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陰陽前夜(おんみょうぜんや) ~綾と失われた超文明~  作者: 輝夜
第二章 綾、星影を纏いし刻とき ~幼き瞳が見据える世界の歪み~

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第二話:黒衣の小旋風、悪徳商人に鉄槌を!


夜の闇を縫うように、黒衣の少年――「影詠み」こと綾は、目的の商家へと向かっていた。


フィラが特定したその店は、東の市の目抜き通りから少し外れた場所にあり、表向きは普通の乾物屋を装っていたが、その裏では悪質な手口で荒稼ぎをしていると噂の、いわくつきの場所だった。




(まずは、証拠固めね……)


綾は、店の裏手にある小さな窓から、音もなく内部の様子を窺った。


認識阻害の外套は、月明かりの下でも綾の姿をぼやけさせ、番犬の鋭い嗅覚さえも欺く。


薄暗い店内では、店の主と思しき恰幅の良い男が、二人の手代と共に、帳簿のようなものを見ながら何やら怪しげな笑みを浮かべていた。


「ふっふっふ、今日もあのババアから、二束三文で良い野菜をたんまりとせしめてやったわい」


「さすがは親分、口が上手い! あの様子じゃ、もう二度と逆らってこないでしょうな」


「まったくだ。ああいう弱者は、徹底的に叩きのめしてやるに限る」


下卑た笑い声が、綾の耳に届く。




(……許せない)


綾の胸の内に、冷たい怒りの炎が灯った。太古の記憶の中の女性技術者もまた、不正や弱者いじめを何よりも嫌っていた。その感情が、綾の中で強く共鳴する。




フィラの指示通り、店の奥にある土蔵に、彼らが不正に溜め込んだ品々が隠されているはずだ。


綾は、まるで猫のようにしなやかな動きで壁を伝い、土蔵の小さな窓から内部に侵入した。そこには、予想通り、不当に買い叩かれたであろう野菜や穀物、そして出所の怪しい高価な品々が山と積まれている。


(これだけの量……あの老婆だけでなく、他にも多くの人が被害に遭っているに違いないわ)




綾は、懐から小さな木の板――「式符」に見せかけた情報記録デバイス――を取り出し、土蔵の中の品々のリストと、先ほどの商人たちの会話の音声を記録した。


そして、もう一つ。


綾は、シェルターで生成した特殊な液体を少量、土蔵の隅に撒いた。それは、数時間後に自然発火し、小規模な火事を起こすが、燃え広がる前に自然鎮火するという、巧妙な「時限発火装置」だった。もちろん、人命に危険が及ばないよう、燃焼範囲は厳密に計算されている。


(これで、少しは懲りるかしら)




証拠集めと「お仕置き」の準備を終えた綾は、再び音もなく商家を後にした。


そして、都の検非違使けびいしの役所の門前に、先ほど記録した式符と、「東の市の悪徳商人の悪行、見過ごすべからず。明朝、その蔵に天罰下るべし。影詠み」と記した小さな文ふみを、誰にも気づかれずにそっと置いた。




翌朝。


東の市では、ちょっとした騒ぎが起こっていた。


例の悪徳商人の土蔵から火が出て、中の品々の一部が焼けてしまったのだという。幸い、火はすぐに消し止められ、他に燃え移ることもなかったが、騒ぎを聞きつけた検非違使の役人たちが駆けつけ、焼け残った品々や帳簿を調べ始めた。


そこへ、昨夜綾が置いた式符と文が発見され、役人たちは色めき立った。


「影詠み……? いったい何者だ?」


「しかし、この文に書かれていることは、どうやら真実のようだぞ。この帳簿、明らかに不自然な取引が多すぎる!」




時を同じくして、安倍晴明もまた、その騒ぎを遠巻きに見ていた。


彼は、昨夜、東の市の上空に、ほんの一瞬だけ、奇妙な「気」の凝縮と拡散を感じ取っていたのだ。それは、まるで誰かが意図的に「何か」を起こしたかのような、不自然なエネルギーの流れだった。


(昨夜のあの気配……そして、この火事と「影詠み」とやらの噂……偶然ではあるまい)


晴明の瞳が、鋭く光る。


彼は、火事場の焼け跡に残る微かな「気」の残滓を辿り始めた。それは、極めて巧妙に消されていたが、晴明の鋭敏な感覚は、ごく僅かな違和感を見逃さなかった。


(この気……どこかで感じたことがあるような……いや、しかし、これはもっと……洗練されている?)




一方、悪徳商人たちは、不正が明るみに出た上に、土蔵の品々まで失い、ほうほうの体で都から逃げ出したという。


そして、あの老婆の元には、どこからともなく、当面の生活には困らないだけの米と野菜、そして「悪しき者にはいずれ罰が下る。希望を捨てず、強く生きよ。影詠みより」と記された小さな文が届けられていた。


老婆は、誰の仕業か分からぬまま、ただただ涙を流して天に感謝したという。




綾は、その日の昼下がり、何食わぬ顔で母・藤乃とお茶を飲んでいた。


「東の市の悪徳商人が捕まったそうですわね。なんでも、『影詠み』と名乗る謎の人物が、その悪事を暴いたとか……。都も、まだ捨てたものではございませんわね」


藤乃の言葉に、綾はただ静かに頷いた。


(うまくいったみたいね、フィラ)


《はい、マスター。計画通りです。検非違使も、今のところ「影詠み」の正体には全く気づいておりません》


フィラの報告に、綾は内心で小さくガッツポーズをした。




これが、「影詠み」の最初の仕事だった。


小さな悪事を正し、名もなき人を救う。それは、ささやかな一歩かもしれない。しかし、綾の胸には、確かな手応えと、そして「もっと多くの人を助けたい」という、新たな決意が芽生えていた。


そして、その活動は、図らずも一人の天才少年の興味を強く引くことになった。






「影詠み」……その謎めいた存在は、やがて都の大きな事件へと関わっていくことになる。


幼き瞳が見据える世界の歪みは、まだほんの一部に過ぎないのだから。


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