十二/前
(捌幡を探しに行かないと……)
贄田は憂鬱な足取りで玄関へと向かい、扉を開ける。
「やあ、おつかれ」
扉を開けた途端目に飛び込んできたのは口縄のにやけ顔だった。とっさに扉を閉じようとした贄田だが、扉の隙間に足をねじ込まれそれは叶わなかった。
「ちょっとちょっと、なんで閉めるの」
「いると思っていなかった虫がいたら驚くだろ」
「僕を虫と同列にした?」
ひどいよ、と鳴き真似をする口縄に、贄田は仕方なく扉を開けて外に出る。口縄と行動していたはずの山垂は同行していないようだ。
「ヤマさんは置いてきたよ。被害者がもう一人出ちゃってねぇ。でもそれからは新しい話なんて聞けそうにないし、ヤマさんといるの飽きちゃったし、贄田くんが恋しくて来ちゃった」
「……今、忙しいんだよ」
「話を聞きに来た子に振られて追いかけるところでしょ?」
「わかっているならどけ」
「イライラしないの。どうせ行先はわかってるんだからさ」
ひら、と口縄は一枚紙を取り出した。そこにはどこかの住所が記されている。
「なんだっけ、えーと、たか、たかの?だかの住所だよ。ヤマさんがくれた。いじめっ子たちの最後の一人」
「高尾だろ。わかってるならすぐ行かないと」
「せっかちだなぁ。あの子と話したこととか……何を見たとか、教えてよ」
肩を竦めながら言う口縄に、贄田はため息を吐く。
「向かいながらだぞ」
「それでいいよ~」
できる限り早足で記された住所に向かいながら贄田は話す。捌幡と会話したこと、それから、自分が見た謎の「ユウト」という少年のことを。
「人間ではない、けど幽霊でもない。お前みたいな存在でもない。変なオーラみたいなのが人の形を作っていて……。魂はあるけど不安定に揺れていた。そこに呪いみたいな、負の感情みたいなのが絡みついていて……あれは捌幡のものだと思う。確証はないけど。捌幡はあれを理想の友達だと言っていた」
「ふーん……人の形をしている、オーラの塊……理想の友人……あらら、最近そんな話を聞いた気がするぞ」
口縄が思い出したのは、最近聞き流した熱弁の一部だ。
「ああ、なるほど。少しわかったぞ。謎の少年の正体」
「本当か」
「うん。多分だけどねえ」
口縄は得意げに人差し指を立てて言った。
「タルパだよ」
高尾は怯えていた。自室に籠り、頭から布団を被って蹲っている。
今朝、親から伝えられたのは学校が休校になったこと。原因は、友人の生形が事故に遭ったこと、犯人が担任教師であること。
数日前は、田知花が不可解な現象により入院した。次は生形が。もう一人の友人である粂川とは先ほどまで連絡を取り合っており、こちらに向かうとメッセージが来て以降音沙汰がない。互いの家はさほど離れていないため、とっくに着いていてもおかしくない時間だというのに。
「ちくしょう……なんなんだよぉ……どうなってんだよ……」
脳裏に浮かぶのは「呪い」の二文字。粂川とのメッセージのやり取りで出た言葉だ。「呪われてるんじゃないか」と。彼はそう送ってきたのだ。
「そんなわけない、ありえない、なんでこんな目に遭うんだよ……」
捌幡をいじめていたのは、田知花がそう言ったからだった。あの日の彼は機嫌が悪く、誰でもいいから憂さ晴らしをしたい気分だったのだと思う。偶然ぶつかった捌幡に田知花は目をつけ、それから日々何かと理由をつけて連れ出しては気が済むまでいたぶった。はじめは乗り気でなかった自分も、いつの間にか積極的に捌幡に暴力を振るっていた。でも、それは田知花に言われたからで、と彼はこの期に及んで自分は悪くない、と思っていた。
「あいつが、捌幡が何かしてるんならあいつが悪い。あいつが……」
ぶつぶつと呟きながら爪を噛む。ここに口縄がいれば「呪いが成立しているね」と彼に笑顔で言った事だろう。
「あいつのせいで……」
「馬鹿だね。理人はなにも悪くないよ」
高尾は布団から飛び出した。耳元のすぐ横で、知らない声に囁かれたからだ。
部屋中を見回し、何者かが侵入していないか確認するが、誰もいない。
「なん、なんだよぉ!」
高尾は叫び、部屋から飛び出す。なにかはわからないが、とにかく逃げなければならないと思った。靴も履かずに家から出て、とにかく遠くへ行こうと。
息を切らしながら高尾は走る。裸足の足にアスファルトが食い込んで痛んだが、止まるのが怖かった。だがやがて限界が訪れ、おぼつかない足取りで数歩進んだ時だった。
肩を掴まれた。
驚き声を上げようとしたが、何かに口を塞がれその声が外に漏れることはなかった。無理やり引っ張られ、すぐ側の仮囲いで囲われた空地に引きずり込まれる。そして、まだ何も手を付けられていないらしいその草の生い茂る空地に投げ出された。
「ひ、ひぃぃ」
解放された口から出るのは情けない悲鳴だ。
地面を這い、その場から離れようとする高尾だが、メキ、と嫌な音がして動きを止める。それは、自身の両脚からした音だった。少し遅れて、ひどい痛みと吐き気が高尾を襲った。
脚が、折れている。
両脚に赤黒い痣ができていて、その位置から足が妙な方向に折れ曲がっている。声にならない絶叫をあげ、耐えきれず嘔吐した。
「た、たずげ、ぇ……」
声を絞り出し、助けを求めるがその声は虚しく空間に溶ける。
死にたくない、と再び這おうとした時、誰かが仮囲いの中に入ってきた。助けが来た、と希望に目を輝かせた高尾だが、すぐにそれは消え去る。
「うわ、汚い……」
入ってきたのは捌幡だった。
「や、やつ、やつはたぁぁ……!」
高尾の目が一瞬で怒りと憎悪に染まる。高尾の中ではすでに捌幡が全ての元凶になっており、今自分がこのような目に遭っているのも捌幡のせいだ、と本気で思っていた。
「すごいね。まだ理人のせいだと思ってるみたい」
「なんでだろうね……自業自得なのに」
「そうだよね。まあ、頭がおかしい奴のことなんてわからなくていいんだよ」
「うん。理解出来たら、ちょっと困るかも。同じ思考を持ってるみたいでさ」
「だ、だれとっ、話してんだよ!気持ちわりぃ!!」
高尾に、捌幡の隣にいるユウトの姿は見えていない。脳がドーパミンを分泌しているのか、折れた足の痛みは既に気にならず、怒りだけが彼の中に渦巻いている。
「……やっぱり、見えないんだね。贄田さんには見えてたけど」
「普通は見えないんだよ。あの人が特別なだけ。僕は理人が認識してくれればそれでいいんだよ。唯一の大切な友達だもん」
「うん。そうだよね……」
喚く高尾を無視し、二人は会話を続ける。だが煩わしくなったのか、やがてユウトが高尾に近付き、彼の顎を掴んだ。
「うるさい」
ぱき、と音を立てて高尾の顎が外れた。
「理人、わかったでしょ。こいつらは反省なんてしないし、それどころか理人が悪いと思うようなクズだ。……もう殺してもいいよね?」
「……うん。殺して」
捌幡がなにと、どのような会話をしているかわからないが、「殺して」という不穏な言葉に高尾は嫌な予感がした。何か言おうにも顎が外れているため、発せられるのは呻き声だけで。ついに涙を零しながら高尾は地面に頭を擦りつけた。
「なに、謝ってるつもり?今更遅いよ」
捌幡は陰鬱な瞳で高尾を見下ろし、そう言い放った。
ユウトが高尾の首に手を伸ばす。その手は黒く、妙に指が長く大きいものに変わっていた。
「……死ね、消えろ」
捌幡は憎悪の言葉を口にした。




