第五話:天才少年の追跡、影と光の静かなる探り合い
都で「影詠み」の噂が広まるにつれ、安倍晴明の探究心はますます燃え上がっていた。
彼にとって「影詠み」は、単なる巷の英雄譚ではなかった。その行動の背後には、既存の呪術や陰陽の理ことわりでは説明できない、高度で未知なる「力」の存在を、彼は鋭敏に感じ取っていたからだ。
「この『印』……やはり、どこかで見た気がするのだが……」
晴明は、父・益材の書庫の奥深く、埃を被った古文書の山に埋もれるようにして、検非違使から密かに入手した「影詠み」が残したとされる「印」の写しを睨んでいた。それは、一見するとただの抽象的な文様に見えるが、晴明の目には、そこに何らかの法則性や、意図的に隠された意味が込められているように思えた。
彼は、過去の陰陽道の文献や、唐からもたらされた占術書、果ては異国の神話体系に至るまで、あらゆる書物を渉猟しょうりょうし、この奇妙な文様の手がかりを探した。しかし、どれほど調べても、完全には一致するものが見つからない。
(既存のどの体系にも属さない……? だとすれば、これは全く新しい術か、あるいは、遥か昔に失われた古の秘術……?)
晴明の調査は、文様だけに留まらなかった。
彼は、「影詠み」が出現したとされる現場に何度も足を運び、そこに残された微かな「気」の残滓を注意深く分析した。その「気」は、極めて清浄でありながら、同時に強大な力を秘めている。そして何より、その制御のされ方が、これまでのどんな術者が使うものとも異なっていた。
(まるで、気の流れそのものを設計図通りに組み立てているかのような……精密すぎる。人の手によるものとは、到底思えぬ……)
そんな晴明の動きを、綾はフィラを通じて常に把握していた。
亜空間シェルターのセントラルコアは、都の微細なエネルギー変動を監視しており、晴明のような特異な「気」の持ち主が特定の場所に集中して意識を向ければ、それを検知することができたのだ。
《マスター、対象A(安倍晴明のコードネーム)が、再び昨夜の事件現場周辺で高密度の精神活動を探知。彼、「影詠み」の「印」のエネルギーパターンを解析しようとしているようです》
「……やっぱり、晴明くんは鋭いわね。まさか、あの『印』にまで注目するなんて」
綾は、シェルターのコンソールに映し出された晴明の行動データを見ながら、感心すると同時に、一抹の焦りも感じていた。あの「印」は、綾が太古の記憶にあるエネルギー回路図を簡略化し、この世界の素材で再現したものだった。その意味を完全に理解できる者は、この時代にはいないはずだが、晴明ならば、その断片から何かを掴んでしまうかもしれない。
(あまり深入りされると、私の秘密が……)
綾は、晴明の調査を少しだけ「妨害」することを決めた。もちろん、彼に危害を加えるつもりはない。ただ、彼の注意を少しだけ別の方向へ逸らすだけだ。
綾は、フィラに指示を出し、晴明が調査している現場の近くに、わざと別の、しかし似たような「気」の痕跡を微量に残すように命じた。それは、綾が以前試作した、不完全な「人避けの結界」の残滓のようなものだった。
《承知いたしました、マスター。対象Aの興味を惹きそうな、しかし本質とは異なる「偽の痕跡」を生成します》
数日後、晴明は新たな発見に興奮していた。
「これだ……! やはり、この『気』のパターンは、特定の場所や物を隠すための『結界術』の一種に違いない! そして、この術の源流は、おそらく、あの藤原の屋敷に……!」
晴明は、綾が意図的に残した「偽の痕跡」を、見事に「影詠み」の術の核心に繋がるものだと誤解したのだ。彼にとって、以前藤原の屋敷で感じた「気」の淀みと、今回の「影詠み」の痕跡が、ようやく一本の線で繋がった瞬間だった。
もちろん、それは綾の巧妙なミスディレクションの成果なのだが、晴明はまだそれに気づいていない。
(ふふ、ごめんなさいね、晴明くん。でも、あなたの探究心は、いつか本当に世界の真理にたどり着くかもしれないわ。その時まで、私の秘密はもう少しだけ守らせてもらうわね)
綾は、シェルターの中で、少しだけ意地悪な笑みを浮かべた。
しかし、晴明もまた、ただでは転ばない。
彼は、藤原の屋敷に「何か」があると確信しつつも、それが直接「影詠み」に結びつくには、まだピースが足りないと感じていた。そして、彼は新たな仮説を立て始める。
(藤原の屋敷にあるのは、おそらく「影詠み」の術の源流となる『知識』か、あるいは『師』となる存在……。そして、『影詠み』自身は、その知識を受け継ぎ、都で実践している別の誰か……? だとすれば、その目的は一体……?)
顔を合わせることなく、言葉を交わすこともなく、二人の天才による静かなる探り合いは続いていた。
綾は、自分の秘密を守るために、時に情報を操作し、時に相手を欺く。
晴明は、その鋭い洞察力と飽くなき探究心で、見えざる真実の糸を辿ろうとする。
それは、まるで盤上の遊戯のようでもあり、互いの知恵と才覚をぶつけ合う、真剣勝負でもあった。
この静かなる攻防が、やがて二人の運命を、そしてこの都の未来を、どのように変えていくのか。
それはまだ、誰にも分からない。
しかし、影と光が交錯する中で、新たな物語の歯車は、確実に回り始めていた。
そして、綾の「影詠み」としての活動は、晴明という存在によって、より慎重に、そしてより巧妙になっていくのだった。




