第十七話:乙女たちの熱狂、「影詠み様」グッズと姫君の受難
アルビオン王国の一件が解決し、都に再び「影詠み」の名が轟いた頃。
橘香子率いる「影詠み様を讃え、そのご活躍を密かに見守り応援する乙女の会」(略して「影詠み乙女の会」と、いつの間にか呼ばれるようになっていた)の活動は、ますます熱を帯びていた。
「皆様、ご覧になって! これがわたくしが描いた『影詠み様、黒船を退ける図』でございますわ!」
定例の「乙女の会」の集まり(もちろん、綾も姫君として参加している)で、絵が得意な姫君の一人が、得意満面で自作の絵姿を披露した。
そこには、黒い衣を纏い、鳥の面をつけた凛々しい「影詠み様」が、五重塔の上から黒船を睨みつけ、手から不思議な光を放っている姿が、勇ましくも美しく描かれていた。
(……いや、私、塔の上にはいたけど、手から光とか出してないし……。というか、この影詠み様、妙に背が高くてマッチョじゃないかしら……?)
綾は、内心でツッコミを入れつつも、にこやかに「まあ、素晴らしい絵ですわね。まるで生きているようですわ」と称賛の言葉を述べた。
「わたくしは、影詠み様のご功績を讃える和歌を詠んでまいりましたわ。『闇夜を照らす月の影、異邦の邪打ち払い、都に安寧もたらしぬ、ああ影詠みぞ尊けれ』……いかがかしら?」
別の姫君が、少し照れながらも自作の和歌を披露する。
「まあ、お上手ですこと! きっと影詠み様もお喜びになるわ!」
香子をはじめ、他の姫君たちも手放しで褒め称える。
(……うん、まあ、気持ちは嬉しいんだけど……「尊けれ」って、なんだか神様みたいになっちゃってるわね……)
綾は、少しむず痒いような、それでいて悪い気はしないような、複雑な気分だった。
彼女たちの熱狂は、もはや絵や和歌だけに留まらなかった。
「それでね、皆様! わたくし、こんなものを作ってみましたの!」
香子が、得意げに取り出したのは、小さな黒い布で作ったお守り袋だった。そして、その袋には、白い糸で、どこかで見たような抽象的な文様――そう、「影詠み」が現場に残す「印」にそっくりな模様――が刺繍されていたのだ。
「これは、『影詠み様お守り』よ! この印には、きっと影詠み様の不思議なお力が宿っているに違いないわ! これを持っていれば、私たちも影詠み様にお守りいただけるはず!」
(えええええええ!? それ、私が適当にデザインしたエネルギー回路図の簡略版なんですけど!? しかも、お守りって……フィラ、これ、大丈夫なの!? 何か変なエネルギーとか発生しないわよね!?)
綾は、顔面蒼白になりながら、内心でフィラに問いかけた。
《……マスター、ご安心ください。あの文様自体には、特にエネルギー的な効果はございません。あくまでデザインでございます。……ただし、乙女たちの純粋な「信仰心」が、何らかのプラシーボ効果を生み出す可能性は否定できませんが》
フィラの冷静な(しかしどこか楽しんでいるような)返答に、綾はぐったりとした。
この「影詠み様お守り」は、乙女たちの間で大評判となり、あっという間に「影詠み乙女の会」の公式グッズ(?)となった。中には、自分の小袖の袖に、こっそりと同じ印を刺繍する姫君まで現れる始末。
綾は、自分のデザインした(しかも適当な)文様が、そんな形で流行しているのを見るたびに、何とも言えない気持ちになった。
(……もしかして、私、新しいファッションのトレンドセッターになっちゃったのかしら……? いや、違う、そうじゃない)
そんな「影詠み乙女の会」の熱狂ぶりは、当然ながら、都の若い貴族たちの間にも伝わっていた。
そして、その中には、苦々しい表情でその噂を聞いている一人の少年がいた。安倍晴明である。
「……影詠み、影詠み、か。巷では、もはや神仏扱いだな」
晴明は、書庫で「影詠み」に関する新たな情報を探しながら、不機嫌そうに呟いた。
彼は、アルビオン王国の一件で、「影詠み」が用いたであろう「術」の痕跡を詳細に分析し、その高度さと異質さに改めて驚嘆していた。しかし、その正体は依然として掴めず、まるで霞を掴むような感覚に苛まれていたのだ。
(あの「印」の文様……そして、あの不可解な力の使い方……。既存のどの知識にも当てはまらない。一体、何者なのだ……?)
そこへ、友人の賀茂光栄がやってきた。
「よお、晴明。また難しい顔してんな。さては、例の『影詠み様』のことでも考えてるのか?」
「……光栄か。別に、考えてなどおらぬ」
晴明は、ぷいと顔をそむけた。
「おやおや、素直じゃないねえ。まあ、無理もないか。お前ほどの名手が、正体も掴めぬ相手にこうも都を騒がせられては、面白くないだろうよ」
光栄は、ニヤニヤしながら晴明の肩を叩く。
「……別に、面白くないわけではない。ただ……ただ、少しだけ……気に食わんだけだ」
晴明は、小さな声でそう言った。
それは、嫉妬というよりは、同じ「理を求める者」としての、一種のライバル心に近い感情なのかもしれない。自分よりも先に、未知なる力で都の謎を解き明かしていく存在に対する、焦りと、そしてほんの少しの悔しさ。
(いつか必ず、お前の正体を突き止めてみせる……影詠み!)
晴明は、胸の内で静かに闘志を燃やすのだった。
一方、綾は……。
「えっと、香子様、その『影詠み様うちわ』は、一体……?」
「まあ、綾姫様! これ、わたくしが作ったの! これで影詠み様を応援するのよ! 『フレー、フレー、影詠み様ー!』って!」
「(……もう、好きにして……)」
熱狂的なファンたちの暴走(?)に、綾はただただ遠い目をするしかなかった。
「影詠み」としての活動は、本人の意図とは全く別に、都に様々な(そして主にコミカルな)波紋を広げ続けているようである。
そして、その人気は、一人の天才少年の心を、ちょっぴりザワつかせているのだった。




