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陰陽前夜(おんみょうぜんや) ~綾と失われた超文明~  作者: 輝夜
第一章:星影の姫、密やかなる胎動

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第十九話:影を操る術、小さな探偵の芽生え


父・為時が頭を悩ませる官庫の盗難事件は、その後も解決の糸口が見えないまま、都に不穏な影を落としていた。

綾は、表向きは何も知らないふりをしながらも、侍女たちの噂話や、時折聞こえてくる父と家司・源内の会話から、事件に関する情報を少しずつ集めていた。

どうやら、盗まれるのはやはり特定の薬草や鉱石であり、それらは一般的なものではなく、何らかの特殊な用途に使われる可能性が高いということ。そして、犯行は常に月も隠れる新月の夜に行われているらしい。


(新月の夜……暗闇に紛れて行動しやすいということかしら? それとも、何か別の意味が……?)

綾は、秘密の書庫で、集めた情報を小さな木簡に書き留めながら考え込んだ。

彼女の隣では、フィラが銀色の毛玉の姿で丸くなり、時折「きゅる?」と可愛らしい声を上げながら、綾の思考を邪魔しないように静かにしている。


「ねえ、フィラ。もし、人の目に見えないように物を運ぶとしたら、どんな方法があると思う?」

綾が問いかけると、フィラは頭のアンテナをピコピコと動かし、綾の頭の中に直接情報を送り込んできた。

《マスターの知識レベルで再現可能な範囲ですと、光学的な錯覚を利用したカモフラージュ、微細な振動による物質浮遊、あるいは、極めて短距離の限定的な空間転移などが考えられます。ただし、いずれも高度なエネルギー制御と精密な計算が必要です》

「空間転移……!」

綾はその言葉に目を見開いた。記憶の中の超文明では当たり前の技術だったが、この世界でそれが可能だとは、にわかには信じがたい。

《あくまで理論上の可能性です、マスター。この世界のエネルギー環境では、極めて限定的な条件下でしか実現できません》

フィラは冷静に補足した。


それでも、綾の心は躍った。

(もし、犯人がそんな技術の一端でも持っているとしたら……普通の捜査では捕まえられないはずだわ)

そして、同時に、自分ならその「普通ではない」手口に対抗できるかもしれない、という微かな自信も芽生え始めていた。そのためには、やはり「綾」ではない誰かとして、自由に動けるようになる必要がある。


綾の「変装」技術の研究は、着実に進んでいた。

シェルターの「物質創造ラボ」で、綾は自分の肌の色や質感に限りなく近い、薄い膜のような素材を生成することに成功した。それを顔に貼り付けることで、眉の形や鼻筋の高さを微妙に変えることができる。さらに、髪の色を一時的に変える染料や、瞳の色を変化させる薄いレンズ状のものまで試作していた。

それは、もはや子供の遊びの域を超え、本格的な特殊メイクと呼べるレベルに近づきつつあった。


ある夜、綾は自分の部屋で、こっそりと試作品の「変装セット」を試してみた。

黒に近い鳶色の髪、少しつり上がった眉、普段より少し低い鼻筋。そして、瞳の色も深い緑に変えてみる。鏡に映った自分の姿は、確かに「綾」とは似ても似つかない、どこか活発で、少し影のある見知らぬ少年のように見えた。

(これなら……これなら、誰にも気づかれないかもしれない!)

綾は、自分の変装の出来栄えに、思わず小さな笑みを浮かべた。


声色を変える訓練も続けていた。

フィラの音波分析によるフィードバックを受けながら、綾は様々な声色を使い分けられるようになっていた。低い男性の声、甲高い老婆の声、そして、先ほどの少年の姿に合わせた、少しハスキーな少年の声。

それは、まるで役者が役作りに励むかのようだった。


そんな綾の秘密の努力を知る者は、フィラ以外には誰もいない。

しかし、都の片隅では、別の少年もまた、この奇妙な盗難事件に興味を抱き始めていた。

安倍晴明である。

彼もまた、その鋭敏な感覚で、事件現場に残された微かな「気」の歪みや、盗まれた品々の特異なエネルギーパターンに気づいていた。そして、それが通常の盗人の仕業ではないことを確信し、独自の調査を開始していたのだ。

(この手口……まるで、何かの儀式に必要な素材を集めているかのようだ。そして、この微かな気の乱れは……以前、藤原の屋敷で感じたものと、どこか似ている……?)

晴明の脳裏に、再びあの小さな姫君の姿がよぎったが、まさかその姫君が、今まさに自分と同じ事件の謎を追おうとしているとは、想像もしていなかった。


二人の天才は、まだ互いの存在を意識することなく、それぞれの場所で、同じ闇の気配へと近づきつつあった。

綾の「変装」という新たな武器は、彼女を危険な領域へと導くことになるかもしれない。しかし、それは同時に、彼女が初めて、自分の意志で、誰かのためにその類稀なる力を使うきっかけとなる可能性も秘めていた。

小さな探偵の芽生えは、やがて都を覆うことになる大きな謎への、ほんの小さな一歩に過ぎなかった。

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