九
「大変なことになったぜぇ、ヘビさんよ」
山垂が口縄心霊相談所に乗り込んできたのは、午前七時が少し過ぎた頃だった。給湯室にある簡易キッチンで朝食の準備をしていた贄田は、慌ててまだ眠っていた口縄を叩き起こし、寝巻のままベッドから引きずり出してソファに座らせると、自分は朝食作りに戻っていった。
山垂は「そんな慌てんでも」と言いながら口縄の向かい側のソファに座り、冒頭の台詞を口にした。
「なにがぁ……?」
まだ眠そうに体を揺らしている口縄の寝巻はひよこの絵が散らばったスウェットだった。そのことには特に触れず、山垂は話す。
「昨日の夜、生形が車に轢かれた。田知花のグループにいたやつだが、あー……わかるかいヘビさん」
「わかんない」
「だろうな。とりあえず、あんたに調査を頼んだ学校の生徒だって認識はしてくれ。で、轢いた奴は生形のクラスの担任。生形は重体で入院。担任は事情聴取中ってとこだな」
山垂は頭をがりがりと掻いた。
「今んとこ聞いたところによると、生形が突然道路に倒れてきたんだと。ブレーキを踏む間もないほどの距離でな、そのままどかん、と。生形は今のところ生きちゃいるが、危険な状態みたいでな。目撃者もいないし、被害者の話は聞けないしで困ってるんだよ」
「あららぁ。大変だねぇ……」
口縄がまだ眠たそうにあくびをする。
「こんな朝っぱらに悪いね」
「構いませんよ」
朝食を作り終えたのか、贄田がトレーを持って戻ってきていた。ちなみに胸元にクマのイラストが描かれたエプロンを着けている。
目玉焼きとソーセージ、少量のサラダが乗った皿と、軽く焼いたロールパンが乗った皿、最後に箸を三人分ローテーブルに置き、贄田は口縄の前で手を合わせた。
「俺の分までいいのかい」
「はい。いつもコンビニで買ってばかりでしょうし、たまにはきちんと食べたほうがいいかと」
「そりゃ偏見だよ。当たってるけど。……にしても、なんでヘビさんに手を合わせてるんだい」
「僕が神様だからだよ」
「ははは!そりゃ面白い冗談だな。ヘビさんみたいなだらしないおっさんの神様がいるってか」
「失礼だね、あはははは」
「わはははは」
山垂と口縄のやり取りに、贄田は頭が痛くなりそうだった。
「はぁ、笑ってる場合じゃないな。大事な話がまだ終わってないんだ。その生形なんだがね。背中に痣があったんだよ。轢かれたり地面で擦ったりして傷も痣も体中にあるっちゃあるんだが、その背中にある痣が妙でなあ。ばかでかい手みたいな形をしてたんだよ」
山垂は手のひらを二人に見せながら言った。
「生形は何かに押されたんじゃねぇかなって。その何かは知らんけど」
「適当ですなぁ」
「その何かを調べるのはヘビさんたちの仕事だろ?」
ひょい、とソーセージを箸で摘み、口に放り込む。山垂にとっては久しぶりのまともな朝食だった。
「とはいえ、事故のこともあって、学校は休校だとよ。報道もあるしなぁ、担任がクラスの生徒を轢いたとなっちゃ、二、三日はこの話題で持ちきりだろ」
「あらら。どうしたもんかねぇ。そもそも、学校内で起きる現象かと思ったけど学校外でも起きちゃうみたいだし、原因を絞り込むのが大変だなあ、手掛かりがあればいいんだけどなぁ」
と言いながら、口縄の視線は隣にいる贄田に向けられていた。贄田はその視線の意味を察し、深く息を吐いた。
「捌幡に……詳しく話を聞いてみる。何か知っているとしたら、あいつだと思うから」
「捌幡理人か。今んとこ被害者が捌幡をいじめてたとされてる奴らだもんなぁ」
「疑っているわけじゃなく、話を聞きたいだけなので。……俺一人で行ってきます」
「え~、じゃあ僕は?休んでていい?」
「ヘビさんは被害者の様子でも見に行くのはどうだ。オレが連れてってやるよ」
「ヤマさんと二人で歩くの嫌です」
「ンだとぉ」
山垂と口縄は多少揉めたが、結局は二人で被害者たちの様子を見に行くことに決まった。
贄田は捌幡の家の住所を聞くべく吉澤に連絡を入れると、疲れ果てた声で対応される。住所を教えてほしいと頼むと渋られたものの、事件解決のためだと何度も頼みこめば、悪用しないことを条件に聞き出すことができた。
「山垂さん、そいつのこと頼みますよ。見張っていないとすぐに消えるので」
「はいよ」
「失礼しちゃうよ。ヤマさんこそ途中でパチンコ店に消えないでくださいね」
「行くときは一緒に行けばいいだろ」
「ああ、そうしますか」
「……」
口縄と山垂に冷たい視線を向け、もう相手をしていられるかと贄田は先に事務所を出て行った。
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