第二十四話:悪夢の囁き、蝕まれる心と奇形の草花
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かぐや。
都に漂い始めた不穏な空気は、日を追うごとにその濃度を増していった。
最初は些細な異変として片付けられていた「おかしなこと」は、次第に人々の心を直接蝕むような、より不気味な現象へと姿を変え始めていた。
「……近頃、眠りが浅くてのう。夜中に何度も目が覚めてしまうのだ」
「私もだ。それに、妙な夢ばかり見る。真っ暗な場所で、誰かに追いかけられるような……」
為時が出席する宮中の会議でも、公卿たちの間でそんな会話が交わされるようになった。彼らは、表向きは政務の疲れのせいだと嘯いていたが、その顔には隠せない疲労と不安の色が浮かんでいる。
それは、貴族だけでなく、庶民の間でも同様だった。
都の特定の地域――特に、以前から「気が淀んでいる」と噂されていた場所や、古い寺社仏閣の周辺――では、夜な夜な悪夢にうなされる者が続出し、中には、昼間でも幻覚や幻聴に悩まされる者まで現れ始めた。
「壁のシミが、人の顔に見えるんだ……!」
「誰もいないはずなのに、誰かが私の名前を呼ぶ声が聞こえる……!」
人々は、目に見えない何かに怯え、疑心暗鬼に陥り、隣人同士でさえもいがみ合うような空気が生まれつつあった。
綾は、フィラからの報告を受け、この「精神汚染」とも呼べる現象の深刻さを認識していた。
《マスター、都の広範囲で、特定の低周波音波に加え、人間の脳波に干渉する可能性のある微弱な電磁波が観測されています。これらが、睡眠障害や幻覚症状を引き起こしている原因の一つと考えられます》
「電磁波……? まるで、誰かが意図的に、人々の精神を攻撃しているみたいじゃない……」
綾は、シェルターのコンソールに表示された、都の「精神汚染マップ」を見つめながら、背筋に冷たいものが走るのを感じた。赤く染まったエリアは、日増しに拡大している。
「影詠み」として、綾はいくつかの対策を試みた。
例えば、特に汚染のひどい地域に、シェルターで生成した「精神安定効果のある芳香剤(もちろん、この時代の人々には『清めの香』としか思われない)」を、夜陰に紛れて散布したり、フィラが開発した「有害電磁波中和装置(見た目はただの石ころ)」を、問題の場所にこっそり埋めたりした。
それらは一時的に効果を発揮し、その地域の住民の症状を和らげることもあったが、汚染の根本原因を断ち切らない限り、いたちごっこのように新たな問題が発生してしまう。
一方、安倍晴明もまた、この不可解な「心の病」の蔓延に、強い危機感を抱いていた。
彼は、古文書の中から「魂喰らい(たまくら)」や「夢魔」といった、人の精神を蝕む邪悪な存在に関する記述を見つけ出し、それらが今回の現象と関連しているのではないかと推測していた。
「……これは、単なる気の淀みではない。明らかに、悪しき何者かが、人々の魂を喰らおうとしているのだ!」
晴明は、「星詠み探偵団(仮)」の仲間たちと共に、都の各所に「清めの護符(彼が墨と謎の液体で書いたもの)」を貼り付けたり、「破邪の呪文(これも彼が考案した)」を唱えて回ったりしたが、その効果は限定的だった。
そして、異変は人々の心だけでなく、自然界にも現れ始めていた。
都の庭園や、郊外の野原で、奇妙な形をした草花が目撃されるようになったのだ。
花びらが異常に多かったり、逆に少なかったり。葉の色が毒々しい紫や黒に変色していたり。中には、まるで動物の触手のように、不気味にうねる蔓を伸ばす植物まで現れたという。
農民たちは、「これは凶作の兆しだ」「地の神がお怒りなのだ」と恐れ、作物の出来を案じていた。
綾は、フィラに命じて、それらの奇形の草花を採取し、シェルターで分析させた。
《マスター、これらの植物の遺伝子情報に、微細ながらも明確な変異が確認できます。外部からの何らかのエネルギー照射、あるいは未知の化学物質による汚染が原因である可能性が……》
「遺伝子変異……。やはり、この世界の『法則』そのものが、何らかの影響を受けて歪み始めているということなのね……」
綾の表情は、ますます険しくなる。
父・為時は、連日のように宮中に召集され、この原因不明の異変への対策を協議していたが、有効な手立ては見つからないままだった。祈祷や祭祀が行われても、状況は一向に改善しない。
「……一体、この国はどうなってしまうのだ……」
為時の憔悴しきった姿を見るたびに、綾の胸は締め付けられるようだった。
都を覆う不穏な影は、もはや誰の目にも明らかとなっていた。
人々の心は蝕まれ、自然の秩序は乱れ、得体の知れない恐怖が、じわじわと日常を侵食していく。
綾と晴明は、それぞれの場所で、この「歪み」の正体を探ろうと必死にもがいていたが、その全貌はまだ掴めない。
そして、彼らが知らないところで、その歪みは、ついに「形」を成そうとしていた。
世界の境界線が、今まさに、大きく揺らぎ始めているのだ――。
悪夢の囁きは、やがて絶叫へと変わるのだろうか。
そして、奇形の草花は、これから咲き乱れるであろう「異形の存在」たちの、ほんの序章に過ぎないのかもしれない。
都の人々の運命は、風前の灯火のように揺らめいていた。




