来事だった。しかし、その「奇跡」の噂は、彼らが思っている以上に早く、そして少々歪んだ形で、宮中の大人たちの耳にも届き始めていた。
きっかけは、例の「妖鼠退治」を依頼した米問屋の主人が、晴明たちの「ご活躍」を、あちこちで吹聴して回ったことだった。
「いやはや、安倍のところの若様は、まさに神童でございますぞ! 何やら不思議な術をお使いになり、長年蔵を荒らしていた妖鼠を、見事に退治してくださった! しかも、黒い鳥の使い魔を操って、妖鼠の居場所をピタリと当てたとか!」
その話は、尾ひれがつき、いつの間にか「安倍晴明、若干十歳にして、既に高名な陰陽師もかくやという霊力を持ち、式神を自在に操って怪異を鎮める」という、壮大な英雄譚へと変化していた。
そんな噂が、藤原為時の耳に入らないはずがなかった。
「……ほう、安倍のところの晴明殿が、式神を……? にわかには信じがたい話だが……」
為時は、近頃の都の不穏な空気と、原因不明の怪異の頻発に、公私ともに頭を悩ませていた。アルビオン王国の一件は「影詠み」なる謎の存在のおかげで事なきを得たが、それとは別に、この国そのものが何やら不吉なものに覆われ始めているような感覚があったのだ。
そんな折に舞い込んできた、若き天才の噂。為時は、藁にもすがる思い、というわけではないが、一縷の望みのようなものを感じずにはいられなかった。
「橘、少し調べてみてくれぬか。安倍晴明殿の近頃の評判と、その『術』とやらについて。もし、本当に何らかの『力』があるのであれば……」
為時は、信頼する家司の橘に、密かに調査を命じた。
橘は、もちろん「影詠み」様(綾)の活動を最優先としつつも、主君の命とあらばと、手早く「黒子」たちを使って情報を集めた。そして、その報告書を読んだ橘は、内心で(……晴明殿、なかなか面白いことをなさっておられる。影詠み様の「模倣」から始まったものが、まさかこんな方向に……)と、少しばかり微笑ましいような、それでいて将来を案じるような、複雑な気持ちになった。
彼が為時に提出した報告書は、晴明たちの「ごっこ遊び」の微笑ましい部分は巧みにぼかしつつ、「若くして非凡な才能の片鱗を見せており、その独自の『占術』や『気の流れの解読』は、今後の怪異対策に役立つ可能性があるやもしれません」といった、当たり障りのない、しかし期待を持たせるような内容にまとめられていた。
そして、この為時の動きは、宮中の一部、特に都の安寧を憂う穏健派の貴族たちの間で、新たな議論を呼ぶことになる。
「近頃の都の不穏な状況、もはや祈祷や祭祀だけではどうにもならぬのではないか?」
「安倍晴明殿のような、若くとも『力』を持つ者を登用し、専門の組織を作って対策に当たらせるべきでは?」
「うむ、古の時代には、天文を読み、災異を予知し、呪詛を祓う『陰陽寮』なるものがあったと聞く。今こそ、それを再興すべき時やもしれぬ……」
もちろん、反対意見も多かった。
「まだ元服も済ませぬ童に、何ができるというのだ!」
「そもそも、そのような『術』など、まやかしに過ぎぬ!」
しかし、為時のような実力者が、晴明の才能に(誤解混じりではあるが)注目し始めたことで、風向きは少しずつ変わり始めていた。
当の安倍晴明は、そんな大人たちの動きなど露知らず、今日も今日とて「星詠み探偵団(仮)」の仲間たちと、新たな「秘儀」の開発に勤しんでいた。
「見たまえ、諸君! これが我が最新の発明、『霊的エネルギー集束レンズ(ただの水晶玉を太陽にかざしているだけ)』だ! これを用いれば、太陽光に含まれる聖なる霊力を一点に集め、邪悪なるものを焼き払うことができるはず……!」
「おおーっ!」と歓声を上げる仲間たち。
(……それ、普通に火事になるからやめとけよ)と、またしても心の中でツッコミを入れる賀茂光栄。
彼らの活動は、相変わらずコミカルで、どこかズレている。
しかし、その純粋な情熱と、晴明の(結果的に)的を射た発想は、図らずも、宮中の大人たちに「陰陽寮設立」という、大きな決断を促すきっかけの一つとなりつつあった。
それは、まだほんの小さな萌芽に過ぎない。しかし、この「誤解」と「期待」から生まれた動きが、数年後、本物の魑魅魍魎が跋扈する時代に、この国を救うための重要な組織の礎となるのだとしたら……。
世の中の歯車とは、かくも奇妙に噛み合うものなのかもしれない。
そして、綾は……。
《マスター、宮中にて「陰陽寮」設立の議論が活発化している模様です。中心人物は、藤原為時様、そして、安倍晴明殿の才能を評価する一部の貴族たちのようです》
フィラの報告に、綾は少し複雑な表情を浮かべた。
(お父様が……そして、晴明くんが……。まさか、私の「影詠み」としての活動と、晴明くんのあの「研究」が、こんな形で繋がっていくなんて……)
世界の歪みは、確実に進行している。そして、それに対抗しようとする人々の動きもまた、綾の知らないところで、少しずつ形になり始めている。
それは、希望の光なのか、それとも、さらなる混乱の序章なのか……。
綾の小さな肩にかかる重圧は、日増しに大きくなっていくのだった。




