表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
陰陽前夜(おんみょうぜんや) ~綾と失われた超文明~  作者: 輝夜
第一章:星影の姫、密やかなる胎動

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/155

第二話:小さな探求者、秘密の萌芽


あの日以来、綾の日常には新たな目的が生まれた。――誰にも知られず、太古の知識を探求できる「自分だけの場所」を創り出すこと。

三歳の誕生日を迎え、言葉もますます達者になった綾だったが、その胸に秘めた決意は誰にも悟られることはなかった。むしろ、以前にも増して物静かで、大人びた落ち着きを見せる綾を、周囲は「聡明な姫君」として微笑ましく見守るばかりだった。


綾の探求は、まず徹底的な情報収集から始まった。

父である中務卿なかつかさのかみ藤原為時ふじわらのためときの広大な屋敷は、綾にとって格好の観察対象だった。侍女に手を引かれて庭を散策する時も、母の藤乃に連れられて客人と挨拶を交わす時も、綾の小さな瞳は常に周囲の状況を捉え、記憶していた。

部屋の配置、人の動線、日の光の差し込み方、風の流れ。そして何よりも、人の気配が薄い場所、忘れ去られたかのような空間の存在。

侍女たちの噂話も、綾にとっては貴重な情報源だった。「北の渡殿わたどのの奥にある物置は、もう何年も誰も寄り付かないらしいわ」「昔、あそこの井戸で何かあったとか……」そんな断片的な情報が、綾の頭の中で地図のように組み合わさっていく。


ある時、綾は乳母に「古いお道具が見てみたい」とねだった。もちろん、言葉巧みに、三歳児らしい無邪気さを装って。乳母は微笑み、「姫様は物知りさんでございますね」と、普段は鍵が下ろされている蔵の一つへと案内してくれた。薄暗く埃っぽい蔵の中で、綾は古びた調度品や巻物の山に目を輝かせた――ように見せた。実際には、蔵の構造、空気の流れ、そして何よりも、人の気配を完全に遮断できそうな、厚い土壁と重い扉に注目していた。

(ここなら……でも、もっと自由に出入りできる場所がいい)


綾の脳裏には、太古の記憶がもたらす様々な「技術」の断片が明滅していた。

例えば、特定の音波や光のパターンを組み合わせることで、人間の認知を僅かに歪ませ、特定の場所を「意識させなくする」技術。あるいは、微弱なエネルギーフィールドを発生させ、物理的に空間を「区切る」技術。これらは、かの超文明では基礎的な応用技術の一つだった。

今の綾には、それらを再現する材料も道具もない。しかし、その「原理」は理解できる。

(もしかしたら、この世界の「気」や「まじない」と呼ばれるものは、これらの現象の未発達な理解なのかもしれない)

まだ陰陽道も確立されていないこの時代、人々は不可解な現象を漠然とした「気配」や「障り」として捉えている。綾の知識は、それらをより具体的に、より効果的に扱うための道筋を示唆していた。


綾は、まず自分の部屋で小さな実験を始めた。

記憶の中の技術者が行っていた「感覚遮断」の初歩的な応用。それは、特定の呼吸法と意識の集中によって、自身の発する微細な音や匂い、そして「気配」とでも呼ぶべきものを極限まで抑え込む訓練だった。

最初はうまくいかなかった。しかし、持ち前の集中力と、太古の記憶がもたらす鮮明なイメージを頼りに繰り返すうち、綾は徐々にコツを掴んでいった。

侍女が部屋に入ってきても、綾が帳台ちょうだいの奥で静かに息を潜めていると、気づかずに通り過ぎることが増えた。それは侍女たちの不注意というより、綾の存在感が希薄になっている結果だった。

「あら、姫様、こちらにいらっしゃったのですか。お静かでいらっしゃるから、つい」

そんな言葉を聞くたび、綾は内心で小さく頷いた。計画は順調に進んでいる。


周囲の大人たちは、綾のそんな変化に気づかない。彼らにとって綾は、「元々物静かで、一人遊びがお好きな姫君」であり、その認識が覆ることはなかった。むしろ、綾が静かに書物を眺めたり(もちろん、そこに書かれている稚拙な文字ではなく、頭の中の知識を反芻しているのだが)、庭の隅でじっと何かを観察したりする姿は、「学問好きで聡明な子供」という評価をますます強固にするだけだった。

ある意味、綾は意図せずして、周囲の人間に対して一種の「精神的なフィルター」をかけているようなものだった。彼女の行動は、常に「三歳児の聡明な姫君」という枠の中で解釈され、それ以上の可能性は誰の意識にも上らなかった。


やがて綾は、屋敷の最も奥まった場所にある、今は使われていない古い書庫に目星をつけた。そこは埃が積もり、蜘蛛の巣が張っているような場所だったが、分厚い壁と、外からは見えにくい小さな窓があり、何よりも人の気配が全くなかった。

(ここなら、少しずつ手を加えられるかもしれない)

綾の小さな胸は、新たな挑戦への期待に静かに高鳴っていた。それは、後に「人避けの秘儀」や「安全な亜空間的な何か」へと繋がる、最初の小さな一歩。そして、その技術の萌芽は、いずれこの世界の人間が「陰陽」として解釈することになる、不思議な力の片鱗を宿していた。

三歳の綾にとって、世界は巨大な実験場であり、その全てが知的好奇心を刺激する謎に満ちていた。そして彼女は、誰にも気づかれることなく、その謎を一つ一つ解き明かしていく準備を、着実に進めていたのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ