第十八話:黒衣の祈祷師、人心を操る呪詛の囁き
都のはずれ、古びた社やしろに、近頃、一人の不気味な祈祷師が住み着いたと噂が立っていた。
名を**玄幽げんゆう**というその男は、痩せこけた体に黒い僧衣を纏い、常に深い頭巾で顔を隠している。その声は低く、どこか人を不安にさせるような響きを持ち、彼が境内で呪文のようなものを唱え始めると、周囲の空気まで重く淀むかのようだったという。
玄幽は、最初こそ訪れる者もまばらな寂れた社の片隅で、ひっそりと祈祷を行っていた。しかし、彼の「力」を目の当たりにしたという者たちの口コミが、じわじわと広まり始めたのだ。
「玄幽様の祈祷は本物だ。長年患っていた腰の痛みが、たちどころに消え去った」
「失せ物が見つからず困っていたが、玄幽様にお願いしたら、翌日には不思議と出てきたのだ」
そうした「奇跡」の噂と共に、玄幽の元には、様々な悩みや願いを抱えた人々が訪れるようになった。
しかし、玄幽の本当の狙いは、別のところにあった。
彼は、人心を巧みに操る術に長けていた。最初は無償で小さな「奇跡」を起こし、人々の信頼を得る。そして、徐々に彼らの心の隙間に入り込み、不安を煽り、依存心を植え付けていくのだ。
「……お主の家には、どうやら良からぬ『影』が差しておるな。このままでは、近いうちに大きな災いが降りかかるやもしれん」
「お前の商売敵は、お主を妬み、密かに呪詛をかけているようだ。放っておけば、身の破滅は免れまい」
そう囁き、相手を恐怖のどん底に突き落とした上で、「特別な祈祷」や「強力な護符」と称して、法外な金品を要求する。それが、玄幽のやり口だった。
そして、彼の「力」をより確かなものとして人々に信じ込ませるために、玄幽はさらなる仕掛けを施していた。
それが、例の「呪いの絵馬」事件である。
彼は、特定の裕福な商人や有力者をターゲットに定め、まずその者の絵馬に、自ら調合した微量の毒物を塗りつけた。その毒物は、皮膚に触れたり、僅かに吸引したりするだけで、原因不明の体調不良を引き起こす。
そして、ターゲットが体調を崩し始めた頃を見計らい、その絵馬に「汝の悪行、天が見ている。今こそ悔い改めよ。さもなくば、更なる天罰下らん」といった、脅迫めいた「呪いの言葉」を、自ら書き加えるのだ。
その筆跡は、わざと震わせ、まるで何者かが憑依して書いたかのような不気味さを演出していた。
この巧妙な二段構えの罠により、ターゲットとなった者たちは、「自分は呪われているのだ」と完全に思い込み、恐怖に駆られて玄幽の元へと駆け込む。そして、玄幽は「これは強力な怨念による呪詛じゃ。我が秘術を尽くしてこれを祓わねば、命に関わるぞ」と、さらに追い打ちをかけ、莫大な「祈祷料」を巻き上げるのだった。
その金は、玄幽のさらなる暗躍のための資金となり、彼の「黒い噂」は、都の片隅でじわじわと勢力を拡大しつつあった。
(……なかなか手の込んだことをするわね、この玄幽とかいう祈祷師)
綾は、フィラから送られてくる玄幽の行動パターンと、被害者たちの情報を分析しながら、その悪質さに眉をひそめていた。
彼のやり口は、単なる詐欺というよりも、人の心の弱さにつけ込み、恐怖で支配しようとする、より陰湿なものだ。そして、その背後には、単なる金儲け以上の、何か別の「目的」があるような気配も感じられた。
《マスター、玄幽の集めている金品の一部が、都の外部の、ある特定の組織に流れている痕跡が確認できます。詳細は不明ですが、何らかの反体制的な動きと関連している可能性も……》
フィラの報告は、綾の懸念をさらに深めた。
(ただの悪徳祈祷師ではない……。もしかしたら、もっと大きな闇に繋がっているのかもしれないわね)
綾は、この玄幽という男を、そしてその背後にいるかもしれない「何か」を、放置しておくわけにはいかないと判断した。
彼の暗躍は、人々の心を蝕み、都の平穏を乱す「毒」そのものだ。
そして、その「毒」を浄化するのが、「影詠み」の役目。
「フィラ、玄幽の拠点の詳細な見取り図と、彼が最も油断している時間帯を割り出して。それから、あの『呪いの絵馬』に使われている毒物の成分解析もお願い」
《了解しました、マスター。ただちに実行します》
黒衣の祈祷師・玄幽。
彼の巧妙な罠と、人心を操る呪詛の囁きは、都の片隅で静かに、しかし確実にその影響力を広げていた。彼自身は、まさか自分の暗躍が、都の真の「影」である小さな姫君の目に留まっているとは、夢にも思っていない。
大物感を漂わせるこの悪役に対し、「影詠み」がどのような「お仕置き」を繰り出すのか。そして、その鮮やかな解決劇が、一人の天才少年の知的好奇心をどう刺激することになるのか。