回顧/贄
「もう、いい加減にしろよ」
贄田が、『贄田 供』になってからはじめて口縄に反抗したのは十六の頃だった。
六歳になろうとしていたあの日、両親から家を追い出された。泣いても叫んでも家に入れてもらえず、泣きながら向かったのは家の裏手にある山の奥の祠。祖母が生きていたころに一度だけ見かけることがあり、あれが何かと聞いた際に「神様がいるところだよ」と教えられていた。
だから、縋った。神様は願いを聞いてくれると祖母が言っていたから。
蓋、いや、祠を開けてみればとんでもない邪神もどきだったわけだが。幼い贄田は言葉巧みに誘導され、まんまとこの蛇のものになってしまった。それから十年。共に過ごしてきたのだが。
「んん、なにをどうしろって?」
贄田が怒りを露にしているというのに、目の前の男はへらへらと笑っている。その態度に、贄田の苛立ちはさらに募った。
「いっつも俺の事餌にして!幽霊とか憑りつかせて食うの、やめろよ!気持ち悪くなるんだよ」
きっかけは口縄の好奇心だった。
どれほど引き寄せる力があるのか見てみたい、と霊が見える状態で墓場に放り出され、結果その場にいた霊を全て憑りつかせるという快挙を達成した。また、口縄は贄田の状態を見て「憑いたものを縛り付けるのか」と言った。ただ剥がせばお前の魂を傷つけるだろう、とも。
そして取られたのが、口縄が贄田に憑いた霊を食うという手段だった。食われる際に激しい痛みが贄田を襲ったが、それさえ耐えれば安全に剥がせる。こんなことは二度とご免だ、と贄田は伝えたのだが、口縄は贄田に憑いた霊の味の良さにすっかり魅了されてしまい、ことあるごとにわざと霊を憑かせるように仕向けだしたのだ。
「仕方ないだろう、お前に憑かせたものでないと食う気になれないのだから」
「我慢しろよ。俺の事守ってくれるって、助けてくれるって約束したんじゃないのかよ」
「お前が死なないようにすぐ食っているじゃないか」
「そうじゃなくて!」
「ああ、まいったな。これは反抗期というものか?お前も大きくなったものだ」
幼い頃は慕っていたが、今はすっかり嫌気がさしていた。どんな手段を使っているのかは知らないが、学校に通ったり家を用意してくれたりと、一般的な人間の生活をさせて育ててくれた恩はある。だが、口縄の身勝手に付き合うのにも限度があった。
「……もういい。出ていく」
贄田は決意を吐き出した。この年であれば一人でもどうにか生きていける。こいつは新しい「生贄」でも手に入れて、自分を解放してほしい。
そんな気持ちから出た言葉だった。
「ははは。出ていく。そうか」
口縄がからからと笑った。やはりその程度で了承されるのか、と僅かに寂しさが走ったのだが、すぐにそれは撤回することになる。
「許すわけないだろう」
ひゅ、と贄田が息を飲んだ。足が竦むほどの恐怖が、一瞬で彼を支配する。
口縄の前髪から覗く瞳が今まで見たことない程冷たく、普段緩んでいる口元から笑顔がさっぱり消えていた。
ゆっくりと近付いてくる口縄から逃げることも、目を逸らすことも許されない。
「お前は私のものだと言っただろう。なのに、私から離れようとするなんて」
口縄の冷たい手が贄田の頬に触れる。贄田は息が上手く吸えず、酸欠と恐怖で倒れてしまいそうだった。
「可愛がるだけではなく、躾が必要か」
その後の事は、あまり思い出したくない。
口縄に蹂躙され、口縄の存在を体に刻み込まれ。二度と彼から離れるようなことを言わないと約束させられた。
助けを求めた相手は、結局「人でなし」だったのだ。
それから五十年以上、贄田は口縄に捕らわれたままだ。




