六
本日は雨天なり。
暗く厚い雲が空を覆い、しとしとと雨を降らせている中。口縄心霊相談所は二人の客を迎え入れていた。
緊張しているのか、あちらこちらに視線を彷徨わせている男と、ぼんやりとした表情で力なくソファに腰かけている男。どちらも若いが、表情には疲労の色が見え、そのせいで若干老けているように感じた。
対面のソファには口縄と、その斜め後ろに贄田が立っている。
「どうも、どうも。口縄心霊相談所へようこそ。ご予約のー……」
「品木さんと琴高さん」
「ですね。所長の口縄と、こっちは助手の贄田くん」
紹介され頭を下げる贄田を見て、落ち着きのない男の方が頭を下げて「品木です……」と小さく名乗った。もう片方、琴高の方は相変わらずぼんやりとしたままだった。
「今回はどういったご依頼ですかな。憑りついているものを払ってほしいとか」
「そ、それ、そうです。ええと、除霊をお願いしたくて」
品木は前のめりになりながら肯定する。随分と必死な様子で、話を続けた。
「う、うぶごえトンネルって、知ってますか。二週間くらい前に俺たち、そこに肝試しに行ってっ、大学の友達と三人でいったんですけど、あの、一人は今入院してて、それで。なんで入院してるかっていうのは肝試しの帰りに事故ったからなんですけどっ」
「……落ち着いて話してください」
うぶごえトンネル、という言葉に贄田はわずかに反応した後、冷たく言い放つ。品木は息をのみ、それから自分自身を落ち着かせるように何度も何度も息を吐いた。
「すみません……まだパニックになってて。……さっきも言った通り、肝試しに行ったんです。うぶごえトンネルっていわれてるとこで……。最初はビビってたけど、なんもないし、帰ろうって時に、あの、赤ん坊の泣き声がして。慌てて車まで逃げて、帰ってる途中で……」
品木はそこで一度話を区切る。
「後ろの席にこいつ…琴高が乗ってたんですけど、喋んないからどうしたって振り向いたら、こいつの腹の上に、あ、赤ん坊の化け物が……!」
恐ろしいことを思い返したせいか、品木の顔がどんどん青ざめていく。
「それで車ん中がパニックになって……運転してたやつがハンドル操作ミスって木に突っ込んじゃって……。俺は軽傷だったけど運転席に木の枝が刺さって、そいつ、腕に結構なケガして……そんで入院してます。琴高はケガしなかったけど、あの日からどんどんおかしくなって、腹になんかいるって騒いで」
「ほうほう」
「……こいつら、肝試しに行くってQに写真上げてたやつらだ。人相が変わりすぎててわからなかったが」
贄田が小声で口縄にささやく。しかし口縄は何の話だというように首を傾げたため、やはりあの時の話は全く聞かれていなかったのだと贄田は肩を落とした。
「あとは……見てもらった方が早いかも、っす」
品木は躊躇いがちに、しかしやむを得ずといったように琴田の服の裾を持ち上げる。あらわになった琴高の腹部は不自然に膨らんでおり、赤黒く変色していた。ゆったりとした服装で誤魔化せる程度のものだが、まるで妊婦のようになっている。
「う……またでかくなってる……」
品木が口元を抑えながら言った。
「少しずつ膨らんでるみたいで……。琴高が暴れて、自分で腹殴るんです。出ていけ出ていけって。一昨日くらいからはこのぼんやりした状態になっちゃって。こいつ、一人暮らしだし親と仲悪いし、俺がなんとかしないとって思ってたんですけど……。こんなの医者にどう言えばいいかわかんないし、お祓いとか行こうと思っても、なぜかこの辺全然寺とか神社とかないし!かといってこの状態の琴高を連れまわせないし……。そんな時にここ見かけて……」
「ああ、寺も神社も全くない区に事務所を構えた甲斐があったね」
「え?」
「なんでもありません」
贄田が口縄の背中を叩き、その衝撃で口縄が噎せる。どうやら余計なことを言ったらしい。
「……えーと……。ど、どうにかなりますか」
品木は若干胡乱な目を二人に向けた。口縄は犬歯を見せて笑い、ゆったりと立ち上がった。
「もちろん。ええ、すぐにでも。あ、贄田くんもよく見てあげて」
だらしなく緩んでいるネクタイをほんの少しだけ直し、琴高の側に寄る。彼の腹にそっと手を置き、口元を引き締めた。
雰囲気が変わった口縄を、品木は期待を込めて見上げた。
「ええっとぉーー……ホンニャラハンニャラポイポイポイ~……」
「……は、ええ?」
口縄は、今適当に思いついたような言葉を口にしはじめた。品木は失望と怒りで口を開こうとしたが、すぐにやめる。
琴高の腹の膨らみが消えていた。先ほどまで張りつめていた腹部は何事もなかったかのように平らになっている。
「はい、どうにかなりました、と」
「す、すげぇっ、琴高っ、お前、治ってるぞ!」
先ほどまでぼんやりとしていた琴高は不思議そうに自分の腹を見つめ、首を傾げ、「……いなくなった」と呟く。
「よかった、よかった……!しょーもないおっさんなのかと思って不安だったけど何とかしてくれたんだ!」
「おっと失礼な」
「あ、すんません……。でも、まじでありがとうございます。幽霊に憑りつかれるとか、あり得ないって思ってたけど。今回でもう懲りたんで、肝試しはもうしません」
「そうしてくださいな、っと。ああ~、今回の依頼料なんだけど、そうだなぁ。五せ……」
「相談料除霊料合わせて四万円ですが学生さんとのことですので半額で手を打ちましょう」
五千円と提示しようとした口縄の言葉は、贄田に遮られた。
品木は懐がたいそう寂しいと言いたげな顔で、だが贄田の有無を言わせない圧により一万円札を二枚置いて、琴高を支えながら何度も頭を下げ、事務所を後にした。
階段を下りる音が小さくなり、事務所内がしんと静まり返った時。贄田がその場に膝をついた。彼の肌の白い顔は更に色を失い、徐々に青白くなっていく。
「……っ、く、そ……っ」
腹部を抑え、歯を食いしばって何かを耐えている。
「供」
口縄はそんな贄田を見下ろしながら、彼を名字ではなく、下の名前で呼び捨てる。
「見せろ」
短く、そして冷たく告げられた言葉に、贄田は渋々といった様子で従う。ジャケットを脱ぎ、シャツのボタンを下からいくつか外して腹部を見せる。
鍛えているらしく割れた腹筋が並ぶ腹は、下腹部が赤黒く変色し、僅かに膨らみを持っていた。
「早くっ、なんとかしろっ」
「おお、すごい勢いで成長しているぞ。脈打ちながら膨らんでいくのがわかるか」
「カガチっ、いいから食え!」
苦しいのか、贄田が顔を引き攣らせて口縄の名前を呼ぶ。口縄は「もう少し見ててもよかったんだが」と言うと、贄田の腹、赤黒く変色している部分にかぶりついた。
「ーーっ、ぐぅ、ぅ……っ」
痛みに贄田が呻く。しかし口縄は構わず嚙みついたまま肉を引っ張るように頭を下げる。ずる、ずると贄田の腹から赤黒い肉塊が引きずり出されていく。それは胎児の顔をいくつも持っていた。複数の短い腕を抵抗するようにばたつかせ、ぽっかり空いた口から泣き声をあげる。
何度か噛みつき直し、口の奥へ奥へと引き込む。喉仏を上下させ、蛇の食事のようにゆっくりとそれを嚥下する。
贄田の腹から完全に離れ、最後に「ふぎゃ」と小さく鳴いてそれは一片も残さず飲み込まれた。
「……うん。腹の足しにはなった」
口の端を舐め、口縄はほんの少しだけ満足そうに息を吐いた。対して、贄田は忌々し気に表情を歪めている。
「でっち上げじゃなかったのか、あのトンネルの話」
「半分はな。もう半分は本物になっていた。うまく育てたものだ」
「……いつから知ってた」
「それはもちろん」
口縄は犬歯を見せて笑う。
「峰草 真紀菜がここを訪れた時からだ。出来損ないの赤子を背負っていたからつい笑ってしまった」
「その時にどうにかできただろ。なんでしなかった」
「聞いたさ。『どんな依頼ですかな。憑りついている霊を払ってほしいとか?』ってな。そうではないと言うから放っておいた。次に訪れた時は随分と『憑かれて』いたよ。数も質量も増えていた」
「どうして俺に言わなかった?俺はお前に言われないと見えない……のに……」
贄田が何かに気が付いたかのように口縄を見つめた。
「……お前、わざと」
「さぁ!贄田くん!そろそろ彼女を救う頃だ。このままでは死んでしまうぞ、うん。君は優しいから見捨てられないだろうなぁ」
未だ立てずにいる贄田を見下ろし、口縄はわざとらしく言った。
彼の前髪の隙間から僅かに瞳が見える。柘榴のような赤い瞳だった。