七
こつ、こつ、とトンネル内に足音が響く。小柄な体を少しでも大きく見せられるようにと履いているハイヒールの音だ。
峰草が青白くやつれた顔でトンネル内を進んでいる。彼女の腕は何かを大事そうに抱えているが、そこには何もない。その何もない空間を、愛おしそうに撫でるような仕草をしている。
「……いいこ……いいこ……。大丈夫だからね……」
か細く、優しい声で呟くそれは、母親が子供に声をかけている時のもののようだった。
時折そこに耳を寄せ、「うん、うん」と相槌をしながら嬉しそうに笑い、また何事か呟きながらトンネル内を歩く。
「やぁ、どうもどうも」
その背に、軽薄そうな声をかける者がいた。
峰草は緩慢な動きで振り返る。トンネルの入り口を背に、口縄と贄田が立っていた。
「いい夜ですね、峰草さん。お子さんとお散歩ですか」
お子さん、と言いながら口縄が指さしたのは峰草が抱えているらしいものだった。
「……はい。そうですよ。口縄さんと贄田さんはどうしてここに……?」
峰草の視線は贄田に向けられている。
隈が濃く、落ち窪んだ眼は妙にギラギラとしていた。
「あ、わかりました。私の子に会いに来てくださったんですね。よかった、今度こそ、ちゃんといるって言ってくださいね。そうすれば、この子も喜びますから」
瞬きをせず、視線を逸らさず、峰草は話す。
贄田は痛々しいものを見るような表情になり、口縄は相変わらず笑っている。
「それはあなたの子供ではないでしょ」
笑いを堪えているような、そんな声で口縄が言った。
その瞬間、峰草の表情がごっそりと抜け落ち、ようやく口縄に視線を向けた。
「何言ってるの私の子ですよこの子は私が生んだのだってここにいたものだからこの子は私の子なのもっと大きく育てないといけないのもっと増やさないといけないの子供がたくさんほしいって言ったじゃないだから私、わたし、わたし」
峰草が一度うつむき、顔をあげる。彼女は晴れ晴れとした笑顔を浮かべていた。
「あの人はね、私に愛してるって言ったんです。結婚したら子供がたくさん欲しいねって。私もあの人の事、愛していたんです。なのに、あの人は私以外の人にも愛してるって言ったんです。子供、できたのに。結婚するって約束したのに。問い詰めたらね、車でここに連れてこられて置いて行かれたんです。この子と一緒に……」
彼女は腕に抱いているものを撫でる。相変わらずその手は優しく、慈愛に満ちていた。
「あの日はとっても寒かったんです。一晩中、ここから動くこともできなくて。だからだめだったんでしょうね。次の日、あの人ね、迎えに来たんです。「反省したか」って。私の何が悪かったんでしょうか。そのあとのことはあまり覚えてなくて。気が付いたら私の子はいなくなってて、あの人も消えてました。ぼんやりとしたまま、あの子を失ったこの場所に何回か来ていたみたいです」
「……トンネルの入り口に佇む女の霊」
呟いたのは贄田だ。
「あの日もここに来て、あの子の事ばかり考えていました。会いたい、会いたいって……。そしたら、いたんです。小さな産声を上げる私の子が。見た瞬間、愛おしくて、体が震えるほど嬉しくて。ほんの小さな体を抱き上げて抱きしめて。そしたら、そしたら聞こえたんです。育てなさいって。優しい声で……教えてくれたんです。この子の育て方を」