第二十一話:星詠み探偵団(仮)出動! 迷子の猫と謎理論の攻防
安倍晴明を中心に結成された「新・陰陽道研究グループ(仮称)」、もとい「星詠み探偵団(自称)」の活動は、日増しに活発化(そして迷走化)していた。
彼らの当面の目標は、もちろん「影詠み」様の如く、都の小さな事件を解決し、人々の役に立つこと。そして、その過程で、晴明が提唱する「宇宙の法則と霊的エネルギーの統合による奇跡の発現(謎理論)」を実証することだった。
最初に取り組んだのは、「迷子の猫探し」という、実に牧歌的な依頼だった。
近所の長屋のお婆さんが、可愛がっていた三毛猫のタマがいなくなったと嘆いているのを聞きつけ、晴明が「我らが『星詠みの秘儀』をもってすれば、必ずやタマ殿の居場所を突き止められるであろう!」と、高らかに宣言したのだ。
「まず、タマ殿の『気』の痕跡を追う!」
晴明は、お婆さんからタマが使っていた首輪を借り受け、それに顔を近づけてクンクンと匂いを嗅ぎ始めた。
「ふむ……この微弱ながらも温かな霊気の流れ……タマ殿は、太陽を好み、高い場所を愛する、自由闊達な魂の持ち主と見た!」
(……いや、それ、ただの猫の一般的な習性じゃね?)
賀茂光栄は、内心で的確なツッコミを入れたが、晴明の真剣な眼差しを前に、口には出せなかった。
次に、晴明は地面に複雑な「魔法陣(?)」を描き始めた。それは、六芒星を中心に、猫の足跡のような模様と、魚の骨のような記号が配置された、実に独創的なデザインだった。
「これは『猫招来の陣』! この陣の上に、タマ殿の好物であった干し魚を置けば、その霊的波動がタマ殿の魂に共鳴し、自ずとこの場所へ引き寄せられるはずだ!」
晴明が自信満々に説明する。仲間たちは「おおー!」と感嘆の声を上げたが、光栄だけは(……それ、普通に匂いで釣ってるだけじゃ……)と、またしても的確な指摘を心の中で呟いた。
そして、彼らは晴明が考案した「霊波索敵機(という名の、鳥の羽根と木の枝で作った、風見鶏のようなもの)」を手に、都の路地を練り歩いた。
「見よ! この羽根が震える方角に、タマ殿の強い『気』が! 間違いない、あちらだ!」
晴明が指さす方へ、探偵団一同は「おおー!」と駆け出す。しかし、その先にはいつも行き止まりの塀があるか、あるいは全く関係のない犬が昼寝をしているだけだった。
(……風下にいるから、干し魚の匂いがそっちに流れてるだけだろ、それ)
光栄のツッコミは、もはや彼のライフワークと化していた。
数時間にわたる「霊的捜索」の末、疲労困憊の探偵団。
「……おかしい。我が『星詠みの秘儀』が、これほどまでに効果を発揮せぬとは……。あるいは、タマ殿は既に、我々の手の届かぬ『異界』へと旅立ってしまったのかもしれぬ……」
晴明が、しょんぼりと肩を落とした、その時。
「にゃーん」
どこからともなく、可愛らしい鳴き声が聞こえてきた。
見ると、すぐ近くの家の縁の下から、ひょっこりと三毛猫のタマが顔を出したではないか。どうやら、お腹が空いて戻ってきたらしい。
「タマー! よかったぁ!」
お婆さんが駆け寄り、タマを抱きしめる。一件落着。
「…………」
探偵団一同は、しばし呆然としていたが、すぐに晴明が咳払いをして言った。
「ふ、ふむ。やはり、我が『猫招来の陣』の霊的波動が、見事タマ殿を現世に呼び戻したようだな! これぞ、宇宙の法則の勝利である!」
(……いや、絶対違うと思うけど、まあ、結果オーライってことでいいか)
光栄は、もはやツッコミを入れる気力も失せていた。
この「迷子の猫探し大作戦」は、傍から見ればただのドタバタ劇だったが、晴明と仲間たちにとっては、自分たちの「力」を試す貴重な経験(?)となった。そして、彼らのこの奇妙な活動は、都の人々の間で、新たな噂の種となる。
「安倍のところの若様が、何やら不思議な術を使って、人助けをしているらしいぜ」
「鳥の羽根で未来を占ったり、地面に星の絵を描いて猫を呼び寄せたりするんだと!」
その噂は、どこか微笑ましく、そして少しだけ「本当に何かすごい力があるのかもしれない」という期待感を抱かせるものだった。
一方、綾は……。
《マスター、対象A(安倍晴明)とそのグループの活動を観測しました。……なんというか、非常に……独創的でございますね》
フィラが、亜空間シェルターで、若干困惑したようなトーンで報告する。
「ええ、本当にね……。でも、なんだか楽しそうじゃない? 私も、あんな風に仲間とワイワイ何かをするの、ちょっとだけ羨ましいかも」
綾は、ホログラムに映し出された晴明たちのドタバタ劇を見ながら、思わずくすりと笑ってしまった。
(でも、晴明くんのあの謎理論……いつか本当に、何かとんでもないことを引き起こしそうな気もするわね……)
晴明たちの「星詠み探偵団(仮)」の活動は、まだ始まったばかり。
彼らの珍妙な「秘儀」と「謎理論」が、都にどんな影響を与えていくのか。そして、その活動が、いつか本物の「影詠み」と交錯する日は来るのだろうか。
傍から見れば微笑ましい彼らの「ごっこ遊び」は、しかし、確実に、この時代の「陰陽」という概念に、新たな(そして少し歪んだ)一石を投じようとしていた。




