第十九話:星詠みの探求、影の印が導く新たなる「術」の境地!
宮廷陰陽局(仮)での職務(という名の色々な雑用と、古参役人との静かなる戦い)に追われる傍ら、安倍晴明の個人的な探求は、ますますその熱を増していた。
彼の最大の関心事は、依然として、あの謎の存在「影詠み」と、その不可思議な「術」の秘密だった。特に、影詠みが現場に残すという、あの奇妙な文様の「印」。晴明は、そこにこそ、影詠みの力の源泉が隠されていると確信していた。
「……この線のうねり、この点の配置、そして全体を貫くこの不可視の『流れ』……。これは、単なる図形ではない。宇宙の森羅万象を凝縮し、励起光子――いや、『星励光』の奔流を制御するための、精緻なる『鍵』なのだ!」
晴明は、自室に持ち帰った「影詠み」の「印」の写し(もはや彼の宝物の一つである)を前に、いつものようにぶつぶつと呟いていた。その瞳は、常人には見えぬ「何か」を捉えているかのように、爛々と輝いている。
彼は、この「印」の文様を、陰陽五行、八卦、天文遁甲、果ては異国の占星術に至るまで、ありとあらゆる知識と照らし合わせ、その「真の意味」を解き明かそうと試みた。そして、その過程で、彼は独自の、そして極めて独創的な「解釈」を生み出していく。
「……この部分は、天の北辰(北極星)と地軸の傾きを表し、空間の定位を定める。そして、この螺旋は、気の巡りを活性化させ、負のエネルギーを正のエネルギーへと転換する力を秘めているに違いない! さらに、この三つの点は、天地人の調和を象徴し、術者の精神力を最大限に引き出すためのトリガーとなるのだ!」
それは、綾が設計したエネルギー回路図の簡略版とは、もはや似ても似つかぬ、晴明の壮大なイマジネーションの産物だった。
しかし、不思議なことに、晴明がその「解釈」に基づいて新たに開発した「陣」や「呪符」は、なぜか、都で時折発生する「弱体化した怪異」に対して、妙に効果を発揮したのだ。
例えば、ある商家で「夜な夜な物が勝手に動き、不気味な囁き声が聞こえる」という相談があった際。
晴明は、自信満々に「これは、その土地に溜まった『淀んだ気』が、励起光子の影響で活性化し、ポルターガイスト現象を引き起こしているのだ!」と断言。(半分くらいは合っているかもしれない)
そして、彼は、例の「影詠みの印」をアレンジして考案した「空間浄化の霊方陣(という名の、地面にチョークで描いた複雑な図形)」を商家の中庭に描き、その中心で「星霜の霊墨・改二(悪臭風味)」で書いた「邪気退散の呪符(もはや読めないレベルの文様)」を燃やし、高らかに祝詞を唱えた。
「天地玄妙、神辺変通! 万物の邪気、速やかに退散せよ! 急急如律令!」
すると、不思議なことに、その日から商家での怪奇現象はピタリと止み、囁き声も聞こえなくなったという。
(真相は、綾が事前に「影詠み」として、その家の床下に仕掛けられていた、アルビオンの残党による嫌がらせ目的の小型音響装置を破壊し、ついでに励起光子中和フィールドを設置しておいただけなのだが、晴明はもちろん知らない)
またある時は、宮中の池で「鯉が次々と謎の病で死んでいく」という事件が発生。
晴明は、「これは、池の水に『水妖の呪詛』がかけられているに違いない!」と主張。(実際は、励起光子の影響で水質が悪化し、細菌が繁殖しただけだった)
そして、彼は「影詠みの印」から着想を得たという「水神鎮撫の護符(大きな和紙に、魚と波と星を組み合わせたような謎の絵を描いたもの)」を池に浮かべ、数日間祈祷を続けた。
すると、これまた不思議なことに、鯉の病は治まり、池の水も徐々に澄んでいったという。
(これも、綾がフィラと共に、シェルターの浄水システムを応用した小型浄化装置を、夜陰に紛れて池の底に設置した結果なのだが、晴明は「我が護符の霊験、恐るべし! 水神様もお喜びであろう!」と、大いに満足していた)
これらの「成功体験(?)」は、晴明の自信をますます深めさせた。
「やはり、私の解釈は間違っていなかった! 『影詠み』様の術の根源は、宇宙の法則と励起光子の調和にあるのだ! そして、その『印』こそが、その力を引き出すための万能の鍵なのだ!」
彼は、さらに多くの「影詠みの印」を生み出し、それらを組み合わせた新たな「陣」や「呪符」の開発に、寝食を忘れて没頭していく。
その姿は、もはや求道者のようでもあり、あるいは、何かに取り憑かれたマッドサイエンティストのようでもあった。
賀茂光栄は、そんな親友の姿を、いつものように生暖かい目で見守っていた。
(……まあ、結果的に怪異が収まってるなら、それでいいのかもしれんが……。それにしても、晴明の部屋、最近ますます怪しげな護符とか図形とかで埋め尽くされて、足の踏み場もなくなってきてるんだよな……。あれ、本当に大丈夫なのか……?)
彼の心労は、晴明の「覚醒」と共に、比例して増大していく一方だった。
安倍晴明の、独自すぎる「影詠みの印」研究。
それは、綾の意図とは全く異なる方向へと暴走しつつも、なぜか、この世界の「歪み」から生じる小さな綻びを、一時的に繕うかのような効果を発揮していた。
そして、その「成功体験」が、彼をさらなる「謎理論」の深みへと誘い、やがて、彼自身も予期せぬ「本物の力」の覚醒へと繋がっていくのかもしれない。
ただし、その過程で、彼の部屋がどれだけカオスなことになるのかは、また別の問題である。
そして、綾は……。
《マスター、対象A(安倍晴明)の最近の活動により、都の数カ所で励起光子パターンの微細な変化が観測されています。……特に、彼が「霊符」として使用している紙片から、極めて特異なエネルギー放射が……。これは、一体……?》
フィラの困惑した報告に、綾もまた、首を傾げるしかなかった。
……晴明くん、一体何をどうしたら、私の適当なデザインからそんな効果を引き出せるのかしら……? もしかして、彼の方が本当の天才……?
ちょっぴり複雑な気分の綾だった。