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陰陽前夜(おんみょうぜんや) ~綾と失われた超文明~  作者: 輝夜
幕間:励起光子の囁きと二年の猶予 ~綾の鍛錬、晴明の探求~
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其の二十一:紫の君の鋭き問い、姉姫様の秘密と七夕の願い(六歳の夏)


綾が六歳の夏を迎える頃には、彼女の「お姫様」としての技量も、周囲が目を見張るほどに上達していた。

琴の音色は、もはや師匠が手直しをする必要がないほどに澄み渡り、その指先から紡ぎ出される旋律は、聞く者の心を捉えて離さない。和歌もまた、子供らしい素直な感性と、どこか大人びた深い洞察力が融合した、独自の味わいを持つようになっていた。

「綾様のお歌は、まるで夜空に輝く星々のように、静かで、しかし強い光を放っておいでじゃ」

師の女流歌人は、もはや綾を弟子としてではなく、一人の歌人として認め始めているかのようだった。


(ふふ、これも全て、シェルターでの「パターン認識能力向上トレーニング」と、「感情シミュレーションプログラム」のおかげね。……いや、もちろん、私自身の努力も少しはあったはずよ、たぶん)

綾は、内心でそんなことを考えながらも、表向きは「お師匠様のご指導の賜物でございます」と、殊勝な態度を崩さない。この「外面の良さ」もまた、彼女がこの二年間で習得した重要なスキルの一つだった。


しかし、そんな綾の「完璧な姫君」ぶりも、一人の人物の前では、時折、そのメッキが剥がれそうになることがあった。

それは、妹のたかこだった。

たかこは、相変わらず物静かで読書好きな少女だったが、その観察眼はますます鋭くなり、姉の綾の些細な言動の「おかしさ」に、子供ながらの純粋な疑問を抱くようになっていたのだ。


ある七夕の日。

綾とたかこは、侍女たちと一緒に、庭の笹竹に短冊を飾り付けていた。

「お姉様は、どんなお願い事をなさるのですか?」

たかこが、澄んだ瞳で綾を見上げる。

「わ、私は……そうねぇ、『都の皆が、いつまでも幸せに暮らせますように』かしら」

綾は、当たり障りのない、姫君らしい願い事を口にした。


すると、たかこは、ふと綾の手元にある、奇妙な形をした笹飾り(実は綾がシェルターで試作した、励起光子を微量に集める小型アンテナの残骸を、それとなく再利用したもの)を指さして言った。

「お姉様、その笹飾り、とても綺麗ですけれど……なんだか、見たことがない形をしていますわね。それに、時々、ほんのり温かくなるような気がいたしますが……?」

「えっ!? あ、ああ、これはね、遠い国の珍しい飾りなのよ! 温かいのは、きっと太陽の光をたくさん浴びているからだわ!」

綾は、冷や汗をかきながら、必死で取り繕った。

(たかこ、鋭すぎるわ……! まさか、この子の前で、うっかりシェルターの技術品を持ち出すなんて……!)


たかこは、しばらくの間、じっとその笹飾りを見つめていたが、やがて「そうですの」と小さく頷き、自分の短冊に何かを書き始めた。

その短冊には、こう書かれていた。

「おねえさまの ひみつが いつか わかりますように」

……綾は、その願い事を見て、もはや何も言えなかった。


またある時は、綾が「朧月邸」から持ち帰った、何かの設計図(もちろん、この時代の人間には理解不能な、複雑な記号と図形が描かれている)を、うっかり自分の部屋の文机の上に置き忘れてしまったことがあった。

それを見つけたたかこは、興味深そうにその紙を眺め、

「お姉様、これは何かの『宝の地図』ですの? それとも、遠い星の国の『文字』なのでしょうか?」

と、目を輝かせて尋ねてきた。

「こ、これは……その……ただの、模様の練習よ! いろんな線を引いて、遊んでいただけだから、気にしないで!」

綾は、慌ててその設計図を隠したが、たかこの瞳の奥に浮かんだ、尽きない好奇心と探究の光は、ごまかしきれなかった。


(……この子、もしかしたら、いつか私の秘密にたどり着いてしまうかもしれないわね……。その時、私はどうすればいいのかしら……)

綾は、妹の早すぎる洞察力に、一抹の不安と、そしてどこか頼もしさのようなものも感じていた。

いつか、この妹になら、自分の秘密を打ち明けられる日が来るのかもしれない。そして、その時、彼女はきっと、自分を理解し、受け入れてくれるのではないか……。そんな淡い期待も、綾の胸には芽生え始めていた。


橘香子たち「影詠み乙女の会」の面々も、相変わらず綾を「完璧な姫君」として敬愛し、その一方で、都の英雄「影詠み様」への憧れを熱く語り続けていた。(まさか、その二人が同一人物だなんて、夢にも思わずにね……と綾は内心で付け加えるのだった)

「綾姫様、今度、私たちが作った『影詠み様かるた』で遊びませんこと? きっと楽しいですわよ!」

「綾様は、きっと『影詠み様』の札を、誰よりも早くお取りになるに違いありませんわ!」

(……いや、そのかるた、私の知らないエピソードとか必殺技とか満載なんでしょ……? 正直、あんまりやりたくないんだけど……)

綾は、笑顔で「ええ、ぜひ」と答えながらも、内心では全力で逃げ出す方法を模索していた。


六歳の夏。

綾は、姫君としての仮面を完璧に被りこなし、周囲の大人たちを安心させ、そして同年代の友人たちとの(ちょっぴりズレた)交流を楽しみながらも、その心の奥底では、誰にも言えない秘密の重さと、そして妹の鋭い視線に、常にハラハラドキドキしていた。

その日常は、まるで綱渡りのようでもあったが、同時に、彼女の人間としての感情を豊かにし、そして「影詠み」ではない、「藤原綾」としてのアイデンティティを育む、大切な時間でもあった。


そして、そのすぐ隣で、世界の「歪み」は、確実に、そして静かに進行し続けている。

綾の、そして都の人々の穏やかな日常が、いつまでも続くわけではないことを、彼女は誰よりもよく知っていた。

だからこそ、この束の間の平和を、そして大切な人たちとの絆を、綾は心から愛おしく思うのだった。


その愛おしさが、やがて来るべき戦いの中で、彼女の力の源となることを信じて――。

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